真実と絶望と
「………え?」
謡と神楽の疑問符がうまく重なった。
「嘘ではありません」
凛は冷静に言う。
「神楽、さん……」
謡はどんな言葉をかけたら良いのか分からず、横に座る青年に顔を向ける。
神楽は呆然、と硬直している。
「神楽樹、貴様の義弟ー神楽敦樹は芝貫の人間だよ。純粋な、ね」
「……………、」
「そして時の首相、鳴沢宗吾の実子だ」
「なっ、じゃああいつが敦樹を……!?」
国政を担う人間が、息子を虐待していた、だと?
「憤りのポイントか?それが」
凛が神楽を嘲笑うように言う。
「っ、」
「鳴沢は芝貫を追放になった男だが、なる前は芝貫の一員だった。そして15年前……鳴沢が30のとき、敦樹は生まれた……相手は鳴沢姓の一般人だったが、そいつとの子がね」
「敦樹が、芝貫の血を……、」
神楽は一体何を思うのか。
「だが敦樹への虐待が芝貫の中央にばれ、鳴沢は芝貫を永久追放になった。しかたなく鳴沢は女房の姓を名乗るようになった、というわけだ」
「………、何で今になって敦樹を、」
苦し気に呻く神楽の手を、謡がおずおずと手に取る。
「謡様、」
「神楽さん、」
「鳴沢は敦樹が好きなんだよ」
「!?」
凛の言葉に、謡も神楽も目を見張る。
好き、というのはどういう意味の、
「勿論家族愛じゃなく……男として、ですが」
凛は平然と言う。
「……………、」
「鳴沢は敦樹に執着しています。今になって拐ったのは、ほとぼりが冷めたと思ったからなんだろうね。それか、自分の執着心を満たすためだけじゃなく何か別の目的があるのかもしれないけど」
謡と神楽が同時に聞いているためか、凛の語調は常体になったり敬体になったりする。
「……敦樹は、今何処にいるんだ………」
「私を睨まれても困る。あんたの義弟を拐ったのは私じゃないから」
「っ、」
「ただ、恐らく鳴沢の隠れ家じゃないかと思う」
凛の瞳に好戦的な光が宿るのを、謡は見逃さなかった。
「神楽さん、」
だが弟を拐われた兄に、謡の呼び掛けは届かない。
凛の言葉を聞き、神楽は噛みつくように凛に迫った。
「何処だ、君は知ってるのか!?」
「知ってるよ。教えてほしいか」
「あ、あたりま……」
「なら一つ条件がある」
凛の瞳が、ベッドの上で不満そうに寝そべっている葉弓を捉える。葉弓はその視線に気付かなかったのか、目を閉じたままだ。
凛の視界に、不安そうに自分を見つめる秋の姿が映るがそれは無視をする。
「条件……?」
凛がクスリ、と小さく笑いを漏らす。
「解雇を覚悟して、謡様の外出を認めることだ」
やっぱりだ、と謡はホゾを噛む。
「謡、様?」
自分を見る神楽の瞳が、曇る。微かに疑いのこもった瞳。謡は思わず必死に首を左右に振っていた。
「ちが、違います!弟さんを拐わせたのに僕は関係ないですっ」
今にも泣き出しそうな顔の謡を見て、神楽が我に返ったように目を見開く。
「あ、すみ…ません。謡様、」
一瞬でも謡を疑ったことを恥ずかしく思う。
(烏丸凛に取り入ったり、敦樹を拐ったりして、外出するために僕に交換条件を持ち出すなんて……謡様がするわけがない、)
何より謡の部屋に烏丸の人間がいる自体妙なのだから。
「なぜ烏丸のあなたが謡様のことに親身になるのですか」
「別に謡様のためではない。………条件を飲むのなら、最愛の弟がいるであろう場所を教えてやる。さぁ、どうする」
バレたときに解雇されるのを覚悟し謡を外出させ、敦樹の居場所を教えてもらうか。
それとも、敦樹を見捨てて、
敦樹は怖がっていた。昔のような状態に戻ることを。今も虐待されていたときのことを夢に見るのだと。
(きっと、怖くて泣いている……、)
職を失っても、替えはきく。でも、敦樹という弟は一人しかいない。替えは、いない。
敦樹が悲しんだり怖がったり、苦しんだりするのは嫌だ。ダメなんだ。
傷つくのは、自分だけで良い。
「分かった……」
神楽は謡を見て、悲しげに微笑む。
謡は息を呑んで、見返すしか出来ない。
「謡様の外出を、私が許可します」
「神楽さ、」
「だから、敦樹の居場所を教えろ」
「良いよ。謡様、望み通りに外出出来ますね。会いたい方に会いに行かれては?」
凛の言葉に一番反応したのは、ベッドの上の葉弓だ。いきなり床に立つと、硬直している謡の手首を掴んだ。
「いっ、」
「さあ、許可も出たし、行くぞ!涼子が待ってる!」
「は、葉弓さん。落ち着いて、」
さすがに秋が葉弓を宥めに入る。
「うるさい、黙れ」
「葉弓さん、」
「ね、謡。謡だって早く涼子に会いたいのに、我慢してたんだよね。バカ親父がうるさいから」
「ば、バカは言い過ぎ、」
葉弓は秋の言葉を聞き流し、謡に立つよう促した。
「謡、行こう。許可が降りたよ」
だが謡は浮かない顔で、喉に何かが詰まったような表情を浮かべて神楽を見ていた。
(ちょっと、何やってんのよ。………ぼんくら)
謡を涼子に会わせようとしているのは、双方のためでは決してない。
(兄様、また会いたい、)
涼子と対面させることで、謡の中で眠る兄に会うため。結局は自分のためなのだ。前世で遂げられなかった“想い”を今世で遂げるために。
「う〜た〜い、」
「僕、は……僕も行きます!」
決意のこもった言葉に、その場にいた全員が一斉に謡を注視した。神楽など軽く口を開けて、彼にしては珍しく間抜けな顔を晒している。
「う、謡様……何を、」
「力も度胸もないし、きっと何の役にも立たないけど……芝貫の直系というのが役に立つかもしれないから、」
「謡様、」
「それに、神楽さんの大事な弟さんを……助けたいし、その、微力でも力になれたら、」
「駄目です。それは絶対に駄目です」
「でも……!」
「僕の弟を助けたいと思ってくださることはとても有難いです。ですが、身内のことで謡様を危険な目に遭わせる訳には行かないんです……ご理解下さい」
神楽が項垂れるように頭を垂れたから、謡はそれ以上何も言えなくなる。
「こいつもそう言ってることだし、早く……」
「や、やっぱり僕も神楽さんと行きます!」
「謡様っ、」
「神楽さんは僕なんかのこと、いつも支えて助けてくれて……だから、だから僕も神楽さんの支えになれたら、って………、」
「駄目です、私の私事に謡様を巻き込むわけには、」
「だ、だけど……」
「今度、敦樹に会ってあげてください」
不意に神楽が柔らかな笑みを浮かべて謡の手を取ったから、謡は思わず
「え、」
と声を漏らしていた。
「敦樹は元々体が弱くて、あまり同世代の子と遊べないこともあってか友達が少ないみたいで、よく寂しそうにしているんです」
「そう、なんですか…」
「敦樹も謡様と知り合えたら喜ぶと思います。謡様は、とてもすばらしい方ですから」
臆面もなく、サラリとすばらしい、と言われ謡はかぁ、と赤面する。
「す、すばらしいなんて……」
「敦樹を助けて連れ帰るとき、きっとあの子は憔悴していると思います。そうしたら、謡様の力で敦樹を癒してあげてください」
癒して、と言われても謡にはどうしたら良いか分からない。
「それに……、」
「神楽、さん?」
神楽の瞳に思い詰めたような光が宿り、謡は不穏な気配を感じた。
「いえ、何でもありません」
何でもないようには見えないが、謡にはこれ以上突っ込んで訊くことが出来そうにない。内面に深く踏み込まれることが怖い謡は、他人の内面に深く踏み込むことをも恐れている。
その相手が、血の繋がった家族でも。そして自分を支え、助けてくれる人でも。
「敦樹の、…あの子の友達になってあげて下さい」
項垂れるように深く頭を下げられ、謡は慌てる。
「わっ、分かりました!僕なんかで良ければ喜んで」
「ありがとうございます」
神楽が嬉しそうに微笑むも、今にも泣き出しそうに見えて。
「話も纏まったみたいだし、鳴沢の隠れ家を教えようか」
「………」
烏丸凛が告げた場所。そこは、
「敦樹が一時期預けられていた施設の跡だよ」
先生はとっても優しい人だった。
色んなお話をしてくれて、色々な遊びを教えてくれて。父母の影に怯えて眠れない夜も、落ち着くまでそばで手を握ってくれていて。本当に好きだった。
なのに、“あんなこと”があって………、
「ん、」
目を覚ました瞬間、額を撫でられている感触がした。
「にぃ……さん?」
「悪かったな、兄貴じゃなくて」
「!?」
「おいっ、急に動くなっ!!」
敦樹の額を撫でていたのは、狩野という男だった。敦樹は恐怖に男の手を払い、いきなり上体を起こした。とにかく早くこいつから離れないと、という防衛本能が働いたのだ。
「………ぅ、」
だが激しい目眩と頭痛を感じて、敦樹はすぐに動きを止める羽目になる。
「だから言ったろ。急に動くなって……」
「いやっ、」
伸ばされた手を、敦樹は無我夢中で払った。痛いことをされると思ったのだ。
「大丈夫だよ。オレは何もしないから」
「………?」
怯えきった瞳で男を見ると、彼は悲しげな顔で敦樹を見ていた。
「オレは狩野創。敦樹、くんをここに連れてきた狩野史哉の双子の兄だ。まぁ、弟にいいように扱われてる不甲斐ない兄貴だけどね」
……確かに顔は瓜二つだが、纏う雰囲気が先程の狩野とは違う。優しさと脆さが混在したような、なんとも表現しにくい感じ。
「痛いところはない?史哉が手酷いことをしたみたいで、すまない」
「あ…の、ここは?」
「ここは・・・・君の想い出の場所でもあると思うよ」
「僕・・・・・の?」
「そう」
敦樹は周囲をゆっくりと見回した。自分が通っている学校の教室と似ている、だろうか。
木目の床には少しの埃がかかり、蛍光灯は複数あり点いていないものと点いているものがある。
学校にあるような椅子や机が適当に散らばり、中には倒れていたり足が折れてしまっているものさえある。
鼠色をした壁には子どもが掻いたような絵が日焼けをした状態で放置され、経った月日の長さを感じさせる。
「・・・・え?」
その絵のうちの一枚に、敦樹の目は吸い寄せられた。
一番右端に飾ってある、恐らく男性の似顔絵を描いたのだろう絵。
「・・・・・降りるかい?」
敦樹は一台だけあるパイプベッドに寝かされていたらしい。
敦樹がおずおずと頷くと、狩野創は少し顎を引いて敦樹の手をそっと取った。
「まだ一人じゃ歩かない方がいいと思うから、オレに掴って」
同じ顔。敦樹を傷付けることに何にも躊躇を抱かなかった男と、同じ顔。
信じても、いいのだろうか。
「・・・・・って、史哉と同じ顔だもんね。恐いか」
敦樹の手が震えていることに気付いたのだろう、狩野創が少しだけ悲しげに微笑む。
「降りる・・・・・・つ、掴まってても、いいですか?」
「大丈夫?触れたり触れられたり、平気?」
「多分」
「多分、か。敦樹くんは正直だね・・・・はい、大丈夫?」
こくり、と頷いて敦樹は創の手を借りながら裸足で床に降り立った。
「っ、」
やはり眩暈がしたが、すぐに治まった。
「あの、絵を見たいんです」
「分かった」
狩野創の肩を借りながら、敦樹は絵が貼ってある壁のそばへ移動する。
歩くたびに頭が痛むが、無視する。
「・・・・・・これ?」
「はい」
敦樹はじっと絵を見上げる。
ちくり、ちくりと何かが脳髄を刺している気がする。
「これね、君の絵なんだって。君が描いたんだって・・・・“大好きだった先生”をね」
「・・・・・・・・・!!」
ドクンッと心臓が跳ねる。
記憶が一瞬にして蘇る。
『私は君を裏切った』
『あんな先生のことは早く忘れなさい』
いつでもしゃんと伸びていた大きな背中。最後に会った時はその面影はなかった。
弛緩した体。だらしなく開いた口から垂れる、粘ついた唾液。
見開いた瞳は何も映さず、敦樹のことも認知出来ないようだった。
『ねえどうするの?あの子は』
『やっぱりあっちの施設に移すべきだよ』
『でもずっと園長先生の部屋で膝を抱えてるのよ?無理矢理運び出すって言うの?』
『困りましたね』
大人たちの声はあっさりと敦樹の耳にも入った。入ったが、聞こえなかった。
胸に一切響いて来なかったのだ。
「あ・・・・くん、敦樹くん!!」
「・・・・・・・・・っ、」
狩野創に強く肩を揺すられて、敦樹はハッと回想の海から還って来た。
「大丈夫?顔が真っ青だ」
「あ、すみ・・・・・ません、」
そうだ。此処は、自分がいた施設だ。実の両親に虐待された果てに、敦樹はこの施設に入れられた。
「此処は僕がいた施設なんですね?」
「そうだよ。・・・・あの人が、買い取ったんだ」
あの人、というのが誰を差すのか敦樹にはすぐに分かった。
「本当に顔色が悪い。さぁ、もう一度ベッドに横になって」
「出してください、」
「え?」
敦樹は狩野創に懇願してみることにした。
「僕を此処から出してください、兄さんのところに帰らしてくださいっ」
シャツの胸を掴み、必死に懇願する。顔は、敢えて見ない。
狩野創は黙ったまま、応えない。
「・・・・ねがい、お願いします・・・・・、」
帰りたい。母のところへ、兄のところへ。
「・・・・お願いします、」
返事が一切もらえぬまま、敦樹は何度も懇願する。だが、
「・・・・・・・ごめん。オレも出来るならそうしてあげたいけど、オレには無理だよ」
「・・・・・・・」
「君だけじゃなくて、オレも見張られてる。きっとこの部屋の外で、史哉の部下がオレたちを見張ってるから」
「・・・・そんな、」
「ごめんな、力になれなくて」
「・・・・・・」
もう二度と母や兄には会えないような気がして、敦樹は深い絶望を感じていた。
ちょっと主役の謡が引っ込み気味。神楽と敦樹が中心なのがもう少し続く・・・予定です。