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惑いと乱心

成宮邸に帰る道中、秋がぴたりと足を止めてしまったので、成宮夏は一体どうしたのかと胡乱に思う。

「秋、どうしたんだ」

秋は思いつめたような瞳で夏を見返す。迷子になってしまった子どものようだ。

「秋?」

「僕・・・は、」

「?」

「僕は、謡様を助けたい、」

力なく紡がれたその言葉に、夏は眉を寄せる。

「秋」

戒めるような口調に、しかし秋は一歩も退かない。

「謡様、可哀想過ぎます。どうして謡様ばかり辛い目に遭わなければいけないんですかっ」

「秋に何が出来る」

「・・・・・・・・・・」

グッと押し黙る秋。

「秋が謡様を助けたいと思うのは勝手だ。少なくとも俺は反対しない。・・・ただ実行に移すなら全てを失う覚悟をしろ」

ぶるっと秋の体が身震いしたことを夏は悟る。

「謡様を助ける・・・この場合“勉強会”から脱走させたとしよう。しかしその後はどうする?謡様の家はあそこだ。逃げる場所も行く場所もない。まさか成宮家に連れ込むなどと考えてはいまいな?」

「そ、それは」

「最悪“勉強会”だけでは済まないかもしれないぞ?そんな危険を冒してまで、あの人を助けたいのか?」

誓に触れることが多いためか、はたまた性格の関係上か、夏はあまり謡が好きではない。

警護の関係上そういう感情を持つのはあまり好ましいことではないが、どうも虫が好かないのだ。

「だって、あの方は・・・、謡様は、」

秋が謡を助けたいと思うことをとやかくは言わないが、思うことと実行に移すことはまた別だ。

「秋。お前が謡様に借りがあることは知っている。謡様に助けられた“あの事”が頭から離れなくなっているだけだ。一時の感情で易々と行動を決めるものではない」

「い、一時の感情だなんて、僕は・・・そんな、」

秋が言葉に詰まり、涙の滲んだ目を腕で覆い隠す。

「秋、悪いことは言わない。あまり他人に執着はするな」

執着をすればそれだけ迷いや悩みが生まれる。そして更にそこから因果が生まれ、永遠に自身に絡みつく鎖になる。人はその鎖を引き千切ることが出来ず、苦しみの坩堝に入り込む。

秋のように感受性が豊かで他人の痛みを敏感に感じ取るタイプの人間にとっては特に厄介なことになる。

「俺たちの仕事はあくまで体の警護だ。心の方は、自身に何とかしてもらうしかない」

夏はそう言い放ち、歩き出す。弟は立ち止まったままだが、わざわざ振り返らない。

夏は知っている。秋が、自分の居場所は成宮家にしか、夏という双子の兄の横にしかないと思い込んでいることを。だから秋は自分に付いてくるしかないのだ、と。

「・・・・・・・・はい」

小さく返事をした秋の声を、夏は無視した。







・・・・・玄関のドアを開けた矢先、ガラスが割れるような音が鼓膜を叩いた。

「このヒステリック女が!!」

「煩いのよ、この浮気男っ」

男のしゃがれた怒鳴り声と、女の甲高い怒声が怒りの応酬をしている。

薮内は慣れた筈のそのやり取りに、しかしいつもみたいに冷静ではいられなかった。

「煩い、黙れ!!!」

リビングのドアを乱暴に開け放ち、滅多に感情を露わにしない息子が自分たちに怒鳴ったとき、夫も妻も目を丸くして取っ組み合いを止めた。

「か、奏?」

「ど、どうしたの・・・その怪我、」

母親が手を出そうとするが、薮内はその手を払う。ペチン、と気の抜けた音がした。

「俺に触るな、」

低く唸るような、手負いの獣のような口調に、二人は息を呑む。

「お前らのせいだ。・・・・・・お前らのせいで、お前らのせいで、」

両親の不仲が自分の心を傷つけ、そして傷付いた自分は周りに辛くあたった。渉を傷つけ、遠ざけた。

そんなのはただの言い訳に過ぎない。渉を突き放したのは、自分の心の弱さが原因だ。両親のせいじゃない。両親の不和のせいじゃない。全部自分が悪いんだ。

でも、それでも。

「良かったよ・・・・・あんたたちがやっと離婚を決めてくれて。清々する」

もし渉が死んだら。自分はどうするのだろう。後を追うのか。それとも意外に安らかに眠れ、といって別れを告げるのか。壊れている自分はどちらかと言えば後者を選びそうな気がした。

「奏・・・・・・?」

「・・・・・・・・・・・」

両親が薮内の親権を巡って争っている事も知っている。そして、両者とも薮内を引き取りたくないと思っていることも、知っている。

「金と住むところさえくれたら、俺は一人で生きて行くから。だからそれだけはよろしく」

もう話すことなど何もない。

話したくもない。

薮内は二人からそっと目を逸らすと、部屋を出た。直後に再開した口論を背に。








眠ろうとしてもどうしても眠れない。

謡は何度目か知れない寝返りを打った。薄闇の向こうに何気なく目を凝らすが、当然何者の姿もない。

(・・・・僕は、何を期待している、)

涼子が会いに来てくれるのを待っているのか。父の言いつけを無視しても、神楽がそばに居てくれるのを期待しているのか。

(眠れない)

無理に寝ようとすると寝られないのは不変の事実のようだ。謡は溜息を一つ吐いてベッドの上に起き上がった。

携帯は春樹に取り上げられたため、誰かと話して気を紛らわすことも出来ない。いや、却って話すべきじゃない。渉があんな目にあって苦しんでいるのに、自分だけが何の咎も負わずに世間話をすることは出来ない。

(そうだ。藍田君が苦しんでるのに、僕だけが暢気にしているわけにはいかない、)

これは罰なのだ。渉を目の前にしながら助けられなかった自分への。

そう思いでもしないと、謡はこの閉じられた状況に耐えられそうになかった。






「謡さん、何してるのかな、」

液晶画面に謡の携帯番号を表示したまま、匂はぽつりと呟いた。

場所は自宅のベッドの上。愁は今日は大事を取って入院することになったが、明日には自宅へ戻れると医師も言っていたから、心配はない。

(母さんがあんなことして・・・・。謡さんのことだから、また自分を責めてそうでいやだな)

あれは絶対に母親の美佳子が悪い。

愁のことを心配して見舞いに来てくれた謡に平手をお見舞いするなど我が母ながらあり得ないと絶句した。

あの場面を愁に見られなくて良かったと、匂はそれだけを救いに思った。

(考えても仕方ない。今日のこと謝りたいし、電話しちゃえ)

匂は思い切って通話のボタンを押して携帯を強く耳に押し当てた。だが。

「あれ、」

聞こえてきたのは、こんなアナウンスだった。

『おかけになった電話番号は現在電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないため、掛かりません』

(謡さん、電源入れてないのかな・・・?)

急速に湧き上がる嫌な予感。匂は一端電話を切ると、次に違う番号を表示させてそこにかけなおす。

『もしもし』

相手は、謡の弟、誓はすぐに電話に出た。何か食べているのか、もごもごしている。

「あ、誓?謡さんは家にいないの?」

『兄貴?それなら兄貴の携帯に・・・・って、あ、そうか』

「何よ、何ひとりで納得してんのよっ」

『一々声を張り上げるなっての。愁にも伝えといて。兄貴、当分家庭教師無理だって』

嫌な予感は的中してしまったようだ。まさか、また?

「誓、それって」

「あぁ、“勉強会”始まっちまってさぁ。兄貴が親父怒らせて」

だから携帯が繋がらなかったのか。恐らく父親に没収されてしまったのだ。

匂は眉を潜めた。謡は一体何をして父親を怒らせたのか。まさか愁を見舞いに行ったことが癇に障ったのではあるまいな。

だとしたら、と思うと遣る瀬無い気持ちになる。愁が倒れたことに謡は関係ないのに。

「それって、愁やあたしのせい?」

恐る恐る尋ねると、しかし返って来たのは誓のはぁ?という言葉だった。語尾が自棄に上がり調子なのが腹立たしい限りである。

「匂と愁の?全然そんなんじゃないよ」

「じゃ、じゃあどうして?」

「何か兄貴が夜に家を出て行ってさ、帰ってきたのとほぼ同時に親父も帰って来て。兄貴が遅くまで外出してたことが分かった途端に親父が爆発しちまってさぁ・・・・・最近、まあ大分前からだけど二人の間って緊張してたし」

あっさりとした口調で言う。匂はこいつは本当に謡さんの弟なのだろうかと怪訝に思う。兄を心配しているようには全く思えないのだが。

「それで、謡さんは」

「さぁ。寝てるか本でも読んでるか、もしかしたら親父に怯えて糞真面目に勉強でもしてるかもな。俺ですら話すこととか部屋に入ることとか禁止されてるから良く分からんけど」

今度は投げやりな口調。匂は段々腹が立ってきた。

「何よ、あんたって本当に謡さんの弟なの?お兄さんが辛い目に遭ってるのに、あんたそれでも平気なの?」

気付けばそんな言葉を発していた。言い過ぎたか、と匂が思っていると意外に朗らかな笑い声が携帯から流れて来た。匂は思わずギョッとする。

「ち、誓?」

『匂面白いこと言うなぁ』

「ちょ、ちょっと気でも触れた?」

どうしよう、これ以上誓が変になったら会話が成り立たないような気がする。匂は本気で焦った。たとえ好きではない幼馴染でも自分の発言のせいでおかしくなったら気が引ける。

『大丈夫。触れてないから・・・いやぁ、匂は相変わらず言うことが上手い』

「は、はぁ?」

『そうか、そうだよ。今一俺が兄貴のことを心配出来なかったのは、そう言う可能性があるからなんだ。別に嫉妬、ってわけじゃないんだよな』

「・・・・・・」

なにやら誓の中で何らかの折り合いがついたらしい。

『兎に角兄貴と連絡をとることも会うことも出来ないから。多分一週間くらいで“勉強会”は終わるとは思うけど、親父の気分次第だろうからあまり期待はしないように』

そう言うと、誓は匂の言葉も待たずにいきなり電話を切った。ブッと音がして、続いてツーツーという音がして、いやに匂の耳についた。

(・・・・・別に嫉妬、ってわけじゃない?・・・どういうこと?)

手の中の携帯を見たが、もう誓と話す気にはなれず、匂は携帯をベッドの上に放った。









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