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出逢い

初めて謡と出会ったのも、こんな雨の日だったな…と楡乃木涼子は雨に打たれながら思った。本降りの雨の中、傘を差すこともなく、悠然と雨に打たれながらベンチに腰かけている彼女を、誰も彼もが物珍しそうに見ながら通り過ぎていく。だが涼子にそんな視線は何の動揺も与えない。荒れ始めた海原を遠くに見ながら、初めて謡と出会ったときのことを思い出していた。




「あの、傘、無いんですか?」

五月半ばの五月晴れで始まったその日、午後四時頃からいきなり曇天になり大雨が降り始めた。

天気予報では終日快晴だったため、突然の降雨に人々は傘もなくハンカチや鞄などで頭を雨から庇いながら地上を早足や駆け足で道を急いだ。そんな中にあって、涼子は公園のベンチに傘もなしに座って雨にけぶる海原を眺めていた。そこに、声をかけてきたのは学生服の少年だった。涼子が顔を上げると、少し幼さの残る顔が優しく微笑んでいた。何処と無く気品のある雰囲気を纏っていると思った記憶がある。

「僕予備があるから、良かったらこれ使って下さい」

少年が傘の柄を差し出して来るが、涼子は顔を海原に向け直し、有り体に言えば少年の言葉を無視した。傘など必要ないと無言の拒絶を示したつもりなのだが、少年は気付いたのか気付かないほどに鈍感なのか何故か涼子の横に腰を下ろしたのである。ベンチは濡れているというのに、何の抵抗もなく。涼子は一瞬少年を見たが、少年が気付いた瞬間にすぐ目線を戻した。

「寒くないですか?」

「……………」

「海を見るの、好きなんですか?」

「……………」

「僕は好きです」

「何か用か」

「いえ。何だか声をかけたくなって、勇気を出してみただけです」

面白いことを言う、と涼子は思う。それでも涼子は少年の方に体を向けようとはしないでいた。他人とは一切関わる気はなかったからだ。毎日この公園のこのベンチに座っているのは、“ある目的”のためなのだから。それ以外には一切心を動かされることはないーというより動かす気はなかった。少なくとも、初めて少年に会った頃は。「本当は、もっと早く声を掛けてるつもりだったんですけど」

「………」

涼子は無言で立ち上がった。一度立ち去り、少年がいなくなったらまた戻ってくるつもりで。

「あ、帰るんですか。じゃ、僕もこれで」

なのに少年はあっさり自分も腰を上げ、さっさと去っていく。涼子が一切動いていない内に、後ろを振り返ることなく。

「なんだ、あれは」

思わず出た本音に、涼子は少しだけ少年に面白みを感じていた。




あれから時が経ち、今では普通に日常会話までするようになった。謡が芝貫グループの第一子息であると知ったときは驚いたものだ。今や政財界、不動産業界に絶大なる力を誇る、大会社の跡取り息子。

「僕は、父の跡を継ぐ気はありませんよ」

ぽつりぽつりと話をするようになった、ある六月初旬の火曜日。学校帰りに謡が公園のベンチに寄ったことがあったが、その時にそんなことを言い出した。「そうなのか?将来安泰な気がするが」

クスッ、と小さく笑い、

「僕は気楽に生きたいから、庶民が合ってます」

庶民でも波瀾万丈な人生を送る人間は沢山いるが、と涼子は思う。

「確かに…君は人の上に立つのが下手そうだな」

この時、まだ涼子は謡を君と呼んでいた。

「引率力がないというより、色々考え過ぎて行動に移せないでいるうちに会社を潰しそうだ」

「あ、それ良いですね。あの人の面目を潰す良い機会だ」

どうやら謡は父親とうまく行っていないだろうことは薄々感付いてはいたが、これでハッキリした。

「君は父親のことが嫌いなのか」

あからさまな問いに、謡はやけに透き通った笑みを浮かべた。




「今日も収穫なし、か」

涼子は小さく呟いて、ベンチから立ち上がろうとした。その彼女の肩を掴む者がいた。

「!」

ぐるっ、と振り向くが、そこにいたのは一番会いたくない相手だった。

「やぁ。“彼”だと思った?」

「お前か」

「あたしで残念でした」

いつもと同じ半袖のコートを着た女が、イタズラ好きな子供のような笑みを浮かべて涼子を見ている。

「何だ」

「“彼”を待ちわびてるあんたに、楽しいお話を持ってきたよん」

いちいち彼という単語を出す相手に、涼子は徐々に苛々としてきた。だが素直にそれを示せば、相手が喜ぶのが分かるため、抑える。素知らぬ振りをするのは昔から得意だ。「“彼”に似てる子見つけたよ〜。何か痛い目に遭ってたから、助けてあげたんだよ」

だらだらした喋り方に、涼子は思わず口端をひくつかせる。

「そう。おめでとう」

「何かちっちゃい子と一緒だったけど」

ーちっちゃい子?

何故か不意に、謡と一緒にいたパーカー姿の少年の姿が思い出される。小さい子など掃いて捨てるほどにいるのに、何故あの子のことを思い出したのだろう。

「用がないなら帰るから。じゃあね」

相手は呼び止めることはなかった。背中を見つめられているのを承知しながら、涼子は泰然と歩き出した。





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