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再会へのキス

「………?」

謡は痛みを堪えながら、顔を上げた。

少し霞む視界の中、一人の女性がつかつかと歩み寄って来る。口元まである襟のシャツの上から半袖のロングコートを纏い、タータンチェック柄のミニスカート、膝下の黒いソックス、ナイキのスニーカーという出で立ち。左目は長い前髪で見えず、見える右目は猫のそれのようにつり上がって笑みの形に歪んでいる。(楡乃木、さん…?)

一瞬西崎臨海公園にいる楡乃木涼子に見えたが、別人だ。だが、似ている。

「何だ、お前は」

謡と愁を暴行していた三人が謎の女性に突っかかる。その隙に、痛む体を圧して、謡はぐったりした愁に膝を使って近寄る。

「愁君、愁君!大丈夫!?」

「うた、謡さん…?」

唇の端から垂れた赤い液体が白い首筋を濡らして、腹の痛みに低く呻く。匂ちゃんがこれを見たら構わず三人に突っかかるに違いない。

「痛い…」

「ちょっと待ってて」

今度こそ携帯を取り出し、父親の携帯を鳴らす。相手は珍しく二回という短いコール音で出たが、父親ではなかった。

「はい、春樹さまの携帯電話でございます」

耳に心地よいハスキーな声。父親ではなく彼が出たことに我知らずホッとする。

「もしもし、神楽さんですか。謡です」

「これは謡様。どうされました」

「あの、父は」

「春樹さまは急な会議に入られまして、取り次ぎはできかねますが……」

心苦しそうな声に、謡は慌てる。父親が多忙なのは今に始まったことではないし、それで神楽が負い目を感じる必要はない。

「お願いがあるんです。小さい車で良いんで、一台回してもらえませんか?…神薙の長男が、怪我をしまして」

これが父親相手なら、お前はまだあのくずと交際があるのか、とかそんなことに回せる車はないだとか言い出すが、神楽に限ってそれはない。

「愁様が?分かりました。私の権限で一台お車を回します。どちらへ伺えば宜しいですか?」

「えっと、辻音大通りを一本奥に入った路地で……“ペイン”という潰れた雑貨屋の前です」

こんな説明で分かるだろうかと不安になったが、神楽は分かりました、とあっさり言ってくれた。

「あと、女の人が」

俺たちを庇ってピンチです、と続けようとした矢先、ドガッという物々しい音が謡の耳を打った。

「!?」

音のした方を見て、謡も愁も愕然とした。学ラン姿の少年三人が無様な姿になって倒れていた。ピクピクと手やら足やらが痙攣しており、そんな彼らをニヤニヤと笑んで女性が見下ろしている。なかなかにシュールな光景だ。

「三人束になってこの程度か。眠気覚ましにもならんのう」

(あいつらを皆、一人で……?)

謡は信じられぬ心境で女性を眺めていた。携帯から神楽の声が聞こえて来て、慌てて耳に充て直す。

「謡様、どうかされたのですか?まさか謡様までお怪我を?」

謡や謡の父親、春樹のことになると視野が狭まる神楽に、謡は慌てて否定をする。確かに殴られ蹴られもしたが、正直に申告しようものなら三人の命は保証できなくなる。愁を傷つけたことは許し難いが、死んで欲しいとまでは思えないし、神楽に人殺しにはなって欲しくない。

「俺は平気です。…車、お願いします」

「分かりました。すぐに回させていただきます」

携帯を切り、謡は蹲って震える愁に自分が着ていた上のシャツをかけてやる。

「あまり変わらないと思うけど」

雨は本降りになりつつあった。初夏とはいえ、雨は冷たい。そろそろ梅雨かな、と謡は思う。

「で、でも謡さんが、」

「俺は大丈夫」

愁が目を伏せて、項垂れる。

「ありがとう……ございます」

消え入りそうな小さな声。謡が応えようとすると、

「そんな言い方では相手には伝わらぬよ、少年」

「!?」

いつの間にか、三人を伸した猫目の女性が二人の前にやって来ていた。にこやかな笑みが小さな顔を縁取っている。

「あ、助けてくれて…ありがとうございます」

謡は慌てて立ち上がり、頭を下げる。

「何、礼には及ばんよ。少し暴れたかったのもあるしの…しかし最近の子供は弱くて詰まらん。時代の流れかのう」

「は、はぁ」

不思議な物言いの人だな、と謡は思う。愁を見れば、彼もぽかんとした表情で女性を見上げている。

「弱いもの苛めなど言語道断よのう。主、痛みはないか」

主、と呼ばれたのは愁だ。愁は慌てて首を立てに振る。

「血が出ておるところはちゃんと消毒せなあかんよ?兄ちゃんも気ぃつけたり」

「は、はい」

ついには方言まで出始める。本当に不思議な人だ。

「時に主、」

「は、はいっ?」

「……」

真顔で見つめられ、謡は顔が赤くなるのを感じた。猫目が、謡を観察…というより走査している。

「ふむ、主が…の」

何かを納得したかのように呟き、女性は満足気に微笑んだ。謡は首を傾げるだけだ。

「ふふっ、主とはまた会う気がするのう」

「は、はあ」

「その時は、どうぞ良しなに」

そして、

「!?」

いきなり女性が自分の頬にキスをして来て、謡は瞠目する。女性がその様子を見て、嬉しげに笑う。

「初い(うい)反応」

「っ、」

赤面する謡にウィンクを残し、女性は軽やかな足取りで去っていく。降る雨など何のその、と言った風に。その背中を謡と愁は呆然と見送った。




「愁のバカ!」

謎の女性と出会って約一時間後。愁は姉の叱責に怯えて項垂れていた。

「に、匂ちゃん余り強く言わないであげて」

「謡さんは黙ってて下さいっ!!」

「は、はいっ」

神薙匂は、錠剤を愁の鼻先に突きつけた。

「何で外出するのにこれを持って行かなかったの!案の定発作起こして謡さんに迷惑かけてっ」匂が持っている錠剤は精神安定剤の類いだ。愁は定期的に精神科にかかり、薬を貰っている。外出の際には携帯を医師からも言われているのだが。薬に頼ってばかりいたくないと言った愁を、謡は止めなかった。だから愁ばかり怒られるのはおかしいと謡は思うのだが。

「あ、あのさ僕も悪かったわけだし、愁君も疲れてるし、」

「謡さんは、」

「匂うるさいぃ〜」

「誓!」

何火に油を注ぐようなことを言うんだと、謡は呆れる。叱られたと思っていないのか、誓は兄に怒鳴られてもにへらと締まりのない笑顔を浮かべるだけだ。

「誓、お前はもう少し…、」

苦言を呈そうとした時、携帯が鳴った。誰だろうとディスプレイを見た謡は、無意識に眉を顰めた。父らしい。匂たちから離れ、謡は携帯を耳にあてた。深呼吸をして、耳を澄ませる。







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