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抵抗

ついに敦樹を助けに神楽が施設跡に到着します。

「敦樹!!」

目の前に広がる光景に驚きながらも、神楽は弟の名を呼んでいた。

敦樹を背中に庇うようにして立つのは、自分の上司。そして彼に向かってナイフを振り下ろす、見知らぬ若い男。

「退けっ!」

ドア口で立ち尽くす神楽を押し退け、懍がナイフの男に躍りかかる。

「なんだ、お前っ」

「悪いが邪魔なんだよ、お前は」

揶揄する口調で言い、懍は男に足払いをかけた。たったそれだけで大の男がバランスを崩す。

更に懍はナイフを持つ方の手を蹴り上げ、それでも放そうとしない男の腹に刀の鞘で峰打ちする。

「ぐっ!」

男が呻き、ようやっとナイフを落とす。

「兄さんっ………!」

懍の動向を全員が息を呑んで見守っており、そしてその呪縛から真っ先に解かれたのは敦樹だった。

兄に会えた安堵から沸き上がる涙を流しながら、春樹の背中から離れて立ち尽くす神楽の胸に小走りで飛び込んだ。

「敦樹……。良かった、」

「兄さん、兄さん……」

「ごめん、敦樹。守ってやれなくて、ごめんな」

敦樹は首を必死に左右に振る。

神楽は愛しそうに敦樹の黒髪を撫でる。腰に回った敦樹の細い腕に力が籠るのが分かった。

「……何もされてない?痛いところはないか?」

ビクッ、と敦樹が明らかに体を大きく震わせる。

「………っ、」

「敦樹?」

「な、なに……もなっ、なかっ」

明らかに敦樹は何かに怯えている。

「敦樹、」

「だい、じょ……うぶだから、何も、なかっ……たから、」

今にも消え入りそうな声で、敦樹が言う。

(このパーカー、)

神楽は、敦樹が家で拉致されたときには着ていなかったパーカーに気付いた。何のへんてつもない長袖の、濃紺のパーカー。

「敦樹、これは敦樹の?」

「……あ、これは、」

敦樹が言いにくそうにしながらも答えようとした瞬間、

「………これは一体何の騒ぎだ?」

地の底から響いてくるような、暗く重たい声がその場にいた全員の耳を震わせた。

「蓮音、説明してもらおうか」

「………会食、じゃなかったの?」

「先方が急用でキャンセルになったんだ。さぁ、説明してもらおうか。芝貫のトップがここにいる理由も、な………」

声の主は、時の首相……鳴沢宗吾だった。細まった粘着質な瞳が、兄に抱き着く敦樹を捉えた。

「………っ、」

敦樹は兄の胸に顔を埋め、その視線から逃れる。

「それは私のだよ、神楽樹」

「なっ、」

「そしてそれは神楽敦樹などという人間ではない」

腕の中、敦樹の震えは酷くなる一方で。弟が壊れてしまいそうに思えて、神楽はゆっくりと彼の背中を撫でた。

「にっ、さ………、怖い、怖いよ、」

他の誰にも聞こえないくらいに小さく震える声で、敦樹が言う。

「助けて、シンが、僕の中の“シン”が、消えない……、助けて、」

(敦樹、何を言って、)

「シン、こちらにおいで」

鳴沢がそう言った瞬間、ビクンッと敦樹が不自然なくらいに体を大きく震わせた。

「敦樹、敦樹!?」

「兄さん、助けて、」

何が何やらさっぱりだが、敦樹が助けを求めているのは明らかだ。神楽は敦樹を自分の背に回し、鳴沢を睨み付ける。

「………気に入らん。主に似るんだな、芝貫よ」

「何のことだ」

春樹が一瞬だけ神楽を見るが、すぐに鳴沢に視線を戻した。

(やっぱり、春樹さまは、まだお怒りなんだ……)

当然のことだと分かっているのに、やるせなさが込み上げる。

「シンもシンだ。私が愛してやろうと言うのに、無下にしおってからに」

どうやらシンは敦樹のことらしい。敦樹はシンと呼ばれるたびに小さく嗚咽を漏らす。違う、と繰り返すのが聞こえる。

「違う、うちはシンじゃない……うちは、敦樹……神楽、敦樹……うちは、」

「敦樹……、」

神楽は、鳴沢に言う。

「申し訳ありませんが、敦樹は連れ帰ります…。敦樹は私の大切な弟ですので」

「ふん。それは私の息子だぞ。お前は義理だろうが、私たちは本当の親子なんだ……親が子供を取り戻して何が悪い」

勝手な言い分に腹が立った。その実の息子を虐待していたのは誰だ?今回だって、手荒なことをして敦樹を拐って。

「実の息子に、虐待をしておいて勝手なことを、」

「虐待?ははっ、人聞きの悪いことを言わんでくれよ。敦樹が何と言うか知らんが、私は出来損ないの息子を仕付けていただけなんだからな」

「……仕付け?」

よくある言い訳だった。平然と言える神経が信じられない。

「今も夢に見て魘されるようなことが、仕付けだと?」

自分は要らない人間なのではないかと思い込ませるような所作の数々が、仕付けだと?

ぞわぞわ、と体全体が粟立つ。途方もない怒りが、神楽の胸を焦がす。

いっそのこと、懍に押さえられている男が手放したナイフで鳴沢を刺してやりたい。此処に向かう車中で懍が言っていた事は、頭の片隅からも消えかけていた。

「に……さん、ダメ、」

「!」

敦樹のか細い制止の声に、神楽はビクッと体を震わせた。

「うちなら、大丈夫……だから、止めて、」

神楽が何を考えていたのか、敦樹には分かっているのだろう。必死に神楽を宥めようとしている。

「敦樹、分かった。分かったから」

「……ん、ありがとう……、」

二人のやり取りを眺めていた鳴沢が哄笑を上げた。

「義理というのにまるで本当の兄弟のようだな。シン、そいつも体でたらしこんだのか?」

「!ち、ちがっ……」

「敦樹を侮辱するな」

圧し殺した声で、神楽は鳴沢に言う。

「侮辱などしていない。シンはそうでなければならんのだよ」それにな、と鳴沢が不敵に笑う。

「何度も言わせるな。それは敦樹などという名前ではない……シンだ」

「っ、」

神楽が反論しようと口を開きかけ、

「相変わらずだな、宗吾」

敬愛する上司が口を挟んだため、驚いて口をつぐんだ。しかし上司……芝貫春樹は部下の顔を見ようとはせずに、忌々しそうに顔を歪める男をじっと見詰めている。

「黙れ、」

「何もかも自分の思い通りにならないと気が済まない」

「黙れ、と言っている」

「力がないから、言葉で相手を打ち負かそうとする」

「黙れ、黙れ……」

春樹の口角が、残虐につり上がる。

「小心者なのも、変わらない」

「黙れと言っている!!」

宗吾が地の底から響いてくるような声で吼えるが、春樹は余裕の表情で彼を見返している。

「図星か。愉快だな」

「………やはりお前はいつでも私の邪魔をするのだな」

「邪魔?そんなもの、してないぞ……お前が勝手に私の前に現れるだけじゃないか。お前が私の邪魔をしているだけだろう」

「な、何を訳のわからんことを!貴様、あの落ちこぼれがどうなっても構わんのか!」

顔を真っ赤にし、宗吾が矢継ぎ早に怒鳴るが、春樹は最早、整ったその顔に嘲笑を浮かべている。

「落ちこぼれ……謡のことか」

春樹の声のトーンが微かに下がったことに気付けたのは、もしかしたらこの場で神楽だけかも知れない。

「あれはお前と違って大人しく大人に従うしか出来ん、駄犬だからな。私の命令も素直に聞くだろうな」

「謡ですらお前の腐りきった命令など聞き入れないさ。あれは馬鹿ではあるが、愚かではないからな」

実の息子をハッキリと馬鹿と罵る。

ないことではないだろうが、褒められた行為ではない。しかし春樹には罪悪感の欠片もなさそうだった。

「……何処までも口の減らない、」

「互いにな」

「一緒にするな!」

怒鳴る鳴沢には一切の余裕がないようだった。

敦樹を薄気味悪い視線で見ていたのとは雲泥の差だ。

「シン、私と来るんだ!!」

「い…や、嫌だ、」

「何だと?」

敦樹は神楽の背中に庇われたまま、必死に鳴沢を拒絶している。

「う……うちは、帰る。兄さんと、一緒に、皆の家に帰る、」

「敦樹、」

よく言った、というように神楽は敦樹の名を漏らした。

「シン、貴様私に逆らうのか」

「………っ、も、もう……うちは昔に戻りたくないっ。あな、あなたとはいたくない、」

ぼろぼろと大粒の涙を溢しながら、そして鳴沢に恐怖を感じながらも、自分の気持ちを紡いでいく。

彼の震えを感じながら、神楽は鳴沢から敦樹を守るように背中に庇い続けた。

「芝貫と言い、シンといい……皆私を虚仮にしおって、」

怒りに、体全体が揺れている。そんな彼に追い打ちを掛けるように、春樹が言葉を重ねる。

「……面白いことを言うな。お前、自分が誰かに崇められるような人間だと思っているのか?」

「き、さまぁ…っ、」

鳴沢は、ぼんやりと成り行きを見ている蓮音に怒鳴る。

「蓮音!こいつらをどうにかしろ!!」「あ?」

「あ?じゃないっ!シンをあの優男から取り返えせっ!!」

「………っ、」

再び名前を口にされ、敦樹が怯える。

(あの女性は一体誰なんだ……この男の部下なら、命令には実直な筈。敦樹を、どうにかして逃がさないと、)

神楽が必死に頭を回していると、

「馬鹿者、後ろだ!!」

部屋に侵入してからずっと男を押さえ付けていた懍がいきなり怒鳴った。

「んっ!」

「敦樹っ!!」

自宅に侵入されたときと同じ失態を、神楽はおかしてしまった。

「っ、」

敦樹を後ろから拘束しているのは、女だった。ベージュのパンツスーツを着た、まだ若い女だ。

(……この、女性は、)

鳴沢がテレビ出演する際に彼のそばに控えている人だ、と神楽は気付いた。

「よくやった、比企(ひき)!シンをそのまま連れて行け!」

お誉めの言葉を受け、比企と呼ばれた女が微かに微笑む。

「敦樹!」

「……っ、」

勝手をされては堪らない。神楽は、腕を女に伸ばす。女性を傷付けることには抵抗があるが、敦樹を守るためならば自分の信条などかなぐり捨ててやる。

「敦樹を放せっ!!」

女の腕を掴み、敦樹の口を覆っている手を引き剥がす。

「兄さ………っ、」

兄を呼ぼうとした敦樹だが、いきなり顔を引きつらせたかと思うと、体をくの字に折った。

「敦樹……!」

名前を言った瞬間、敦樹の口が大きく開き激しい咳をほとばしらせた。

「な、なに、」

突然の敦樹の異常に、女が動揺する。

「けほっ、げほっ……がはっ」

発作だ。しかも重度の。

神楽は女を突き飛ばし、床に崩れ落ちる弟を慌てて支えた。

「ぜぇぜぇ、はっ、がほっ、けほっ……にっ、さ」

「話さなくて良いから!大丈夫か、敦樹、」

敦樹を抱き締め、背中を何度も上下に擦ってやる。

「っ、」

薬が此処にないことが悔やまれる。

「はぁ、はぁ……けほっ、」

顔を真っ赤にして咳き込んでいた敦樹の体から力が抜けていく。

「敦樹、大丈夫?」

「う………ん、」

「比企、何をしている!シンを早く捕らえんか!」

呆然と事態を見守っていた比企に、鳴沢の怒声が向けられる。

「は、はいっ!」

「敦樹に触るな!!」

「っ!」

神楽に一喝され、比企がびくりと体を強張らせる。

「お願いですから、敦樹をそっとしておいてあげて下さい。敦樹を、これ以上傷付けないで、」

敦樹を腕の中に閉じ込め、神楽は懇願する。敦樹の、必死に上下する肩を感じながら。

「私の弟を傷付けないで下さいっ・・・!」

神楽の慟哭が、室内に虚しく響いた。

比企が完全に硬直し、ぴくりとも動かなくなる。

「比企、何をしている!!早くシンを・・・・・っ!」

「うるさいよ、父様」

不意に、蓮音の気だるげなそんな声が響いた。

「シン……じゃなかった、敦樹君は神楽家に帰りたいんだよ。それを餓鬼みたいにぎゃあぎゃあ言わないでよ、良い歳したオッサンが」

「なっ、」

「あんたは昔からそうだった。自分の思い通りにいかないと何でも声高に叫んで喚いて。子供心にも呆れ果ててた」

全員が蓮音の暴露に、聞き入っている。

一番衝撃を顔にのせているのは鳴沢だが。

「敦樹君は一生あんたのものにはならないよ」

蓮音はゆっくり歩き出すと、鳴沢の横をすり抜け神楽に守られている敦樹のそばに立った。

「!」

「大丈夫、何もしない」

身構えた神楽に小さく呟き、そっと敦樹の頭を撫でた。戸惑った瞳が、気だるげな瞳とぶつかる。

「君は、この人が本当に好きなんだね……本当の兄弟に見えるよ」

「あ、あの……、」

「史哉の馬鹿が酷いことをしたね……ちゃんと飼育出来てない飼い主の責任だ……悪かったね」

蓮音が心から謝罪していることを感じ取ったのか、敦樹は戸惑いながらもこくりと頷いた。

「神楽、樹……だっけ。この子のこと、よろしくね」

「……あなたと、敦樹は、」

蓮音は神楽の問いに、儚い笑みを浮かべて応えた。

「言わぬが花、ってね」

「………」

「さて、」

蓮音は背筋を伸ばすと、立ち尽くす“父親”を見た。

「父様、諦めて下さい。敦樹君は、あなたのペットではありません」

それでも、

「それでも尚、見苦しく抵抗するなら私はあなたを」

「……………比企、」

「はっ、はいっ」

大人しく敦樹たちを解放することにしたのか、鳴沢が秘書を呼ぶ。

硬直したままだった秘書は、ピンと背筋を伸ばし返事をする。

「………あれを捕えろ」

「えっ、」

「あれを捕えろ!!」

比企はもう一度頷くと、慌てて携帯を開いた。

「!」

春樹が何かに気付いたように比企の行動を阻止しようとするが、遅い。

比企は動揺を浮かべながらも、電話に出た相手に向けて、告げた。

「Aの1、発動してください」

と。










次回は謡がメイン……の予定です。

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