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神楽と弟

神楽さんメインです。鬼社長(?)、芝貫春樹に暇を出され、実家に帰っている彼を出迎えたのは……。謡は少し、そして愁君が久々登場…のはず。

「さぁ、烏丸懍が動いたぞ。どうする?秋」

懍がいなくなった教室で、窓から外を眺めながら誓は不敵に微笑んでいた。懍が動いたことで、秋はどう出るだろうか。真正面から謡に近付くか。

(また自分のせいで他人が傷付いたと知った時、兄貴はどうなるかな?)

もとから繊細で傷付き易い兄。それがここ最近では、そんな彼の心を(さいな)むようなことばかりが起きていて、かなり精神的に消耗しているはず。

(それに、心の拠り所になりかけていた神楽がいなくなったことが大きいのだろうな)

誓は、ふと思う。

「そう言えば、神楽は今何をしているのだろうな」

と。







「樹、帰ってくるなら帰ってくるで連絡しておいてちょうだいよ。何もないわ」

「母さん、そんな気にしないでよ。少しお休み貰っただけなんだから」

「そうもいかないでしょう。ちょっと買い物行ってくるから、敦樹のこと頼むわね」

「……はいはい、行ってらっしゃい」

賑やかな母親が出ていった途端、家は静かになった。

「相変わらず母さんは賑やかな人だ。ね、敦樹?」

神楽樹は、眠る弟の額にそっと手をやる。一昨日の晩から高熱を出して寝込んでいたのだと母親からは聞いたが、今は額も耳もひんやりとして、穏やかな寝息を立てて眠っている。

(……謡様は、穏やかにお休みになれたのか、)

謡のことを考えると、肺腑が捻れそうなほどの痛みを覚える。

「………………兄さん?」

不意に呼ばれて、神楽はハッと我に返った。弟を見下ろせば、目の前にいるのが兄だと確信を持てないのか不思議そうな目で神楽を見上げている。

「ごめん、起こしてしまったかな」

「本当に、兄さん?」

「何疑ってるの」

思わず苦笑した瞬間、いきなり敦樹が神楽にしがみつくように身を起こした。

突然のことに、神楽はギョッとする。一体どうしたというのか。

「敦樹、どうした。怖い夢でも見たのか?」

「っ、むか、昔の……夢、見てた。今日じゃ、ない……けど、一昨日から、ず、ずっと、」

(昔の、)

恐らく実の両親から受けた虐待のことだろう。

「こわ、くて、苦しくて……でも、お母さんには、お母さんには言えなくて、」

「………」

「お母さん、泣くから。うちが昔のこと思い出したら泣く……から、言え、なくて………、」

「そうか。辛かったな」

「う、ううっ」神楽は泣きじゃくる“義弟”の背中を優しく擦ってやる。

神楽敦樹は、神楽樹の実の弟ではない。敦樹は、神楽家の養子なのだ。

実の父母から酷い虐待を受けていた敦樹は、児童相談所の職員に救われ市内の施設に入所する。

人の“愛情”を知らない敦樹だったが、施設で職員や他の子供たちと触れ合う内に徐々に心を開き、子供らしく振る舞えるようになっていった。

だがその矢先、施設長が大麻所持で逮捕という事件が起き、施設は閉鎖することになった。入所していた子供たちは新しい施設に移ったり、ある家庭に貰われるなどして新しい居場所を手にしようとしていた。

だが敦樹は、ようやく手に入れた安住の地を手放すことに畏れを抱いていたのか、新しい施設に移ることも、里子に出されることも悉く拒んだ。無理矢理に彼を引き摺ってでも新しい施設に入れることは簡単だ。だが職員はそんなことはしたくなかった。大人の勝手な都合で虐待された上に、今度は大人の勝手な都合で“ようやく手に入れた居場所”を壊される。敦樹の幼く傷付きやすい心が壊れてしまうことを、職員はおそれた。

そんな中で施設長の妻から白羽の矢が立てられたのが、樹の母親……神楽倫子である。施設長の妻と倫子は高校からの付き合いであり、今も親交があった。

能天気だけと実は思慮深くて堅実。穏やかで母性本能に溢れた人。施設長の妻にとって神楽倫子はそういう印象の人間で、理想とする人でもあった。

神楽倫子は親友から敦樹を紹介され、事情も聞いた。結婚をし、神楽もすでに成人していたのに、夫にも神楽にも相談せずに親友の頼みを聞き入れた。神楽の父は、妻から養子をとることにしたと事後承諾を得られても苦笑するだけだった。そしてあれから七年。敦樹は八歳から十五歳になり、神楽は二十歳から二十七歳になった。

(もう七年。敦樹が虐待を受けていたのは五歳くらいまでらしいから、十年経った今も敦樹の両親は敦樹を苦しめているのか、)

腕の中、しゃくりあげる肩が酷く頼りなく感じられる。今時の十五歳がどの程度の体格が標準なのかは知らないが、敦樹は華奢過ぎだと明らかに感じる。神楽は義弟の頭を優しく撫でてやる。

(母さんから何の相談もなしに、今日からうちの子になったから。いいお兄ちゃんになるのよ、なんて言われたときには驚いたけれど)

神楽は大学が忙しかったし、何より敦樹がまだ八歳と幼いこともあって、なかなか馴染めなかった。決して怖い成りではないはずだが、敦樹のほうも決して自分から神楽に近付こうとはしなかった。

(……でも、無理もないよな、)

「あ、兄さんごめんっ。うち、ずっと抱き付いたりして、」

「そんなこと気にしなくて良いから。敦樹の気が済むまで付き合うから」

「……ありがとう、兄さん。でも、もう大丈夫」

敦樹が神楽から離れ、気恥ずかしそうに笑う。

「中学三年生にもなって泣くなんて……恥ずかしいなぁ」

「恥ずかしくなんかないよ。泣けるのは、良いことだからね」

心に溜め込み一人病んでいくより余程良い。

「……兄さん?」

「何?敦樹」

「兄さん、元気ない?」

いきなり核心を突かれ、息を呑みそうになる……が、寸でのところで堪えた。

「そんなことないよ、」

「兄さん、今嘘吐いた」

「!」

敦樹の円らな瞳が、神楽の“中”を覗き込んでいるような錯覚を感じる。

「う、嘘なんて」

「……うちには言えないような、こと?もしかして、うち、兄さんに何かした?」

「だからそんなことないから。僕は元気だから、」

敦樹はまだ何か言い募ろうと口を開きかけたが、しかし悲しげに目を伏せて黙ってしまった。

「……………」

「……………」

嫌な沈黙が、二人の間に流れる。

神楽は何と言って敦樹を宥めたら良いのか分からず、戸惑う。

「やっぱりうち……違う、から?」

「………え?」

「………違う、から言えないんだよね、」

違う、とは何がだろうか。神楽が敦樹を凝視していると、俯いたままの彼の口から思いもよらぬ言葉が飛び出した。

「本当の弟じゃないから、本当の家族じゃないから、言いたくないんだよね。遠慮するんだよね、」

「!!」

神楽は愕然とする。まさかそんなふうに思い詰めているとは。

「敦樹、僕は」

「ずっと、不安だった。嫌われてるんじゃないかって、うちはこの家には必要ない存在なんじゃないかって……また、元に戻るんじゃないかって……、」

「敦樹、」

「一緒に笑ってても、一緒にご飯食べてても、うち一人だけが場違いな気がして……ずっと、怖かった。要らないって、お前なんか必要ないって、いつか言われるんじゃないかって、」

神楽が呆然と見つめる前で矢継ぎ早に心情を吐露した敦樹は、苦しげに咳き込み始める。

「う、げほっ、げほっ………、げほっ!」

「敦樹!大丈夫か!」

慌てて彼の細い背中を擦る。

「っ。兄さん、こっちに戻って来れないの?」

「……え?」

「だって兄さん、げほっ…、いつも忙しそうだし、うちも父さんも母さんも、兄さんにあまり会えなくて、はあっ、寂し……げほっ、ごほっ!!」

「敦樹っ、横になって。顔が真っ青だ」

「……ぜぇ、ぜぇっ、う、ん………」

敦樹は苦しげに頷き、言われるままに横になる。

「敦樹、大丈夫?気分悪くないか?」

「う……ん、平気、」

疲れが出たのか、敦樹の瞼が重く下がってくる。だが神楽の手を握る力は強い。まるで神楽がいなくなってしまうことを恐れるように。

(敦樹と、謡様が重なってしまう……。謡様は、今頃どうされているのでしょうか)

それが、ひどく気掛かりだった。







コン、と窓ガラスに何かが当たったような音がして、謡は膝の間に埋めたままだった顔を上げた。

(……何の音だろうか、)

鳥がぶつかりでもしたのか。謡は立ち上がり、何となく窓に近付いた。だが窓には何の異常も見受けられず、窓の外にはいつもと変わらない風景が広がるだけだ。

「気のせい、か」

小さく呟き、室内に身を翻しかけた謡だったが、その視界に“何”かが入ってきてもう一度窓の外を見た。(あの人は・・・・・・・!!)

口元まである襟のシャツの上から半袖のロングコートを纏い、タータンチェック柄のミニスカート、膝下の黒いソックス、ナイキのスニーカーという出で立ち。左目は長い前髪で見えず、見える右目は猫のそれのようにつり上がり、

・・・・・藍田渉を甚振り、傷付けた人。恐らく楡乃木涼子と知り合いなのであろう人。

バンッと、謡は窓に手をつけて必死に窓の外の彼女を凝視する。

謡の視線に気づいたようで、にこりと一点の曇りもない笑顔で手を振ってくる。

その姿を見ていると分からなくなる。昨日、渉を傷付けたのは本当に彼女なのか。こちらの勘違いではないのか。

彼女が口を動かす。謡に伝えたいことがあるらしい。

だが口の動きだけでは彼女の言葉を理解出来ない。謡は更に顔を窓に近づける。

「謡様、おられますか」

いきなり女性の声とともにドアをノックされ、謡はビクッと体を震わせた。

だがすぐに声の主が家政婦の女性・・・戸田珠子だと分かる。

「な、何ですか」

咄嗟に近くにあった文庫本を開き、ベッドに寝転がる。すぐ直後にドアが開いて、四十代半ばくらいの小柄な女性が顔を覗かせた。

「戸田さん・・・ご苦労様です」

戸田珠子は事情を知っているのか、いつもは闊達としている表情を曇らせて気遣わしそうに謡を見詰める。

「お加減はいかがですか?顔色がお悪いですね」

戸田珠子は紅茶と手製らしいクッキーの入った皿の載った朱色の盆を謡の机の上に置いた。

「旦那様のご命令で謡様を部屋からお出しするわけには参りませんが・・・それ以外のことでしたら何なりとお申し付けくださいね」

「・・・・有難うございます、戸田さん」

「あ、それと、」

戸田珠子は謡の横まで来ると、そっと窓の外を覗いた。

「家の前で、女の方が謡様のお部屋の方をお見上げになっていらっしゃったので気にはなったのですが・・・まだいらっしゃいますね。謡様のお知り合いですか?」

謡は一瞬言葉に詰まったが、珠子を心配させたくなくて首を横に振った。

「僕も今気付きましたが、全く知らない人です」

知らないどころか友人が彼女に傷付けられさえしたのだが、敢えて言う必要はないだろう。

「そうですか。・・・・・・あ、長居をしてすみません。一階に居りますので、何かありましたらドアを開けてお呼びください」

「はい」

珠子は謡に一礼すると、部屋を出て行った。

謡は彼女の足音が完全に聞こえなくなってから、また窓の外を見た。

(・・・・・・いなくなってる、)

誰もいなくなってしまっている。そっと窓を開けて首を突き出して周囲を見回すけれど、片目の女性の姿はなくなっている。

「・・・・・どうして、」

何の目的で自分の前に姿を見せたのか、謡に分かるわけが無かった。











神薙愁は、気だるい体を起こして忙しなく退院の準備をする母・美佳子の背中を見ていた。

「そんなに急いで退院されなくても、」

愁を担当してくれた医師がそう言うのに、美佳子は聞こうとしない。

「愁!さっさと着替えなさい」

苛立ったような美佳子の声に、愁は肩を震わせた後でベッドから出た。

床に足をついた瞬間にふら付いたところを、看護士の支えられる。

「ご、ごめんなさい」

「謝らなくて良いんですよ」

愁は頭を下げ、着替えを始める。

午前9時を過ぎるや否ややって来た美佳子は、愁を案ずる言葉を発することなく愁を無理矢理起こした。

「お母さん、あの」

「愁は私の息子です!!あなた方にとやかく言われる筋合いはありませんっ!!」

医師が何かを言おうとするのに、美佳子がいきなり金切り声を上げた。医師も看護師も、そして愁もそんな美佳子の気迫に息を呑んだ。

美佳子は愁がまだ全く着替えていない姿を見ると、ますます苛立ちをあらわにした。

「早く着替えなさい!お前は何をやってものろまなんだから!」

「ご、ごめんなさい、」

愁は母に怯えながら医師たちの顔を伺いながら慌てて私服に着替える。

医師たちは美佳子に、明らかに不穏なものを感じている。

恐らく虐待などの可能性を疑っていそうな気がする。

「全く、匂といいあの男といい、どうして私の周りにはこんな………、」

ぶつぶつ呟きながら退院の準備を進める彼女を、医師たちは不気味なものを見るような目で見遣っていた。






「そう。敦樹がそんなことをね」

湯気の立つ緑茶を飲み、神楽の母……神楽倫子は憂いのこもった息をはいた。

時刻は午前十時半。テレビもつけない室内はしん、と静まり返って時計の秒針が立てる音だけが響いていた。

「うん」

敦樹との会話を倫子に話すべきかどうか、神楽は迷った。無闇に言い触らさないほうが敦樹の為には良いのではないのかと思ったりもした。だが、神楽一人の胸に仕舞っておくのも辛いものがあった。

だから話した。なるべく、平静を装って。

「そっか、やっぱりか」

「え?」

「あの子ね、時々すごく寂しそう、というか哀しそうな顔をすることがあるのよ」

神楽は呆然と倫子の話に耳を傾ける。

「そんな、」

「だから、何となく気付いてはいたかな。この子はもしかしたら、自分のことを卑下しすぎているんじゃないか、自分を不要な人間だと思い込んでいるんじゃないか……って」

「僕は、」

「樹も、哀しそうな顔をしてるわね。今」

「!」

いきなり話題が自分に移り、しかも鋭いことを言われ狼狽える。

「あなたが何の連絡もなく突然帰って来るから何事かと思ったけど………雇い主の方と何か悶着でもあったの?」

「別、に……そんなことは。ただ、少し休みなさいと言っていただいて、」

言葉を濁す息子を、しかし母は穏やかな瞳で見詰め、

「お優しい方なのね」

という言葉を発した。

「………、」

「そんな方のもとで働けて、あなたは幸せね」

母の言葉に、神楽は堪えきれなくなったように涙を溢れさせた。だが倫子は涙の理由を問うことはせず、ただ黙って神楽が泣き止むのを待った。







「………ん、」

敦樹は頬をくすぐる何かに気付いて、目を覚ました。瞳だけを横に動かしてみれば、兄が敦樹の首元に突っ伏している姿が目に映った。どうやら敦樹を気にかけてそばにいるうちに眠ってしまったようだ。

「兄さん、兄さん」

そっと肩を揺らしながら呼べば、兄も小さく声を上げながら目を覚ました。

鈍色の瞳が敦樹を捉える。

「敦樹。具合はどう?」

「うちは平気……兄さん、泣いたの?」

「え?」

「だ、だって頬っぺたが濡れてるから、」

敦樹が恐る恐る兄……樹の頬に触れる。

「敦樹、」

「あ、ごめっ……」

敦樹はパッと手を離した。嫌がられていると思ったのか。神楽は小さく笑みをこぼすと、そっと敦樹の頭を撫でる。

「?」

「大丈夫。悲しい涙じゃないから」

敦樹はよく分からない、というような表情をしていたが、神楽が彼を見守るように微笑んでいることに気付き、自分なりに納得をする。

「兄さん、うち、」

「今日は泊まっていくから、色々話そう」

「い、良いの?お仕事は?」

「大丈夫。今日と明日はお休みを貰ったから」

パッ、と敦樹の顔が明るくなる。

「でも明日は学校に行けるように、今日はあまり無理しないようにね」

「うん!」

神楽と久しぶりに一緒に過ごせることが嬉しいのか、敦樹は満面の笑みだ。発作を起す前に吐露した心情のことを忘れたのか覚えているのか、読み取れない。

(でも、僕が一緒にいてやれる時くらいは)

要らぬ不安は、忘れさせてあげたい。

それくらいしか、出来ないから。

(春樹様、謡様、)

今日だけは、彼らのことも仕事のことも忘れて家族水入らずで過ごすことを、神楽は誓った。








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