謡の拉致
鳴沢の毒牙が、ついに謡にも降りかかります……。
謡は戸惑い顔で、ずっと俯き続ける葉弓の旋毛を見詰めていた。
(ずっとこの調子だ・・・・・)
公道で喚きたてた後、葉弓は俯いてぴくりとも動かなくなった。
渋面の涼子がどうにか彼女を謡の家に導きダイニングの椅子に座らせたものの、ずっとだんまりの状態が続いているのだ。
自分は一体どうしたら良いのだろう、と謡は溜息を吐いた。
どうやら自分には何やら秘密があるらしい、とまでは何となく分かったのだが。
「楡乃木さん、」
涼子は、と言えば彼女はソファで横になっている愁をじっと見下ろしてこちらも動かずにいる。
「・・・・・・先日会った時は、酷く頼り無さそうな弱いイメージしか持てなかったが、なかなか度胸があるじゃないか。謡を守りたかったんだろうな」
「そう・・・・・ですね」
愁が自分をどれほど慕っているのかを今更思い知らされた。
葉弓を前にして、とても恐かった筈なのに、必死に謡を助けようとしてくれた。
(こんな僕を・・・・・どうして愁君は、)
自分は愁に何をしているわけでもない。
なのにどうしてこんなにも自分なんかを慕ってくれるのだろう。
謡には分からなかった。
「・・・・・それにしても、謡」
ようやく涼子が動き、謡の横に立った。謡はゆるゆると顔を上げ、彼女と目を合わせた。
涼子の手が、そっと謡の頭を撫でた。
「に、楡乃木さんっ?」
「酷い顔をしている。・・・・・大丈夫か?」
謡は顔を真っ赤にしながら、必死に何度も頷く。なんだか幼児になったみたいで、とても恥ずかしい。
「だ、大丈夫です。僕は、全然・・・・・」
本当は体も心も疲れていたけれど、謡は強がる癖が身に染み付いていた。
「謡、嘘が下手だな」
「う、嘘なんかじゃっ、」
嘘なんかじゃない。
自分は大丈夫だ。自分は、ただ災厄を周囲に撒き散らしているだけ。大変なのは、いつだって自分意外の、自分の周囲にいる人だけだ。
愁に然り、神楽に然り。
「僕は、本当に」
本当に平気です、と強がりの言葉を発そうとした時、彼らは現れた。
いきなりダイニングと玄関を繋ぐドアが開き、三人の黒スーツを着たサングラスの男たちが部屋に闖入してきたのだ。
「!?」
謡も、流石の涼子も当然の如く虚を突かれる。
その中で、一人の男が謡に目を留めると身につけたインカムに囁いた。
「対象を発見、即時に捕らえます」
「謡、逃げろ・・・・!」
瞬時に男たちの意図を悟った涼子は彼女らしくない狼狽した声で謡に怒鳴った。
「楡乃木さんは、」
「良いから早く!こいつらの目的は謡だ!」
「逃がすな!」
謡は状況をサッパリ掴めなかったが、涼子の言う通りにしたほうが良いのだろう。だが、
「愁君、」
愁を置いて逃げるわけには行かない。
謡は玄関に向かい掛けた足を、愁の眠るソファに向け直した。
「謡!」
一度に二人の相手をしていた涼子が謡の行動に気付いて、声を上げる。だが男のうちの一人がサバイバルナイフを突き出してきたため、そちらに集中せざるを得なくなる。
「愁君・・・・っ!」
愁に近寄る謡の前に、最後の一人が立ちはだかる。
身長はゆうに190を越えているであろう。サングラスで目は見えないが、きっと冷たく凍った瞳をしているのだろうと謡は直感で悟った。
「あ、あの」
「芝貫謡だな」
男の口調は一切の抑揚がなかった。オールバックにした額に、十字の傷跡があることに気付く。
謡は男の気迫に圧され、一歩引いた。しかし男は距離を詰めてくる。
「一緒に来てもらいたいところがある」
「あ、あなたは・・・・・・?」
謡の問いに、男は応えない。筋骨逞しい腕を伸ばし、謡を捕らえんとする。
「謡、逃げろ。逃げなさい!!」
二人の男をどうにか往なしながら、涼子が謡に言う。
葉弓は相変わらず俯いたままで、この騒乱にピクリとも反応しない。
「!」
謡はずっと退いていたが、ついにその背が壁についてしまう。
「大人しく従えば悪いようにはしない。ただついてきてもらうだけで良い」
「そ、そんなこと言われても、」
まず素性を明かしてもらわないことには素直にほいほい付き従う訳にはいかない。
「お前に選択肢はないんだぞ」
男は何故か謡の前を離れ、部屋の中央に歩いて行く。
「・・・・・・・・・・?」
その行動を謡は怪訝に思ったものの、男の意図に気付いてハッと息を呑む。
「駄目っ!」
男は物騒にもスーツの内ポケットから銃を取り出した。ソファで気絶したように眠る愁に狙いを定めたのだ。
「こいつを殺されたくはないだろう?」
「駄目、止めろ・・・・」
男がサングラスの下で、目を細めたような気が、した。
安全装置を外す音。
「くそ!」
涼子が呻き、愁を助けようとするが男たちに阻まれる。
「こら葉弓!何ボケッとしてる!!」
葉弓に怒鳴っても、彼女は動かない。眠っているのではあるまいに。
「さあどうする?」
男たちは一体何者なのか。素性のわからない相手に着いていって、無事に帰れる保障など当然、あるわけが無い。
でも、
(このままじゃ、愁君が)
さっきは愁が自分を守ろうとしてくれた。なら、今度は。
「わか・・・りました。だから、愁君を解放してください」
「謡・・・・!」
「その、女の人も」
謡が目を閉じて掠れた声で言うと、男は愁から銃口を逸らした。
ゆっくり、男が近付いて来る気配がする。
そして、
「あうっ・・・・・!」
いきなり胸倉を掴まれ、宙吊りにされる。
「んっ、」
「良い子だ、芝貫謡」
その状態のまま、運ばれる。なんて怪力だ、と薄れる意識の中で謡は思う。
「お前ら、俺が車で出るまでそのお嬢さんのお相手をしておけ」
「了解」
「謡!」
「楡乃木、さ・・・・っ」
「黙ってろ」
空いた手で、腹部を強打される。
「っ、がは・・・・・っ!!」
力が抜けたところを乱雑に肩に乗せられる。狩られた動物みたいだ、と謡は自嘲する。
逆さまになる視界の中、涼子が男たちをどうにか捌こうとしている姿が目に入る。
(にれの・・・・きさん、無理・・・・・、しない、で・・・・)
自分のためなんかに、傷付かないで。
そんなことを思いながら、謡は気を失った。
「・・・・・・Aの1、成功とのこと」
比企の言葉に、鳴沢が喜悦を浮かべる。そして春樹と神楽を等分に見詰めながらだらしなく緩んだ口で衝撃的な言葉を発した。
「お前らの大事なものを捕らえた・・・すぐに此処へやってくるはずだ」
神楽がハッと息を呑んで、顔を蒼くする。
「まさか、」
「あぁ、その真逆さ。芝貫謡を部下が拉致したんだよ」
「!」
「すぐに到着するだろうさ・・・・・・そこで提案だ、神楽樹」
目の前の男が何を言おうとしているのか、神楽には丸分かりだった。だからこそ、唇を噛んだ。もっとも巻き込みたくない人を巻き込んでしまった、という後悔の念とともに。
「シンと謡を交換、と行こうじゃないか」
神楽は思わず上司を見たが、上司の整った顔には一切の動揺がない。
「は、春樹さま、」
「何をそんなに慌てている、神楽」
「う、謡様が拉致されたのですよ!?春樹さまはなんとも思われないのですか?!」
思わず声が荒ぶってしまうが、どうしようもない。
何故実の息子が拉致されたのにこうも落ち着いていられるのか。
怪我をしたのではないか、ちゃんと生きているのかとか、心配にならないのだろうか。不安に、ならないのだろうか。
「・・・・どうせ謡はここに連れられてくるのだろう?ならばそのときに取り返せば良い」
春樹の言葉にハッとする。
「神楽、お前にしては頭が回っていないようだな。少し落ち着きなさい」
「は、はい・・・・・」
それにしても、体の状態などへの懸念はないのかと思うが。
春樹は冷徹な瞳で、鳴沢を見返す。鳴沢は薄ら笑いを浮かべている。
「謡と敦樹君を交換・・・・か。いろいろと小細工を思いつくな」
「なんとでも言え。・・・・なあシン?」
ビクッと敦樹が震える。大分落ち着いてきていたのに、余計なことを・・・・と神楽は鳴沢を憎く思う。
「お前が素直に私のもとへ戻ってこないから、他人が傷付くことになるんだよ?」
「あ・・・・・う、」
「私の元へ戻ってくれば、謡は返してやる・・・・・シンが言うことを聞けば、誰も傷付かないんだよ。シンは優しいから、誰かが傷付くのは嫌だろう?」
敦樹の、神楽の服を掴んでいた手の力が弱まる。
「敦樹?」
「う、うち・・・・・」
「敦樹、あいつの言うことは、」
「に・・・・兄さん、“謡さん”って、前に兄さんが言ってた、“大事な人”なんでしょう?」
「あ、」
「う、うちの所為で、その人、」
今にも泣き出しそうな顔をしている敦樹を、神楽が抱き締める。
「に・・・・さ、」
「大丈夫。敦樹も謡様も同じくらいに大事なんだ・・・だから、変な事は考えないで」
「で、でも・・・・・」
「敦樹と謡様を交換なんて、絶対にしない。二人はものじゃなくて人間なんだから、そんなことはしない」
「う、うん・・・・・」
「ははは!!大した自信だな、神楽樹!謡がお前の前で痛い目にあってもそんな悠長なことを言っていられるのかな!?」
細い目を見開き、鳴沢が品のない笑い声を上げる。
「そんなこと、させるか!」
「此処は私のテリトリーだぞ?阻止、出来るかな?」
「そんなの関係ない。謡様も敦樹も、絶対に傷つけさせない」
神楽の睨みにも、鳴沢は哄笑を返す。
「ふん。強がっていられるのもいまのうちだ」
「……………っ、」
悔しそうに歯噛みする兄を、敦樹は不安そうな瞳で見上げていた。
閲覧、ありがとうございます。次回は藪内と渉のほうに寄り道するかも……しないかも。つまりは未定なわけです!