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惑いと不安

今日初めて携帯が鳴ったのは、昼食も摂らずに部屋にこもっていた時だった。見るともなしに眺めていた洋楽の雑誌から顔を上げ、床に放ったままだった携帯が、ノーマルなピリリリリッという音を響かせたのだ。藪内奏は、何の気なしに携帯を手にして、

「………!」

藍田渉の名前が液晶画面に表示されており、息を呑んだ。

「も、もしもし」

聞こえてきたのは、

『奏くん?渉の母です』

渉の母親の疲れきったような声だった。

「おばさん……、渉は」

嫌な予感が藪内の頭を支配する。足元が今にも崩れ出してしまいそうな、不安定さが怖い。

『……何とか、一命はとりとめたみたい。でも、まだ安心は出来ないって、』

・・・・・・喜べば良いのか、不安になればいいのか薮内には咄嗟には分からなかった。

『奏くんは、何処にいるの?昼休憩かと思って掛けてみたんだけど、学校にしては周りが静かじゃない?』

「あ、俺・・・・・今日は、学校休んでるんです」

『そう、なの』

「・・・・・報告、ありがとうございます。渉と話せるようになったら、よろしく伝えてください」

『渉が起きたらまた連絡します。会いに来てやって』

渉の母親の言葉に、薮内は激しく動揺する。

“嫌だ、奏くん・・・止めてよっ”

泣いて恐怖に怯える渉を散々痛め付けた。

時には嬉々としながら。

時には陶酔しながら。

そんな自分が渉を見舞う?

散々傷付けたくせに、よくそんなことができるな。

「俺には、そんな資格ありません」

気付けば震える声で、口走っていた。

『え?』

「おばさんの心遣いは有り難いけど、俺には渉に会う資格はありませんから」

一方的に言って、電話を切ろうとした。

だが切る一歩手前で渉の母親の声が悲鳴じみた声を上げたから、吃驚して指を止めてしまった。

『でも渉が奏くんを呼んでるのよ!!』

「・・・・・っ、」

『私が手を握っても、病院の先生が名前を呼んでも、あの子は・・・・・渉は奏くんだけを呼んで、』

あとは声にならなかったらしい。嗚咽が受話器越しに漏れ聞こえる。

『ねえ、あの子と何があったの?昔はあんなに仲が良くて、いつも一緒にいたのに』

「俺は、俺は」

“奏くん、”

“おはよう!今日もいい天気だね”

“奏くん、ありがとう。助けてくれて有難うっ”

笑った顔、怒った顔、泣いた顔。

いろんな顔を見てきた。でも最近は、泣いた顔か苦しんだ顔しか見ていない。

自分がそうさせた。自分が泣かせた。

『とにかく、また電話します』

キッパリとした口調で告げ、渉の母親は一方的に電話を切った。

薮内は液晶画面を見たまま、しばらくそのままの姿で呆けていた。










かちかち、と静かな空間に時計の秒針だけが立てる音が響いている。

謡は刃を向けられたまま、ずっと息を詰めていた。

少女は一切身動ぎせず、刃先も全くぶれない。

「あ、あの」

「謡様、何か」

「本当に、成宮秋さんは僕に会いに来るんですか?」

「はい」

はっきりとした口調。

「秋様は必ず謡様に会いに来られます・・・・・私もどのようにこの部屋に乗り込んでくるのかひどく興味があります」

淡々とした口調で、本当に興味があるのか分からない。

「あぁ、あと秋様が現れても下手な動きはされませんように。私でもこの狭い空間であなたを巻き込まないという自信はありませんから」

その言葉に、謡は目の前の少女の本気を知る。

「あの戸田さんは、」

「・・・・あの料理をしていた女性のことですね。体には一切悪影響のない方法で一時眠って頂いているので、彼女のことを気になさる必要はありません」

体に一切悪影響のない方法とは何だろう、と謡はそんなことを思う。

「あなたは、少し暢気ですね。ご自身の危機に全く留意されていない」

「え?」

ぴた、と謡の頬に直接刃先が触れる。

ゾクッと背筋に悪寒が走り、謡は体を強張らせる。

「私が少しでも手を動かせば、あなたの綺麗な頬には赤い線が走りますよ。それを分かっておいでですか?」

色のなかった少女の瞳に、謡を侮蔑する色が差す。

「何も怯えて泣けとは言いません、ただ」

ガタンっという微かな音がして、少女、烏丸凛が口を閉じた。

「・・・・来たようですね」

薄っすらと残虐な笑みが凛の顔を彩り、ついでその笑みは不意に消えた。

怪訝そうに、開いたドアの方を見詰める。

「どうして、あなたが・・・・・、」

謡も怪訝な顔付きになる。何故なら開いたドアの先には、記憶にあるのと全く同じ青年だけでなく、

「キミを助けに来てあげたよ?芝貫謡君?」

謡と愁を暴力から助け、渉を傷付けた女性がいたから。

「謡様、」

青年は・・・恐らく彼が成宮秋だろう、一目散にベッドの上の謡に近寄ろうとする。

凛の姿に気付いているのかどうかも分からないくらいに無防備な行動だった。

「駄目だ、来たら、」

「ちょっと待ちなよ、馬鹿」

「秋様、覚悟」

謡と葉弓と凛の声が重なる。

葉弓が秋の腕を掴み、行動を抑制する。

「放してください、謡様をお助けしなきゃ、」

「馬鹿か、お前。その謡の前にいる恐い顔をした餓鬼の姿が見えないの?」

その言葉に初めて秋は凛の姿に気付いたらしい。本当に謡しか目に入っていなかったのだ。

「・・・・・・凛ちゃん、」

「・・・あなたに“ちゃん付け”で呼ばれる筋合いはありませんね」

凛は謡の髪を鷲掴みにすると、刃先を秋に向けた。秋の瞳に悲しみが宿る。

「凛ちゃん、謡様を放してあげて、」

「あなたが素直に私に従ってくだされば済む話です。・・・成宮本家にお戻りください」

「・・・・無理だよ、僕はもう家には戻れない。戻っちゃいけないんだ」

「・・・・この方を助けるために、あなたは自分を犠牲にするのですか」

凛の詰問口調に、秋はゆるゆると首を左右に振った。

「それは違うよ。謡様のことがなくても、僕は成宮を出ようと思っていた。喩えそれが父様のお怒りを買っても」

「どうしてですか?・・・成宮が決して心地良い場所ではないとは私も思います。でもずっとあの家で過ごし、成宮の寵児と呼ばれたあなたが家を出ればどんな荒波がたつかあなただってよくご存知の筈です」

凛に髪を掴れたまま、謡は困惑していた。

今まで人形のように殆ど表情を動かさなかった少女が、秋の登場と同時に年頃の少女のように感情を露わにし始めたから。

(あの人は何を考えてるんだ)

ドアの前で腕を組み、にやにやと愉快げに秋と凛の対話を眺めている女性は一体何を考え、何をしようとしているのか。

(僕を助けに来たとは、一体どういう意味なんだ・・・?)

分からない。分からない。分からない。

不意に彼女と視線が交わった。

「………………」

「………………」

謡は体を強張らせ、彼女…葉弓の動向を見守る。

「ねえねえ」

その彼女が急に口を開き、秋と凛の間に割って入った。

「謡を放してあげてくれない?髪が抜けちゃうから」

「……誰ですか、あなた」

「あなたみたいな暴力娘に名乗る名前はない」

にっこりと微笑みながら爆弾発言をする。ピクッと凛の口端がひきつるのを謡は見た。

「秋様はよくご存知のようですね」

「あ、えっと・・・・・」

「・・・・まあ良いです。あなたの目的は何ですか?」

葉弓がくすぐったそうに小さく微笑んでから、

「う・た・い」と単語を区切りながら発音する。聞くものによっては酷く苛付かせる口調である。

「謡様?」

「正直秋がどうなろうが私はどうでも良いわけ。大事なのは謡」

「僕・・・・・・?」

葉弓の言いたいことが謡には分からない。きっと凛にも分かっていないだろう。

「謡にあわせたい人がいるからさ」

「僕に会わせたい人?」

「うん。涼子だよ」

その名前にドキンッと心臓が跳ね上がる。そうだ、昨日約束した。また同じ場所で会おうと。

彼女は言っていた。ベンチで待っていると。だからちゃんと学校には行けと。

「楡乃木さんに、って」

今一事態を飲み込めていない謡を見る葉弓の目が歪に傾いだ。

「あいつ、今日この街を出る気だよ」

「・・・・・・え?」

「あいつはもう謡には会うことなくいなくなろうと思ってるけど、私それは良くないと思うんだよねぇ」


謡は心臓がドクドクと高鳴るのを止めることが出来ない。

「う、嘘だ。だって僕のこと待ってるって……だから、ちゃんと学校行けって、」

「ホント謡は目出度いなぁ」

「め、」

「父親に排斥され、弟にも見放されても他人を信じるなんてさ。謡は学習能力がないのかな?」

カッと顔が熱くなる。

「ぼ、僕は」

「と、まあこういう訳で、あたしは謡を家から出してあげないといけないの」

パッと謡から凛に顔を向ける。

「……あたしはあくまで謡様ではなく秋様に御用があるので、あなたの仰っていることは理解出来ませんが謡様を家から出すことに異論はありません。秋様を此処に置きっぱなしにしてくださるならそれで結構ですので」

「だってさ、謡。行こう」葉弓が差し出して来た手を、謡は戸惑った顔で見つめる。

「どうした。涼子に二度と会えなくなっても良いのか」

「そ、それは」

照れもあってはっきりと嫌だと言えない謡だが、葉弓にはお見通しらしい。

「じゃあ早く。こいつの気持ちが変わらないうちに」

葉弓にこいつ呼ばわりされた少女が微かに鼻を鳴らす。

「でも、」

なら自分を助けようと奮闘してくれたのであろう目前の青年を見捨てろ、と言うのだろうか。

「………………」

謡が秋を見ると、彼も謡を見ていたようでばっちり目が合った。

「謡様、僕のことは気になさらず。謡様の望むとおりに」

悲しげな瞳ではあるが、口調ははっきりと芯が通っている。

「そうだよ。こいつは腐っても元・成宮の秘蔵っ子だよ?謡が身を案じる必要はないさ」

軽口を叩き、いまだに煮えきらない謡の二の腕を掴む葉弓。

「あんたは今一番何を願ってるんだい?秋を助けること?いや違うだろ、あんたは涼子に会いたいはずだ。それが一番の願いなんだろ?」

「ぼ、僕は、」

葉弓、秋、懍から種々様々な視線を送られ、謡はなかなか決心をつけられずにいる。

答えようとした瞬間、何よりも怖い父の姿が浮かんだ。“勉強会”の最中に家から出た、と知れたら。

「謡様、お父様のことが、」

「っ、」

秋に指摘され、謡は俯く。そうだ、自分に自由はないのだ。

父が、春樹が生きている限り。

『なら殺しちゃえば?』

「!?」

この場にいる人間のものではない声がしたような気がして、謡は顔を上げた。怪訝そうな葉弓たちの視線が痛い。

「今、誰か………」

「謡様?」

秋が心配げに呼び掛けて来る。

「……要するに父上様にばれなければいいのですね?」

殆んど口を閉ざして様子を見ていた懍が、ぽつりと呟くようにして言った。

「え、」

「協力して差し上げましょうか。秋様をここに連れて来てくださったお礼に」

そうして懍は、笑った。それは見るものをことごとく不安に陥れるような、ひどく透明な笑みだった。

謡は涼子が街を出る前に再び彼女に会うことが出来るのでしょうか。でわまた次回(^^)

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