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葉弓の策略

美佳子は怒りに顔を歪めながら匂と謡に近付いていき、戸惑う謡にいきなり平手を喰らわせた。

「母さん!!」

ようやく病院に来たと思えば、いきなり謡を叩くとは。自分の母親ながら理解出来ない。匂は謡と美佳子の間に体を滑り込ませ、美佳子から謡を守るように両腕を広げた。待合室にいた人たちが何だ何だと様子を伺っているがそれどころではない。

「何するの、母さん!!」

謡は匂に守られる格好で頬を押さえて固まっている。

「匂、どうして芝貫の人間がここにいるの・・・・・・!!」

「しゅ、愁のこと心配して来てくれたんじゃない!そんな言い方しなくたって・・・!」

「愁のことが心配?どうかしらね、悄然としてるあなたを慰めて取り入ろうって魂胆だったんじゃないのかしら?」

後半は謡に向かって言っているようなものだった。謡が、

「ぼ、僕はそんなつもり、」

と否定の言葉を発そうとするが、美佳子に

「黙りなさい!!」

とヒステリックな声で一喝されて口を噤んだ。

「早く帰りなさい。これ以上匂と愁に関わらないで頂戴」

「母さんっ、」

「匂、愁の様子を見に行きますよ」

「待って母さん、謡さんに謝ってよ・・・!」

美佳子の足が止まり、悪鬼のような顔で匂を睨む。まずい、と謡の中の何かが警鐘を鳴らす。自分のせいで匂と美佳子の間が険悪になるのは避けたい。だから、

「じゃあ僕、失礼します」

と努めて穏やかな声を上げた。匂が驚いた顔で見てくる。

「謡さん・・・?」

「愁君によろしくね。それじゃ」

睨んでくる美佳子に礼をして、謡は周囲の人たちにお騒がせしましたと一人一人に頭を下げながら待合室を退出していく。

「う、謡さん待って、」

折角来てくれたのに。あたしのことを心配して来てくれたのに。

「匂ちゃん、良いから」

あくまで穏やかに微笑む謡の笑顔が哀しすぎて、匂は涙が込み上げてくるのを止められなかった。潤む目を見た謡が一瞬辛そうに顔を歪めるが匂のもとに取って返すことはなかった。

「謡さん、」

彼の足を止めることが出来ないまま、謡は匂の前から去って行った。耐えられず謡を追おうと駆け出すが、美佳子に腕を掴まれて阻まれる。

「匂、あの子を追うことは許しません」

「どうして!?ひどいよ、母さんは今になって来ておいて、何でそんなに偉そうなの!?他人の謡さんの方がよっぽど家族みたいだよ・・・・!!」

「・・・何と言おうと許しません。愁の病室に行きますよ」

「一人で行けば良いじゃない!!一々母さんの言葉に従いたくない!!」

美佳子の眉が更に釣りあがるが、しかし怒りが爆発することはなかった。

「・・・・・好きになさい。芝貫を追わないなら、何をしても良いわ」

そして美佳子も待合室を去って行く。

(・・・・・・・もう、嫌、)

匂は椅子にへたり込み、くぐもった嗚咽を洩らした。




謡は病院の前に立ち、まだじんじんと痛みを訴える頬にそっと触れた。熱い。

(仕方ない。美佳子さんが僕を匂ちゃんに近づけたくないのも、分かるから。だから、泣くな)

こんな時は涼子に会いたくなる。だがさっき会ったばかりだし、そのときは涙を見られてしまった。また公園に戻り彼女に会ったら、また泣きたくなりそうな気がして恐い。

(もう、帰ろう)

美佳子がいる限り、謡は愁の面会は出来ないだろう。なら、此処にいても仕方ない。早く帰って夕飯の支度をしよう。

謡は涙を堪えながら、家路を歩き出した。





葉弓は誰にしようかな、と唱えながら街中を歩いていた。時間帯の所為か、学生服姿の少年少女たちが多い。サラリーマンが多くなるのは七時近くなのだろう。

「楡乃木にはああ言ったけど、正直確かめるのが一番早いんだよね」

ぶつぶつ呟く彼女の頭には、以前謡と一緒にいたフード姿の小柄な少年ー神薙愁の姿が浮かんでいた。

(でも定番過ぎるかなぁ、)

でも他にあの子の知り合いらしい子知らないからなぁ。謡の名前は涼子と彼の会話のを盗み聞きしたことによって知っているが、交友関係までは知らない。

(いや、待てよ・・・・・?)

涼子が謡を冷たく突き放した夜のことを、葉弓は不意に思い出していた。あの時、普通に会話をしていた二人の前に現れた人間のせいで、二人の様子が徐々に不穏なものになっていったのではないか。

(・・・確か犬を連れた男の子だったよね)

どうやらその男の子は、謡の友達といった感じではなかった。だが、謡は彼と仲良くしたいような様子を見せていたではないか。

葉弓は一人、不気味にほくそえんだ。

「見ぃつけた」

葉弓の残虐性が、花を咲かせつつあった。





どうも葉弓の意味深な言葉が気になって、涼子は落ち着かなくなってきた。もしかしてこのベンチから立ち上がるべき時が来ているのではないか。

葉弓は危険だ。善と悪の境目が今一不明瞭で、楽しければどんなことでもする。だから謡の存在を葉弓に知られるのはあまり喜ばしいことではないと思っていたのだが。

(私の気のせいだと良いのだが・・・・・・)

海を眺める。凪いでいた波が、徐々に荒れ始めていた。





謡が悄然として帰宅すると、弟の誓がダイニングの机に突っ伏して転寝をしていた。

(そう言えば、誓も俺みたいな“手紙”を受け取っていたんだよな・・・)

誓はそのことをどう思っているのだろうか。聞きたくもあり、聞くのが恐くもあった。

「ん、兄貴お帰り〜・・・・・・」

「ただいま。誓、ちゃんとベッドで寝ないと体痛くなるよ」

「ん、でも俺、ベッドよりこの机に突っ伏してる方が気持ちよく寝れるんだけど」

誓の言葉に、謡は苦笑する。

「そう言えば愁、病院に運ばれたって近所の人に聞いたけど、お見舞いに行ってたの?」

「うん・・・・・行ったのは、行ったんだけどね」

煮え切らない謡に、誓はへらりと笑い、

「あぁ、どうせ匂たちの母さんに帰れとでも言われたんだろ」

「!」

平然と謡の傷口を抉るようなことを言った。

「兄貴さぁ、もう匂とかには関わらないほうが良くない?」

「・・・・・誓?」

「だって匂とか愁に関わるたびに兄貴って辛い想いしてる気がするんだよね。それってあいつらに関わらなければ良いってことじゃないの?あの母さんにぎゃあぎゃあ言われることもないしさ」

誓はしれっとした口調でそう言いきると、席を立った。

「まぁ、兄貴が自分から疵付きたいっていうなら、俺は止めないけど。あ、今日は久しぶりに俺がご飯作るから」

「あ、あぁ・・・・・」

だから兄貴は少し休め、と言われ謡は彼に急かされるようにして二階へ上がることになった。





倉橋、舞田と別れしばらく町をぶらついた後、薮内は自宅へ戻って来た。だが門前に見知った顔を見つけて、眉を寄せた。見知った顔ー藍田渉は愛犬のチコを抱え、泣きそうな顔で薮内を認めた。

「あ、あのね、」

「・・・・・・・何だ」

「その、おじさんとおばさんの離婚のこと・・・は、」

「俺メールに書いたよな?同情心は要らないって」

「違う、同情心なんかじゃなくて、」

「何だよ、はっきり言えよ。いつまで経っても、俺を苛つかせ」

「心配なんだっ・・・・・・!!」

自分の言葉を遮ってまで吐き出された渉の言葉に、薮内は一瞬息を詰めた。

「僕は、ただ・・・奏くんのことが心配で、別に同情してるわけじゃ・・・なくて、」

「・・・何でお前が泣きそうな顔してるんだよ」

薮内は溜息をつくと、渉の前に立った。

「お前、馬鹿だよなぁ」

「・・・・・・え?」

「俺に蹴られて痛い想いしたのに、何でそんなに俺のこと気にするわけ?」

「・・・・・・」

渉は愛犬を抱えたまま押し黙ったが、すぐに顔を上げてにっこりと微笑んだ。小さい頃のままの素直な笑顔に、薮内は硬くなった心がほぐれつつあるのを感じた。

「決まってるよ。奏くんが、大事な友達だから」

こいつは正真正銘の馬鹿だと思う。自分を蹴ったり殴ったりして傷つけた人間を、大事な友達と明言する。昔から少しも変わっていない、純粋な笑顔とともに。

「ったく、」

渉を撫でる代わりに、彼の腕の中で不思議そうに薮内を見上げているチコを撫でようと腕を伸ばそうとした瞬間、




「ちょっとお邪魔します」



場違いな明るい声が響いた瞬間、渉の背後に片目を前髪で隠した女が何処かから現れた。突然のことに、薮内も渉も反応できない。女は無防備な渉の口を片手で覆うと、硬直する彼の首元にナイフを突きつけた。

「う・・・んっ、」

「渉!!」

薮内が一歩前に出るが、

「動くなよ。この子を殺されたくないならね」

という女の楽しげな声にビクッと体を震わせた。渉がもがくが、拘束を解くことが出来ない。

彼の腕の中のチコが女を敵と認識して低く唸っているが、女はチコには目もくれない。

「安心して?言う事を聞いてくれたら、決してこの子に危害は加えないから」

「言う事?」

「そう、言う事」

渉が苦しげに身を捩る。

「何だ、それは」

「芝貫謡、知ってるよね」

「!?」

その名に、渉も薮内も目を見開く。謡の知り合いなのか?

「芝貫だと?」

「そう。彼を連れて、今からあたしが言う場所に来て」

「何処だよ」

「・・・・・・海の見える公園。この町の人間なら、それだけで分かるでしょう?」

薮内は押し黙り、女と謡の関係を推察する。

「良い?芝貫謡が渋ったら、こう言っておいて。“お前が来なければ藍田渉はお前の所為で死ぬ”って」

明るい口調で言われ、緊迫感はない。だが死ぬ、という単語に渉は顔面を蒼白にして身を強張らせた。

「じゃ、この子は借りていくから」

そう言うや否や、女はグッと足に力を込めると、

「なっ、」

渉を小脇に抱え、薮内の頭のはるか上を飛んで彼の背後に着地した。

「よろしくね」

薮内にウィンクを残し、女は目にも留まらぬ速さで走り去った。

「・・・・・・・人間、か・・・?」

あり得ない情景に、薮内は暫く立ち尽くしていることしか出来なかった。





















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