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嫉妬

匂が帰宅すると、見知らぬ女性がいて驚いた。しかも愁と一緒に茶など飲んでいる。

「あ、姉さん・・・・」

「ただいま・・・・・どちら様?」

匂が女性を見れば、

「君がこの子のお姉さんか?」

女性の方が口を開いた。抑揚のない口調で、表情は一切動かない。

「あ、え、は、はい。そうです、けど」

「そうか。よく似ている」

女性は微かに笑みを浮かべると、自分から名乗った。

「私は楡乃木涼子と言う。・・・・・よろしく」

「あ、しゅ、愁の姉で、神薙匂(かんなぎにほ)と言います」

二人の関係が不明で釈然としないまま、涼子につられるようにして匂も自己紹介をする。

「楡乃木さん、ですっけ・・・・あの、うちの弟とはどういう関係なんですか?」

「・・・・・・・謡繋がりとだけ、言っておく」

「謡さん、繋がり?」

ということは二人は親密な関係ではないのか。

(でも、こんな女の人のことなんて謡さんから聞いたことない・・・・)

謡の交友関係を全て知りたいというわけではないが、目の前の女性に関しては教えてもらえていなかったことに納得がいかない気がする。

「じゃあ謡さんも来てるんですか・・・?」

謡は確か“勉強会”を命じられた筈。自由に動いて大丈夫なのだろうか。

不安が匂の頭を過る。

「謡さんは………」

愁が居心地悪そうに身動ぎし、それを感じ取った涼子が代わりにと口を開いた。

「謡はいない」

じゃあ家で“勉強会”中なのだろう。匂は憂いの帯びた吐息をつく。謡が悲しむ顔は見たくないのに、そればかりが頭に浮かんでしまう。

「……愁、目が真っ赤だけど、また泣いた?」

ぴくり、と愁が体を揺らす。だが匂はそれには気付かず、キッチンへ行くと冷蔵庫を開けた。

「なんかお腹すいたなぁ……」

とぼやきながら冷蔵庫の中身を物色する。

「愁、私はそろそろ失礼する」

涼子が立ち上がる。

「あ、は、はい……」

見送ろうと愁も席を立ち掛けるが、そんな少年の肩を押さえ、涼子は言った。

「……見送りは良い。それと、難しいかも知れないが今日のことは気に病むなよ……謡に会っても、今日のことには触れないようにな」

「……はい」

きっと無理だと自覚しながらも、愁は頷く。

「ご馳走になった」

飲み物の礼を言い、涼子は匂にも一声掛けると二人の視線を浴びながら神薙家を後にした。

「……愁、今の人、本当に謡さんの知り合いなの?」

「え?」

「何か謡さんが付き合うようなタイプには見えないし……それにあの眼帯。メボでも出来てるの?」

匂は涼子に胡散臭さを感じているらしい。不信感を隠そうともせずに愁に訊いてくる。

「そうみたいだよ」

涼子の眼帯の下がどうなっているかなど、愁は知らないし正直どうでも良かった。彼女はどうやら謡の“味方”であろうことが分かったから、それだけで良かったのだ。

「謡さんが、あんな人と」

匂がぶつぶつ言っているが、きっと嫉妬のようなものだろうと思う。

「姉さん、僕部屋にいるから」

「あ、愁!」

「な、何?」

これ以上涼子のことを問われたらどうしようかと思い、思わず愁はどもってしまった。

だが匂が口に出した言葉は、涼子についてではなかった。

「……謡さん、今“勉強会”中だから連絡つかないし、あんたの家庭教師もないからね」

謡のことだった。匂は一度鼻を啜ると、再び冷蔵庫を開け、今日の夕飯は何かなと軽い口調で呟く。愁はそんな姉の背中に小さく分かったと呟き、ダイニングを後にした。









神薙家を後にした涼子は、足を止めてそちらを振り仰いだ。

「謡のことが、本当に大好きなんだな」

神薙姉弟がどれくらい謡を慕い、信頼しているのかよく分かった。

(あの愁という少年は、もしや……)

少しの間一緒にいると、以前会った時には思わなかったことを発見した。

“あの方”を慕い、本当の弟のように(なつ)いていた。

(まさか……な)

前世で近しい仲であった者が、今世において何人もうまい具合に再会することなどほとんどないだろうし、あったとしても記憶はなく知らぬ内に過すことが殆んどだ。涼子は口端に微かに笑みを浮かべると、歩き出した。恐らく“彼女”がいるであろう場所に向けて。









時折辛そうに眉を顰める謡の寝顔を、敦樹はただ見守っていた。助手席に座る神楽も、何度か気遣わしそうに後ろを振り返る。

「敦樹、」

「……何?兄さん」

「謡様のこと、よく見ていてね」

その言葉に、醜い嫉妬心が湧くのを敦樹は感じたがそれを押し込め、兄の言葉に小さく頷く。

それを受けた兄が安堵したように微笑み、また前を向いた。敦樹は再び謡を見下ろそうとしたが、不意に視線を感じて顔を上げて、

「………ッ、」

フロントミラー越しに、春樹と目が合った。

敦樹が醜いと感じる“嫉妬心”を見破ったぞ、とでも言いたげな目付きに感じられ、敦樹は体を硬直させる。何もかもを見破られていそうな瞳が、怖い。

こちらから視線を外すことすら出来ず、敦樹はただ春樹とミラー越しに見詰め合っていた。

「……………」

どうしよう、怖い…と敦樹が思っていると、

「う……ん、」

「!」

謡が小さく唸り、敦樹の硬直状態が解けた。

「う、謡さん?」

「う、」

敦樹が見守る中、謡がゆっくりと目を開いていく。神楽も謡の覚醒に気付き、助手席から身を乗り出して来る。

「……………」

その姿に、また嫉妬心が沸き上がるが敦樹は素知らぬ顔をする。

「………此処は、」

からからに渇いた喉で発したためか、謡の声はがらがらで(ひず)んでいた。

「謡様、分かりますか?」

神楽が声を投げると、謡が声の方向に目を遣る。

「か……ぐら、さん?」

謡は神楽の姿を認めた後、横に座る敦樹へと視線を流した。

「敦樹くん、だったよね」

「は、はいっ」

謡が敦樹の手を握る。ひやりとして血の気の感じられない真っ白な手だった。

「う、謡さん?」

「ごめ……ね?」

何故自分が謝られなければならないのか分からず、敦樹は素直に混乱する。心身共に辛いだろうに、微笑んで、

「僕が、君のお兄さんの居場所を……奪ったんだ」

「え?」

神楽ですら驚く。声もなく、謡を見詰める。

「僕のお願いのせい……で、神楽さんは……っ、」

何処かが痛むのか、謡は息を詰めて小さく呻いた。

「だ、大丈夫ですか!?」

敦樹が慌てて声を掛けると、謡は小さく微笑んだ。

「大丈夫・・・・ありがとう」

「い、いえ・・・」

「・・・神楽さんも、ごめんなさい。僕が、あんなお願いなんかしなければ、神楽さんが哀しい想いをすることも、なかったのに、」

敦樹がちらりと神楽を見遣れば、兄は今にも泣き出しそうな顔をしていた。今だって、謡は十分兄さんを苦しめているじゃないか、と敦樹は内心で苛立つ。

(兄さんは何も悪くないのに、どうしてそんなに悲しそうな顔をするの?)

「謡様は、何も悪くありませんよ」

(じゃあ誰が悪いの?どうして、兄さんがそんなに苦しまないといけないの?どうして、)

「でも、僕のせいで・・・神楽さんの居場所は、」

(兄さんの居場所?そんなもの、こんなところにはない)

兄は。

(兄さんは、謡さんのものでも、ましてや春樹さんのものでもない)

そう、兄は。

「・・・・・・・兄さんは、うちだけのものだ」

小さすぎる呟きに、隣にいた謡ですら気付けない。

「大丈夫です。謡様は、何も気にされる必要はないんです。・・・・・さあ、ゆっくり休んで」

神楽が助手席から腕を伸ばし、どうにか謡の手をそっと包んだ。

「・・・もうすぐで、ご自宅に到着ですから」

神楽の言葉に薄っすらと笑みを浮かべると、謡は再び意識を失った。

「敦樹、どうしたの?」

「え?」

「・・・・・いや、なんだか」

神楽が何かを言いかけて、口篭もる。

「・・・・・兄さん?」

「いや、何でもない」

「・・・・・・・・・」

何かを言い掛けて、止めた兄。だが詳しく訊く勇気はない。

敦樹は謡の手を放そうとしたが、謡の寝顔に哀しげな陰を感じてしまい何故か放せなくなった。

「……………」

じっと謡を見詰め続けることも躊躇われ、手は握ったままで窓の外に目を遣る。

あの人の手から今回は逃げられたけれど、自分はいつかきっと神楽家を去ることになる……そんな予感を抱きながら、敦樹は車に揺られている。










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