それぞれの放課後
主観がコロコロ変わります。読みにくかったらごめんなさい・・・・・・。
ぶーんぶーん、と謡の携帯が震えたのは、彼が泣き出して五分ほどしてからだった。自分が泣いていたことが夢だったかのように目をぱちくりとさせ、ズボンのポケットから震える携帯電話を取り出す。
「はい、匂ちゃん?」
『謡さん?・・・今、大丈夫ですか?』
謡は鼻を啜りながら頷く。涼子に目をやると、彼女は分かっているというように頷いた。
「うん、大丈夫だよ」
『謡さん、泣いてるんですか?声が震えてますけど、』
匂の声が心配げなそれになる。謡は慌てて、
「そんなことないよ、大丈夫」
と焦りながら答える。
『なら、良いんですけど、』
匂は疑わしく感じているようだった。謡の“大丈夫”が決して言葉どおりでないことを、彼女も良く知っているのだ。
「どうしたの?愁君の具合が・・・?」
まさか愁に酷い病気でも見つかったのだろうか。謡は焦った。
『あ、いえ・・・精神的なものと肉体的な疲労がたまっていたらしくて・・・重い病気とかそういうことではないんですけど・・・・・・・』
そうか、と謡は安堵の息をつく。
「そんなに酷くないみたいで良かった・・・愁君もそばにいるの?」
『本人は謡さんと話したいみたいでしたけど、今は横になってもらってます。私は待合室からかけてるんです』
「そうなんだ。・・・匂ちゃんは、大丈夫?」
電話の向こうで、匂がクスッと笑うのが分かった。
『私は大丈夫です。丈夫なだけが取り柄だから』
「だけ、なんてそんなことないよ・・・・どうしたの、匂ちゃんにしては弱気だね」
『はは、そうですか?』
匂の声が段々と細くなっていく。もしかして泣いてるのではないかと謡は危惧する。
「匂ちゃん?泣いてるの?」
『私がですか?真逆』
わざと元気な声を出そうとしているのが謡には痛いほど分かった。
「匂ちゃん、今すぐそっちに行くから、待ってて」
『どうしたんですか?焦った声出して、』
「良いから。待っててよ」
匂にはそれ以上言わせず、謡は問答無用で電話を切った。
「楡乃木さん、僕、行って来ます」
「あぁ。気をつけてな・・・あと顔は洗っていけよ、酷い顔だ」
謡は苦笑して、はい、と頷いた。
謡が来てくれる、それが分かった途端、安堵で体から力が抜けた。
「謡さん、ごめんなさい」
もし、もし万が一匂の母、美佳子と鉢合わせたら、彼女から謡に心無い罵倒が浴びせられるだろう。それでも、そうなっても、
(謡さんに側に居て欲しい・・・・・・)
あの穏やかな笑顔で、大丈夫だよと微笑んで欲しい。きっと愁も謡が来たら安堵する。
(あたしはきっと、)
謡さんが好きなんだ、と匂は小さく呟く。美佳子に言えば、馬鹿だと罵られるだろう。絶対に謡とは会わせまいとするだろう。
(それでも、あたしは・・・・・・)
「渉、どうしたのその怪我!!」
帰宅して母親からの第一声がそれだった。
「え、えっと、」
「目も真っ赤じゃない!!まさかまた苛められたの!?」
母親の頭には、以前渉を苛めていた人間のことがあるのだろう。だが、違う。
「ち、違うよ、そういうのじゃないよ・・・・・・」
「じゃあ何!!私は渉を心配して訊いてるのよ、ちゃんと答えなさいっ!!」
母親の金切り声に、渉はビクッと身を竦ませた。頭から、奏の顔が離れない。仇敵を見るようなつりあがった目が、離れない。
「だ、だから、これは・・・」
どうしよう、何て言えば良いの?正直に、奏君にやられたって言えば良いの?それとも、全く知らない不良に絡まれたとでも言えば良いの?
「その・・・、知らない人に、絡まれて、」
違う。奏にやられた。知らない人になんて絡まれてない。でも、どうしても奏にやられたという言葉は出てこない。
「あんたは本当に絡まれ易いのね・・・・」
母親はどうやら信じたらしかった。前例があまりにも多すぎて、疑う気も起きないのだろう。
「ちゃんと消毒するから、こっちいらっしゃい」
「・・・・・・・・うん」
もし奏にされたと聞いたら、母親はどうするだろう。想像するのも恐くて、渉は思考を止めた。
「なぁなぁ、芝貫本当にしめようぜ?」
駅前のファーストフード店。薮内、舞田、倉橋の三人はだらだらと放課後を過ごしていた。だが薮内は何か気に入らないのか、気難しげに顔を顰め、頬杖をついている。
「お〜い、薮内どした?この手の話、大好きだろ?」
舞田がチョッカイをかけてくるのを、薮内はスルーした。舞田は不思議そうな顔をしたが、倉橋がこそっとそんな彼に耳打ちする。
「ほら、今まで薮内が藍田のこと守ってる、みたいなとこあっただろ?でもその役目を芝貫に取られたから」
「あぁなるほど、そういうことか、」
舞田が納得した瞬間、バシャッという音とともに彼と倉橋の顔面に水が掛けられた。
「・・・てめえら、今なんつった?」
薮内が御冷を舞田と倉橋にぶっ掛けたのだ。二人はその事実に呆然としていたが、薮内の鋭い目が自分たちを呪い殺さんと言わんばかりに睨んでいるのを見て、自分たちが一体何を口走ったのか今更ながらに理解した。
「い、いやただの冗談だって。本気にするなよ」
「そ、そうそう冗談冗談」
暫く薮内は二人を睨んでいたが、やがてフンっ、と荒い鼻息をついてまた窓の外を見始めた。視線攻撃から解放された二人は、どうやら逆鱗に触れるまでは行かなかったようだと安堵の吐息を二人同時についたのだった。
謡があんなに涙を流すのを見たのは初めてだった。一人になった涼子は、何とも言えない感情が自分の中で渦巻くのを感じていた。何だろう、胸が疼く。
「泣いてたね、あの子」
「!またお前か」
「また、だなんて殺生な」
涼子の横に彼女は座る。
「お前だなんて、葉弓って呼んで」
彼女の名前は、式村葉弓。涼子と顔見知りではあるが、特に仲が良いというわけでもない。葉弓が勝手に涼子に懐いているだけである。
「可愛い顔が台無しだったけど、泣いてる顔もそそられたなぁ」
倒錯的なことを言う葉弓の言葉は無視し、涼子は凪ぐ海を見遣った。
『姫様は、輪廻というものを信じますか?』
『輪廻ですか?うぅ〜ん、私はあまりそういうものは信じません。だから今、生きている今こそを大事にすべきだと思うのです・・・・・あなたとのことを』
『姫様はすぐにそちらに話を持っていかれるので、困ります』
『む、私とどうこうなるというのがそんなに嫌なのですか?』
『そ、そういうわけじゃないですけど・・・・・・』
『顔が真っ赤。いつまで経っても初なんですから』
「その遠くを見るような目。“彼”のこと思い出してるでしょ?」
葉弓が涼子の物思いを中断させる。きらきらと目を輝かせているが、前髪の下に隠された右眼は嫌悪に歪んでいることを、涼子は見抜いている。
「でも本当に似てるよね、あの子と“彼”。・・・確かめてみない?」
その悪魔のささやきにも似た呟きに、涼子は思わず眉を寄せた。
「何を、」
「“彼”ならさ、自分の身が危なくなったり大切な人が危ない目にあったりしたら“力”を発現するんじゃない?あんたを守ったいつかみたいにさぁ・・・・・・」
「そんなことして、ただで済むと思うなよ」
涼子が声を押し殺しながら言うと、途端に葉弓はニパッと屈託の無い笑みを浮かべた。
「やだな、冗談じゃないか〜」
「・・・・・・・・」
涼子はじっと葉弓から視線を逸らさない。葉弓は調子に乗りすぎたと思ったのか焦りだす。
「冗談だって、しない、変な事絶対しないから」
「・・・・・・絶対だぞ」
「はい」
涼子は信じたのか否か分からないが、葉弓から視線を逸らしてまた海に目を遣った。葉弓は目を細めて微笑んだまま、意味深に口角をきゅっと上げていた。
母親に怪我の治療をしてもらった後、渉は悄然とした気持ちで部屋に戻った。ベッドに倒れこんだ瞬間に、鞄の中から携帯のバイブレーションの音がした。
「・・・・・誰、」
母親に安全のために持たされた携帯電話の番号とアドレスを知っている者は少ない。そして自分の携帯に登録している番号も少なく、登録していると電話帳に登録された名前が着信時に表示されるが、
「奏、く・・・ん?」
電話ではなくメールのようだった。渉は恐る恐るメールを開き、目を見開いた。
『親父とお袋の離婚が正式に決まった。お前にだけは伝えとく・・・・・言っておくが、変な同情心は要らないからな。じゃ』
以前から薮内の両親は不仲で、離婚協議中であった。そして、その協議が終わったのだろう。彼らは離婚で同意したらしい。
「・・・・・」
渉は居ても立ってもいられない想いで薮内の携帯を鳴らした。薮内はすぐに出たが、機嫌は明らかに悪そうだった。
『渉?・・・・・・何』
「あ、あの、今メール貰って・・・、」
『ああ、親父たちのこと?何だ、俺に同情してくれるのか?』
「ど、同情なんてそんな・・・・・、」
『悪いけど今話す気分じゃないんだ・・・あんまり苛付かせたらまた蹴るぞ』
不穏な言葉に渉はビクッと体を震わせた。
『切るぞ』
「待って、奏く、」
しかし携帯は無情にも切られた。渉は哀しげに手の中の携帯を見つめた。
「匂ちゃん」
「あ、」
匂は謡に呼ばれて目を覚ました。どうやら謡を待っている間に転寝をしていたようだ。場所は愁の病室がある病棟二階の待合室の一角。人はあまり居ない。
「匂ちゃん、大丈夫?」
「ん・・・、ちょっと眠くて、」
「一回家に帰る?愁君には僕が付き添うから」
すると匂は目を大きく見開いて首を左右に思いっきり振った。その激しさに謡は驚いて彼女を見つめる。
「・・・・・ダメです、それは」
「え、で、でも、」
「ダメです、母さんが来たら・・・謡さんのこと、」
「匂!!!」
「!」
謡も匂も、その場にいた人々も金切り声がした方向に揃って顔を向けた。そちらには鬼のような形相をした美佳子が立っていた。