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「うん、美味しかった」

満足そうに微笑まれては、良かったという他ない。

「結局外食になってしまいましたね」

誓はパスタが食べたいと言っていたが、食材を買おうとしたスーパーの近くにあったお好み焼き屋から漂う香りに負け結局お好み焼きを食べることになったのだ。

誓はごくごくと食後の水を飲みながら、嬉しげに笑っている。

「早くお帰りになりたいのだとばかり思っていましたけど」

「だって待ってるのは兄貴と親父の修羅場か、冷えきった空気のどっちかだよ?そんな家、誰が帰りたいと思う?」

そう言う誓の目は、鉄板に向いており、

「誓様、まだ食べられるのですか?」

夏は思わずそんな問いを発していた。

「ん〜、小サイズなら行けそうだけど、まぁ良いや。これも夏のポケットマネーから出るしね」

そう応えて、あはははっと笑う。自分のポケットマネーというのがそんなに可笑しいのかと夏は苦笑した。健全に笑うことは良いことだし、他の客の迷惑にはなっていないから誓をたしなめたりはしない。

「……なんかお腹一杯になったら眠くなったなぁ、」

「そろそろ行きましょうか」

「だな」

誓が一瞬だけ浮かべた、気だるそうな表情を夏は見逃さなかったが言及はしない。夏は伝票を掴み、会計に向かう。

「………はぁ、」

誓は水を飲みきり、ゆったりとした動作で夏に続いた。









「あ、あの……春樹様、」

春樹が一切口を開かないため、神楽は困惑していた。思わず彼の名を呼んだが、返事はない。

「………っ、」

いたたまれなくなり、神楽は俯いた。時計の秒針が時を刻む音だけが室内には響いている。

(……誓様はまだ戻られないし、どうしたら良いんだろう)

話があると言っていたのに、どうして春樹は黙ったままなのだろう。まだ、怒っているのだろうか。そう考え、神楽は内心で自嘲する。

(……何当たり前なことを考えているんだ、僕は)

「………神楽」

「!は、はいっ」

何の予兆もなく名前を呼ばれ、神楽の返事は思わずどもってしまった。

「神楽の弟……敦樹君と言ったか」

「は、はい。敦樹が、何か」

「彼はどうやら芝貫の直系だ。鳴沢の息子なのだから、自然とそうなる」

神楽は無言で頷く。春樹が何を言いたいのか、まだ掴めない。

「今は神楽姓、か」

「はい」

「……………」

「春樹様?」

そこはかとなく嫌な予感が神楽を襲う。

「………便宜は私が取り計らう。彼を、芝貫で引き取らせてもらう」

「なっ、」

一度芝貫姓を捨てた敦樹に、再び芝貫姓を与えると春樹は言っているのだ。

「今のところ、正式な後継者は謡だが……あれは脆弱過ぎる。いつパンクするか知れたものではないからな……“保険”が欲しいんだよ」

保険、という言葉が心に重くのし掛かる。

「どうだ?別に二度と会えなくなる訳ではないし、それなりの待遇をする。……悪い話ではないはずだ」

春樹の、色のない瞳が自分から一切逸らされることはない。どんな表情をすれば良いのか、分からない。神楽は、声も出せずに固まっている。

「すぐに答えを出せとは言わないが……あまり待たせるなよ。私は気が短いんだ」

それは、言外に神楽がしばらく返事を保留した場合、実力行使に出るということを臭わせていた。

「春樹様、もし……もしも僕が、断ったら?」

訊くのが怖かったものの、これは訊かなければいけないとだった。でなければ、敦樹がどうなるか……

「断るのか?」

「………っ」

「その場合どうなるか……私の秘書をしているお前が分からない訳はないだろう」

「!」

ぞくっと背筋に悪寒が走る。

「ここですぐに答えを出して貰っても構わないんだが?」

「……っ、ぼ、僕は、」

敦樹を守らなければ。

だが、守るためには春樹の言う通りにしなければならない。ただ、それが本当に敦樹の為になるのだろうか。

「話はもう一つある」

硬直する神楽に、春樹は話を先に進めてしまう。

「……神楽、まだ私の秘書をする気はあるか?」

「!」

「応か否か、どちらだ。そんなに難しい問いではあるまい」

「………僕は、」

春樹の行いは、決して誉められたものではなかった。だが、それなのに、

「あります……僕、いえ私は、あなたの秘書を続けたいです」

神楽はそう応えていた。

「そうか」

それほどに“芝貫”の名は強大で、すがり付きたいものだったから。

敦樹がどうなるにしても、芝貫の傘下にあった方が目が届く。

(それに)

春樹の行いに恐れ、恐怖しながらもいまだに自分は彼に惹かれている。

彼という人間を、まだそばで見たいと思っている。

彼に、憧れている。

(本当は、僕も……)

春樹のような、歪んだ性質を持っているのだろう。

「春樹様、また、よろしくお願いします」

「………ああ」

春樹が小さく頷いた。








兄が何を話しているのか気にはなりながらも、敦樹は謡を見守っていた。

(……別にこの人のためなんかじゃない。兄さんが、見ていてと言うからだ)

言い訳のように、心中で呟く。

(なのに、何で?この人が苦しそうな顔をするたびに、胸が痛くなるの?)

「………んっ、」

「!」

謡が苦しげに呻き、顔を痛そうに歪める。

一体彼は何を思っているのだろうか。

「ひ……さ、ま」

「?」

敦樹は、ゆっくりと耳を謡の口元に近付ける。

「姫……様、に……げ、て」

「!?」

「姫様、にげて、逃げてください……っ、うぅっ」

謡の言葉は徐々に鮮明になっていく。だがそれが何を意味するのかが、分からない。

「だ、大丈夫ですか?」

みるみる蒼白になる顔と、吹き出す汗。

敦樹は思わず謡に呼び掛ける。だが反応は返らない。

「嫌……嫌だ、誰…か、たす、け……て、」

「謡さん、謡さんっ?」

「姫様、姫様っ」

途端に閉じた瞳から溢れ出す、涙。敦樹は更に慌てる。何処か痛いのだろうか、気分でも悪いのだろうか。

「し、しっかりして下さいっ」

「っ、ねが……姫様だけ、は……助け、て……、」

(ど、どうしよう。兄さんを呼んだ方が良いのかな、)

敦樹が腰を上げかけた瞬間、

「っ!!」

突然謡が目を見開いたかと思うと、ガバッと上体を起こした。

「はっ、はぁはぁ、はぁっ……」

胸元で握り拳を作り、必死に息を整えようとしている。

「だ、いじょうぶ……ですか?」

恐る恐る手を伸ばすが、それが届く前に謡が体をビクッと大きく震わせたから、敦樹も驚いて手を止めた。

「………君、は…敦樹君だった、よね……?」

「は、はいっ」

謡は拳を解くと、その手で顔を覆った。

「ごめん……」

「え?」

「色々、迷惑掛けて」

語尾は掠れて、今にも消えてしまいそうで。

きゅっ、と敦樹の胸が締め付けられる。

(まただ…。どうして?)

「………悪い夢を見てた」

ぽつり、と謡が溢す。

「すごく苦しくて…、痛くて、誰か……大事な人を亡くしたような…、」

敦樹はハンカチを出すと、そっと謡の首筋の汗を拭った。

「っ?」

「……すごい汗だから。そ、その、風邪引くといけないから……」

どもりながら敦樹が言うと、謡が微かに笑みを浮かべた。

「ありがとう……優しいんだね」

「っ」

何故か頬が熱くなり、敦樹は慌てて顔を逸らした。

「……神楽さんと同じ。僕なんかに、とても優しい……、」

「謡さん……」

「良いんだよ?こんな僕に、優しくする必要なんか、ないんだよ」

「な、何を言って、」

「僕には、優しくされる価値なんかないんだから。なのに、君も…神楽さんもとても優しい」

そう言って、謡は涙の浮かんだ瞳を眇めた。

「こんな、僕に……」

「謡さん、」

ズキズキ、ズキズキ。

胸が痛む。

「神楽さんも、君も、愁くんも、匂ちゃんも……優しくしてくれる。父親にも認めて貰えない、駄目な僕に」

敦樹に聞かせているのではなく、謡はただ呟いているだけだった。自分は駄目な人間だと言い聞かせるように。

「謡さん、」

何か言うべきだと分かっていても、敦樹にはうまい言葉は思い付かない。

ただまんじりともせずに謡のそばに座っていると、

「ただいまー」

階下から軽快な声が響いて来た。









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