謡と誓
最近筆が遅々として進まないです・・・。そして物語の筋道が破綻していないか、ものすっごい不安です。
読んでいただけている方、ありがとうございます。
泣き疲れて眠ってしまったようだ。神楽は、そんな謡の額を優しく撫でる。弟にだぶる寝顔に、肺腑が痛む。
(謡様、いつもお守りすることが出来ず、申し訳ありません………)
父親に手を上げられ、罵られ傷付く謡を守り、助けることが出来ない。いつも、いつも……。
(私は、)
確かに神楽の雇い主は春樹だ。謡ではない。だが、だからといって傷付いてばかりの謡を助けたいと想い、助けようとするのがおかしい・間違っているとは思えない。
『神楽さん、あの人をよろしくね』
春樹の妻であり謡の母である女性は、駅のホームで背中を押される前日、神楽にそんなことを言ってきた。彼女は自分が次の日にあんな凄惨な目に遭うことを予期していたのか。
(でも私には、)
春樹の闇を取り除くことも、謡の傷を消すこともできずにいた。そして、ついには暇まで出されてしまった。なんたる道化。滑稽過ぎる。
「申し訳、ありません」
自分の無力さに、うちひしがれる。
『お兄ちゃん!』
『神楽さん!』
いつしか重ねていた、実弟と謡の姿。バカみたいだ。神楽は一人自嘲する。
「ん、」
謡が身動ぎする。早く此処から立ち去らなくては。
(謡様、申し訳、ありません)
握っていた冷たい手を離す。謡が眉を寄せるが、起きる気配はない。
「失礼、します」
溢れそうになる涙を堪えながら、神楽は足早に謡の部屋を後にした。
誓は彼には珍しい気難しげな顔で家に向かっていた。その足取りは重い。
(はあ………)
内心でため息をつく誓の背後に、音もなく人が立つ。声を投げる。
「ご苦労様。あの人は?」
「しばらく動けぬようにしておきました。誓様を追いかけられては困りますので」
「そう」
バカばかりだな、と誓は鼻を鳴らす。父親の逆鱗にわざわざ触れようとする兄に、兄を苛めておきながら兄の身を案じる藪内という奴に、過度の期待をかけすぎて手を出す父親に。誓の周りにはバカが多すぎる。神楽も、匂も、愁も。
(所詮兄貴に芝貫グループを継がせるなんて、無理な話なんだ。あんな腰抜けに、何が出来るっての?)
昔から泣き虫で、そのくせ変なところで一人抱え込んで。うじうじ悩んで。
(見てて苛々する。あんなのが兄貴だなんて、俺は全くついてない)
「今宵の誓様は、色々思案中のご様子」
誓は護衛……成宮夏の言葉に苦笑する。
「俺だってたまには考え事もするさ……そういえば秋はどうした?気配がないが」
「秋なら謡様を護衛中ですよ。まぁ、見ているだけですが」
芝貫グループの中には、警備・警護専門の部門もあり成宮家はその部門のトップの座を欲しいままにしている。成宮の現・当主、成宮雅博には双子の息子がおり、それを夏・秋という。双子ではあるがほとんど似ていない。そのくせ、両者とも右目の下に泣き黒子があったりする。
「秋も変わっている……兄貴を見て何が楽しいのか」
「誓様に変わっていると言わしめるとは、秋もなかなかやりますね」
「……それは明らかに俺を馬鹿にしてるな?」
「さあ」
惚ける夏に苦笑を向け、誓はまたため息をつく。
「謡様がご心配ですか?」
「誰が。呆れてるんだ」
ぶっきらぼうに言う誓。
「まあそういうことにしておきますよ」
「本気で俺を怒らせたいみたいだな?夏」
「さあ」
「………」
誓はまたため息をついて、家路を辿った。
……激しい頭痛で目が覚めた。
「くっそ、あの野郎……」
喉元もズキズキと痛む。誓の護衛とやらに気管を絞め落とされ、意識を失っていたようだ。
藪内は片手で頭で押さえながら立ち上がる。
(……あの誓って奴、本当に謡の弟か?性格違い過ぎるだろ………)
砂を払う。こんなとこで寝ている場合じゃないのに、自分の不甲斐なさに腹が立つ。こんなことなら謡に会おうとは思わずに、渉のそばに……、
(………いや、)
自分は渉のそばにいる資格がない人間だ。そんなことは出来ない。
「兎に角芝貫に会わないと、」
どうして渉が腹を刺されて重傷に陥ることになったのか、その経緯を訊かなければ。
……だが、訊いて自分はどうするのだろう。渉を刺した人間に仕返しをするのか?渉を助けられなかった謡に報復をするのか?
(……俺は一体どうしたいんだろう………、)
分からなかった。
神楽の温かい手が好きだった。いつも冷たい自分の手を握ってくれる神楽の手が嬉しかった。この人は自分を、芝貫グループの人間としてではなく、芝貫謡という個人として見守ってくれているのだと幼心にも感じていた。叱るときも、怒鳴りつけたりはせず諭すように、突き放すことなく怒ってくれた。子供である自分の目線で話してくれた。
(神楽、さん……)
目が覚めたとき、神楽の姿はなかった。寝る直前に握ってくれていた神楽の手のぬくもりは疾うに消えていた。謡はギュッと拳を握り締める。
(僕が奪った。神楽さんの居場所を奪った・・・・・・)
脳裡に浮かぶ、哀しげな神楽の顔。そして、腹を刺されて苦悶に顔を歪める渉の姿。
二つが謡を責める。お前さえいなければ自分はこんな目に遭わずに済んだのに。
そう言われている気がして、どうしようもない。
ぶるっと、体が震えた。自分は要らない人間ではないのか。存在してはいけない存在なのではないか。そう思えてきた。
(・・・・・ダメだ。こんなことを考えてたら、匂ちゃんや愁君が心配する。笑え、笑うんだよ)
あの子達を泣かせるのだけはダメだ、と謡の中の“何か”がブレーキをかける。
(悲しむのは、僕だけで十分な筈なのに、)
すでに神楽を悲しませた。渉を危険な目に遭わせた。涼子の言では死んではいないようだが、恐らく生きるか死ぬかの瀬戸際にいるに違いない。謡のせいで。
(ダメだ、ぼんやりしてると余計なことばかり考えてしまう……何かしていないと、気が狂いそうだ。)だが部屋からは出られないし、携帯も取り上げられた。かと言って勉強する気など一切起こらない。
「……………」
謡はベッドに再び寝転がり、見慣れた天井を見詰める。体が酷くだるい。熱があるのだと自分でも分かる。鈍く頭が痛み、微睡むことも出来ない。ただ天井を見詰める。
(楡乃木さん、)
明日も会うと約束した。渉の身に、そして謡自身の身に何が起きたのかを教えてもらうために。
(無理、だなぁ……)
“勉強会”は絶対命令だ。抜け出し、それが露見しようものなら謡の行く末は暗い。父がどのような暴挙に出るか、考えるのも怖い。
(誓に……、ダメだ)
他人に迷惑をかけてはいけない。ただでさえ今日修羅場を誓に味わわせている。これ以上、誓に迷惑をかけられない。
匂や愁には物理的にも心理的にも相談できない。神楽は暇を出されてこの部屋にやって来ることが出来ない。
(僕が、悪いんだけど・・・・)
でもどうしても渉を助けたかったから。自分のせいで攫われたのなら尚のこと。
まだ脳裏に赤が焼き付いて離れない。目を閉じても瞼の裏にちらつく。
(藍田君・・・・・・、死なないで)
今は願うことしか、謡には出来なかった。
誓は自宅の前で足を止め、傍らの青年を見上げる。
「夏、護衛はもう良い。家に帰って休め」
「はい・・・・あぁ、秋」
夏が目を遣った闇の先に、小柄な人影があった。謡の部屋の窓を見上げることの出来る場所にいたようだ。
「夏、」
蚊の鳴くような声で、秋が夏の呼びかけに反応する。
「秋、おいで。誓様に挨拶して」
しかし秋は怯えたように誓から目をそらして、夏の背後に隠れる。夏とは違って女性的な顔立ちで、まだ高校生でも通りそうなくらい幼い雰囲気を醸し出している。長めの前髪が大きな目を隠す。
「秋」
「・・・・・・・」
「良いよ、夏。気にしない」
誓は締りのない笑みを浮かべ、夏たちに後ろ手に手を振りながら家の中へ入っていく。
だが玄関のドアを締め切る前に、誓は自分を凝視している秋に向けてにっこりと微笑んだ。遠めにも秋がビクッと身を震わせて夏の背後に完全に隠れたのが分かった。
「・・・・・・・・」
お休み、と心の中で呟いて、完全にドアを閉めた。
誓の本当の性格を、夏も秋も知っている。残虐で自己中心的で策士。夏はそんな誓に面白みと敬意を感じているが、彼とは違って箱入りで溺愛されて育った秋には誓が不気味で恐ろしく思えるのだろう。今日の様子で大分マトモになった方で、出会った頃など絶対にそばに近づこうとはしなかったし、顔すら見れなかったほどだ。
(・・・・・・・何故か秋は兄貴が気になるらしい。折りをみて親父に相談してみるか)
“勉強会”に突入した謡の脱走の手伝いでもされたら堪らない。
春樹の耳に入れるくらいはしておいた方が良いだろう。
「親父、まだ起きてたの」
リビングでは、春樹が飲酒をしていた。目の前の机には、神楽の名刺が一枚置かれ、春樹の目はそれから動くことはない。
(後悔か、嘲笑か。何を考えているのか)
神楽も馬鹿な男だと思う。縁切りされる恐れのある行為をする理由がサッパリ分からない。
(誰も彼も兄貴、兄貴、兄貴。あんなのの何処が良いんだ)
嫉妬ではないと思いたい。誰も自分を見てくれないという子どもじみた理由で謡を軽蔑するのではない。誓は自分にそう言い聞かせる。
「・・・・・酒、ほどほどにね」
春樹からの返事はない。誓は一日で何度目になるか分からない溜息を、本当に、本当に小さくついた。
誓の本性が徐々に明るみに。誰にも負けないエグイ性格にするつもりです(え?)