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妹の歪んだ愛情

『姫様!!』

「!?」

“彼”の声が聞こえた気がして、涼子は顔を上げた。結局謡が立ち去った後も、涼子は公園から離れる気になれず、ベンチに座って俯いていたのだ。何故か今は海に目を遣ることが苦痛で仕方なかった。海を見ているだけで思い出す。温かい手、優しげな瞳、そして、何処か寂しげな笑顔。涼子を抱き締めてくれたときの、優しい息遣い。

(一体どうしたというんだ、私は。この胸を劈くような気持ちは、何だ)

本当は謡の後を追いたい。だが、何故か足が萎えて動けない。

過去に浸り、体から力の抜けた状態だった彼女の耳に飛び込んできたのが、姫様、という言葉。しかも、“彼”の声で。

「まさか、謡・・・・・・・?」

“彼”に似ている謡。やはり、そうなのか。

謡は“彼”の生まれ変わりなのか?そして、“覚醒”したのか?

「行かないと、」

もし本当に謡が“彼”で、“覚醒”したのなら、

(私は、あの方に会わなければいけない。そして、あの時言えなかった言葉を、言わなければならない)

ここで、蹲っていても仕方ない。動かなければ。本当の待ち合わせ場所は此処だが、優しいあの人なら、再会の場所が少し変わったくらいで怒ったりはしないだろう。

『全く、姫様は仕方ないお方ですね』

困った顔で、それでも頭を優しく撫でてくれるはずだ。そして私は子ども扱いしないで下さいと怒るのだ。それを見た父様と母様がクスクスと笑い合うのだ。

「・・・・・・・」

涼子はベンチから立ち上がると、海に少しだけ目を遣った後すぐに駆け出した。






「兄様、お久しぶりです。また兄様にお会い出来て、私嬉しい限りです」

渉は霞む目で、謡が立っているであろう方向を見た。ゆらゆらと蜻蛉のように視界が頼りなく揺れ、しかと彼を認めることが出来ない。それでも、謡が酷く怒っているのが分かった。

(・・・・・・・芝貫くん、にげ・・・て、)

頭もぼんやりしてきた。刺された腹は何故か痛みを発しておらず、苦痛はない。ただこのままでは自分に待っているのは確実に“死”であることは理解しているつもりだ。それでも恐怖を感じないのは、恐らく、

「葉弓、今もまだ、死に囚われているのか」

謡から発された声の低さに、渉は驚く。

「兄様があの女に囚われているのと同じです」

「葉弓、もう(すず)様を認めてくれ。あの方は、姫様はもう十分苦しまれた」

「私よりもあの女を取る、というのですね」

葉弓が爪先で渉の頭を小突く。ゴッという音とともに、渉の頭がぶれる。

「うあ、あ」

「葉弓、頼むから彼は解放してやってくれ。彼は関係ないだろう」

謡の真っ黒な黒髪が何時の間にか伸びていた。腰の半ばまで垂れたストレートの黒髪。

(あ、れ・・・芝貫くんの周り、何かユラユラしてる・・・?)

渉の気のせいだろうか。彼が見る限り、謡の周囲に靄のようなものが漂っている。それも、赤い、

(・・・・・・・けい、たい)

ズボンのポケットに入れていた携帯電話が、何時の間にか外に飛び出し、床で震えている。

渉は携帯に手を伸ばそうとするが、もう限界だった。闇が、襲ってくる。

(奏く・・・・・、)

意識を失う直前に浮かんでいたのは薮内奏の顔で、渉は唇の端に微かに笑みを浮かべて体から力を抜いた。




(あの少年を早く安全な場所に運ばなくては・・・命が危ない)

謡、いや、涼子の言う“彼”は、葉弓を睨みつけた。葉弓がにっこりと血に塗れた手はそのままに、微笑む。

「兄様の黒髪、綺麗なままね」

「葉弓、」

「兄様、今も涼・・・ううん、楡乃木涼子のことが好き?」

「お願いだ葉弓。その子を外に出してやってくれ」

葉弓は彼氏を焦らす恋人のように、どうしようかなぁともったいぶったように笑う。

「兄様の頼みだから聞いてあげたいけど、どうしようかなぁ」

「・・・・・・・」

「その子が死んで絶望に顔を歪める謡を見たい気もする」

“彼”は、悲しげに目を伏せて妹に問い掛ける。

「・・・・どうして?そんなに謡が・・・この体の持ち主が嫌いか」

「ううん、謡のこと可愛いと思うよ。初めて目にした時からずっとね」

「じゃあどうしてそんなことを言うんだ?」

葉弓は分からないの?と訊いてから、

「だって謡は涼子のお気に入りだから」

とあっけらかん、とした口調で応える。

「え?」

「あたし、涼子の大切なものは悉く壊したくなるの。それは“昔”から変わらない。あいつが涼だったときからずっと」

だからね。

葉弓はぐっと身を乗り出し、兄の顔を穴が開くほどに見つめる。兄が怯んだ瞬間を見計らい、

「!!」

“彼”に口付けを施した。

愕然とする“彼”だったが、すぐに我に返って葉弓の体を突き放す。

「葉弓!」

「だから、あたしはずっと兄様を壊したくて仕方なかった。・・・・・・ずっとあたしだけのものだった兄様が涼のものになってから、涼の大切なものになってから、あたしは兄であるあなたを壊したくて仕方なかった」

「葉弓・・・・・」

「あたし、兄様が謡でよかったと思う。だって別人だったら、兄様と謡それぞれを壊さないといけないでしょう?でも同じ体に同居してるなら、一石二鳥じゃない。同時に壊せて、楽でしょ?」

葉弓が再び“彼”にキスしようとする。

「葉弓、止めなさい!」

何とか唇と唇とが触れる直前に葉弓を突き放すことが出来た。

「・・・・・・・」

葉弓は一瞬哀しげな顔になったが、すぐに不遜な笑みになる。

「ふぅん、兄様はそいつが死んでもいいのね?」

「!」

葉弓がスイッと細長く白い指を渉に向ける。渉はぴくりとも動かず、声を出すこともない。

(・・・彼に何かあったら、謡が疵付く。それは避けなければ・・・・・)

「・・・どうしたら彼を解放してくれるんだ」

「もう死んでるかも知れないよ?」

「………」

「もしかして、兄様……執着していらっしゃるの?」

「!」

痛いところを突かれたように、胸が痛む。

「いえ…あの少年に執着しているのは兄様でなくて謡の方かしら?」

渉は謡を苛めるグループに腰巾着ながら属していた。渉と謡は和解したばかり。謡が渉に執着する理由はない気がするのだが。

「あ、なるほど」

葉弓が何かに気づいたかのように薄く笑い、“彼”は背中を粟立たせた。

「あの子も“そう”なのね?」

「まさかっ……!!」

「誰の“代わり”なんだろうね?兄様?」

唇を噛む“彼”。が、不意にその顔が何かに気付いたかのように強張る。

「姫、さ……ま?」

葉弓も気付いたのか、ムッと唇を尖らせる。

「なぁんだ…もう来ちゃったのか。詰まんない」

「!」

“覚醒”したての“彼”では、葉弓には太刀打ち出来ない。あっさり目の前に踏み込まれ、胸に手を当てられる……その瞬間、

「………っ、」

葉弓の腕が胸の“中”に入ってきた。衝撃とえもいわれぬ感触に“彼”が苦悶の表情を浮かべる。

「兄様の“中”、温かいわぁ……食べちゃいたいくらい」

「っ、はっ、ゆみ……やめ、」

「また会いましょうね、兄様…そして、謡」

「っ……」

頭がぼんやりとして来た。意識が飛びそうだ。

「お休みなさい」

最後に見たのは葉弓の狂気の笑顔で。

「……涼、さ…ま」

会いたかった。長い時を経て、再び会えると思ったのに。あの、二人が好きだった海の前で。

“彼”は床に崩れ落ちる自分を何処か遠くに感じていた。






涼子が葉弓の気配を感じてたどり着いたのは、廃業になって久しいアンティークを扱っていたらしい店だった。

「大丈夫か!」

謡がぐったりと意識を失って床に倒れているが、傷があるようには見えない。だが、藍田渉という少年が血塗れで倒れている。正直彼が死のうが生きようが涼子には興味がなかったが、彼が死ねば謡がどのくらい哀しむか涼子は何となく分かっていた。

(葉弓は逃げたか……とにかく救急車だな)

謡を残したままだと何かと面倒だ。涼子は謡を背負い、通りに人がいないことを確認して店を出た。

救急車を呼ぶのに、公衆電話を探なければ。謡を背負い、涼子は小走りで公衆電話を探したのだった。








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