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親子

うちは、兄さんと謡さんを見比べるしか出来ずにいる。兄さんは今にも泣き出しそうな顔で、謡さんの頭を撫でていた。

「……………」

酷い、とうちは、謡さんのお父さんを見る。

春樹さんは、あの人と静かに睨み合っているが自分の勝利を確信している。あの人は蒼白な顔で春樹さんを見上げているだけだ。

「謡様、」

どうして兄さんがそんなに悲しそうな顔をするの?

兄さんは何もしてないじゃない。謡さんを傷付けているのは、春樹さんとあの人だ。兄さんは、悪くないのに。

(兄さんは、謡さんのことが大事なんだ……)

きっと、春樹さんより謡さんのことの方が大事なんだ。

……うちより?

そう思うと、胸の奥で何かがざわめくような感覚がした。ざわざわ、ざわざわと波打つ感じ。

これは、嫉妬だ。

うちは、初めて会った謡さんに嫉妬している。

うちより兄さんに近しい謡さんに、嫉妬している。

「兄さん」

うちが兄さんを呼んで腕を引いても、兄さんはこっちを見てくれない。

「………」

何で?

何で、うちを見てくれないの?

どうして、手を握ってくれないの?そんなに、謡さんのほうが大事なの……?

「敦樹」

「っ」

不意に兄さんに呼ばれ、うちは思わず体をビクッと震わせてしまった。謡さんに抱いた嫉妬心を兄さんに見咎められたように感じて。

「謡様を、見ていて」

「に、兄さん?」

うちは立ち上がる兄さんを見上げる。兄さんはやっぱり今にも泣き出しそうな顔で、それでも優しく微笑んだ。








信じていた。

例え普段は冷徹に接していても、本当は春樹様は謡様を大切な家族と思っていると。

……でも、もう信じられない。信じるなど、土台無理な話だ。

このままでは、謡様が壊れてしまう。

「謡様を、見ていて」

「に、兄さん?」

不安そうに瞳を揺らす敦樹に微かに笑みを向け、私は……僕は春樹様のもとへ向かう。春樹様は首相の鳴沢と睨み合いをしていたけど、僕には関係ない。

「何だ」

春樹様が怪訝そうに僕を見る。

「春樹様」

「………」

「僕は、謡様を大切に思っているから、敢えて聞かないようにして来ました……でも、もう無理です」

「何が言いたい、神楽」

「……春樹様にとって、謡様は何ですか」

「何?」

「謡様は春樹様のご子息なのは戸籍上、本当のことです。……ですが、春樹様は“息子”として、謡様を愛しておられるのですか?」

社長の“器”などではなく、“息子”としての謡を愛しているのか。

「……………」

「僕は、あなたが謡様に冷徹過ぎるとずっと思っていた。でも、それは行きすぎなだけで、謡様を大事に思うからこそなのだと信じていました。でも、今日のは、酷すぎます……」

自分でも何を言っているのか分からなくなる。

「謡様を取り返すためだと言っても、やりすぎです!それに、それを咎めた謡様にお前が不甲斐ないからだ、なんて……!!」

「………」

「頭に銃を突き付けられて、怖くて不安で仕方なくて……っ!でも、父親であるあなたが助けてくれると希望を抱いて。あなたの助けをずっと待っていた謡様に、どうしてあんなに酷いことを……っ!!」

止まらない。暇を貰っている形になってはいるが、僕が春樹様の部下であることに変わりはない。なのに僕は春樹様を弾劾する口を止めることが出来ない。

謡様の笑顔が、泣き顔が脳裏で交互に明滅する。

「謡様は、父親であるあなたを信じて……っ」

「神楽、」

春樹様が僕を呼ぶ。

「私にどうして欲しいんだ?謡に愛していると言って抱き締めてやれば、お前は満足するのか?」

「!そ、そういうわけでは……っ」

「お前が言っているのはそういうことだろう?親子だから、無条件で愛してやれと。違うのか?」

「っ」

「口先で愛している、と謡に言うだけで良いならば何度でも言ってやろう。今でも良いが?」

僕を見る春樹様の目には、嘲りの色がみちみちている。

「家族だから。親子だから。だから無条件で愛せ?……お前の親は、よほど目出度いんだろうな」

「!」

春樹様は、硬直する僕を押し退けるように前に進むと、謡様と敦樹のほうへ歩みを進める。敦樹がビクッと体を震わせ、それでも謡様を守るかのように腕を広げて謡様を背中で隠すようにする。

「退け」

「………っ」

「邪魔だ」

春樹様は、敦樹を押し退けると気絶している謡様の腕を掴む。どうするのかと固唾を呑み、近付こうとすると。

春樹様は、力の入らない謡様の体をひょいっと背中に負ったのだ。

「神楽、話は後で聞いてやる……今はここを出る。此処は、悪臭が酷い」

春樹様が言った“悪臭”は、恐らく物の臭いではないんだろう。

「はい……」

謡様に対する春樹様の態度に納得はしていないけど、此処はから出ることには賛成だ。

僕は僕で敦樹を背負うと、小走りで春樹様のあとを追った。

鳴沢も、他の人間も、誰一人僕らを追ってくることはなかった。

硝煙の残り香が、鼻についた。








『謡ったら、今日喧嘩して来たのよ』

『謡が?珍しいこともあるもんだな』

クスッ、という笑い声。

『辛抱強く訊いたら、喧嘩の訳を話してくれたわ』

『……意味深なまえふりだな。で、理由は?』

『パパのこと悪く言ったからだ!で、あとは泣くばっかり』

『私のことで?』

『みたいよ。パパは世界一のパパなんだって』

『世界一、か』

『どうしたの?変な顔して』

『……いや、何でもない。飯にしてくれ』

『はい』

にこにことしてキッチンに消えて行く妻の後ろ姿を見ながら、春樹は憂いを帯びた吐息を吐き出す。

『世界一……汚い父親なのにな』

すやすやと眠る謡の額を撫でながら、春樹はそんなことを呟いた。









「春樹様?」

過去に気を取られ、少しの間無防備に黙り込んでしまった春樹に、神楽の不安げな声が掛けられる。

「………」

軽く眉間を指で揉み(ほぐ)し、春樹は車をスタートさせる。

「神楽」

「は、はい」

「お前は、覚えているか」

何を、とはすぐに聞き返すことが(はばか)れるくらいに抑揚のない声に神楽は上司の次の言葉を待つ。

「………あいつが、死に損なった日のことだ」

「!」

思い出したくない情景が、痛みを伴って心と脳裏を侵食する。今にも泣き出しそうな謡と、何が起きたのか理解出来ていないのか不思議そうな顔をした誓を連れ、病院の、温度のない廊下を駆けた。辿り着いたその先にあったのは、空虚な雰囲気を身に纏った自分の上司と包帯で体のあちらこちらを巻かれた彼の妻だった。

『母さん、』

謡がか細い声で母親を呼んでも、今朝まで彼に向けられていた笑顔が返ることはなかった。母親は遠い目付きをして、口元を弛緩させたまま病室の天井を見上げていた。

『ねえ、お父さん。母さんは、どうしたの?何があったの?お父さん』

ぴくりとも動かない父親の肩に伸ばされた息子の手は、バチンッという音を立てて、払われた。

『お、父さん……?』

『……………』

父親からの言葉はない。

勿論、母親が険悪化する二人の雰囲気をたしなめることもない。

神楽はどうして良いか分からず立ち尽くし、誓は何を考えているのか、にこにこと楽しげに笑いながら病室をぶらぶらと歩き回っている。

“幸せ”という概念が、芝貫家からは消えてしまったということだけ、神楽は心底理解した。

「あの日から、何かが変わってしまった。私の中の何かが根底から瓦解してしまった……そんなふうに思っている」

「………」

「謡はどちらかといえばあいつ似だから、謡を見るたびに思い出す。あれ以降、私たちのことが分からない透明な瞳を思い出す度、私はどうしたら良いのか分からなくなる。謡を目にする度、あいつの透明な瞳を思い出す……」

初めて、彼の妻を襲った“不幸”に対する春樹の想いを聞いている。

「春樹様、」

「・・・・神楽は私に比べて謡も懐いている。お前になら私には言えないようなことも言うのだろう」

深い溜息を吐き出し、

「お前からすれば・・・・・いや、常人が見れば私の謡に対する態度は過剰に過ぎるのだろう。だが、私はああやってしか謡に接することが出来ないんだ。もう、な」

懺悔するように言った。

「・・・・・謡様は、」

意を決して、神楽は声を上げた。春樹は運転のために前を見ているし、自分の言葉が彼の心を動かすことが出来るかどうかは分からない。だが、此処で言わなければ、ほかに機会はないと思い閉じかけた口をそのまま動かし続ける。

「謡様は、春樹様とお話することを望まれています。それに、謡様は・・・・・春樹様の態度に心を痛めています」

「・・・・・」

「春樹様、せめて、せめて今僕にしてくれた話を、謡様にもして差し上げて下さい。そうすれば、謡様の気も少しは晴れると思います。春樹様に、“息子”として思われている、と」

「・・・・・・・そうだな」

神楽は優しい声に、思わず春樹を見返した。

だが彼の目には優しい色はなく、全てを拒絶しているように、神楽には思えた。













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