重なる今と過去
「藍田、くん・・・・・?」
藍田渉は四肢をロープで縛られた状態で、ぐったりと床に倒れていた。唇が切れて流れる血はまだ乾いていない。すでに頬に蒼痣が出来始め、片方の瞼が腫れて熱を持っている。アンティークを飾るためのガラスのショーケースが割れ、その破片が散らばっているところに倒れているので、ガラスの破片で怪我をしていないか不安になる。
「藍田君、藍田君、確りしてっ!!」
渉を抱え起こすと、苦しげな呻き声を漏らしながら瞼を震わせた。
「藍田君っ!!」
「し、ばぬき・・・く」
「大丈夫!?今解くから、」
「!!うし、ろ・・・!」
ブンッ、と背後で何かが振り上げられるような音がして、謡は右腕で渉の頭を抱え、左腕を身を庇うように翳した。
「うっ・・・・!!」
鈍痛が左腕に走り、謡は呻いた。何か鈍器で殴られたらしい。
「あっは、避けないんだ。格好いい」
襲撃者はやはり葉弓だった。薄闇の中、右腕に何かを持っているのが分かる。
「っ、藍田君は、返してあげてくださいっ、」
謡の必死な声に、葉弓がけらけらと哄笑を上げる。
「君、あたしのお話聞いてたのかな?君には起きてもらわないといけないんだ・・・・・よっ!!」
「うああ・・・っ!!」
葉弓の攻撃がまた左腕を強打する。抱えられた渉が体を震わせる。
「芝貫くんっ」
「ほらほら、大事な友人が怪我をして泣いてるよ!?助けてあげなよ、涼子を守ったときみたいに、偉大な“力”でさぁっ!!」
葉弓は謡の左腕を殴ったスパナを放り出すと、謡の後ろ髪を引っ張り上げた。謡が痛みに顔を歪める。
「いっ・・・・・!」
「まだダメなの?仕方ないな、君の目の前でお友達を可愛がってあげるよ」
「ひっ・・・・・!!」
謡を突き飛ばし、守るものの無くなった渉の胸倉を掴み上げる。恐怖に顔を歪める渉を、葉弓の左目が捉えた。何時の間にか左目を常に覆っている前髪は、風もないのにふわりと浮いている。左目は他者を傷つけるのが楽しくて仕方ない、というように醜悪に歪み、渉は恐怖に歯をがちがちと鳴らす。
「はな、放して、」
「貴様には悪いが、兄様を起こす種になってもらうよ」
兄様?と一瞬怪訝に思った瞬間、
「・・・・・・・・・!!」
ずぶっと、自分の腹部から不気味な音が響いた。目の前に、にっこりと笑う葉弓の笑顔。
痛い、というより重い、と思った。ぐりぐりぐり、と何かが押し込められていく感覚。
「あ・・・かはっ、」
自分の身に一体何が起こっているのか、渉には理解出来ないでいた。
「藍田、く、」
尻餅をついたまま、謡が呆然と自分を見ている。
「痛い?痛いなら泣き叫んでよ、そして兄様を起こしてよ」
葉弓はうっとりと恍惚とした笑みを浮かべ、渉の腹に突き刺したガラス片を握り締める。掌の皮膚が裂け、鮮血がぽたりと滴る。
「・・・・・・・・」
声が出ない。謡に、早く逃げてと言いたいのに、ヒューヒューという掠れた音しか出ない。
「早く叫べよ」
葉弓の口調に苛立ちがこもる。ブッ、という音を響かせて凶器が腹から抜かれる。ぼたた、ぼたた、と血の固まりが埃塗れの床に赤い花を咲かせる。
「・・・・・・っ、」
立っていることが出来ず、支えを失った渉の体は床に沈んだ。
葉弓は血のついた手をぺろりと舐め、茫然自失としたままの謡に下卑た笑みを送る。
謡は吐き気に体を強張らせる。
(藍田君が、死んでしまう、)
『・・・・・・姫様を、お守りしなければ』
(起きる、僕が起きれば・・・起きるって、どういうこと?)
『こんな出自の定かではない僕を愛してくれた姫様を守らなければ。もしそれで僕が疵付き、命を散らす結果になったとしても、あの方だけは』
自分の“中”で誰かの声がする。自分より低くて耳に心地よく響くテノール。
『そのせいで姫様が涙されても』
(・・・・・・誰?)
『きっとまた、生まれ変わって、会えると信じて、僕は』
(生まれ変わって、会える・・・・・・)
自分はこの声の持ち主を知っている。そう、ずっと昔に聞いたことのあるこの声。
「兄様、早く起きてください!大事なお友達が死んでしまいますよ!この私の、あなたのたった一人の妹の手にかかって!!」
『“死”に魅せられたあの子を救えるのは実兄の僕だけ。だから、姫様には、』
(あつ・・・・い、)
謡は胸が急に熱を持ち始めて、動揺する。
目の前では、葉弓が渉をどう痛めつけようか考える光景が広がっている。
(・・・・・藍田君は無傷で返すって、薮内君にも約束したのに・・・・・・)
目の前に広がる赤い血溜まり。倒れたままの渉。その姿が、
(え・・・・・・?)
何故か楡乃木涼子に重なり、
頭が真っ白になり、次の瞬間、
「姫様っ!!!!!!」
どうしようもない胸の痛みに襲われて、謡は叫んだ。
なぜ涼子のことを“姫様”と称したのかも、理解せぬままに。
ついに謡が目覚める・・・かも。というより先に渉を助けなきゃ・・・・・。