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“彼”と謡の涙

今日も寒いですねっ。関東のほうの雪は大丈夫でしょうか。

『初めまして』

穏やかな、けれでも少し悲しげな笑顔に、私は見蕩れました。周囲に彼のような、二十代半ばの男性は一切いなかったことも影響しているのでしょうが、彼を純粋に素敵な方なのだろうと感じました。

『こら、お前も挨拶なさい。今日からお前を護ってくださる方なのだからな』

父様に言われて、私は慌てて頭を下げました。すると彼はどうぞよろしくお願いしますと手を差し出してきました。私は頬が赤くなっていないか気にしながら、彼の手を握りました。意外にほっそりとした手に驚きました。

『何でもお申し付けください』

まるで執事のようなことを言われ、私はくすぐったい気持ちになってクスッと笑ってしまいました。

『こうは言っておられるが、甘えてはいかんぞ』

『分かっておりますわ、父様。もうお屋敷の中は御覧になられました?』

『いえ、まだでございます。ご案内していただけるのでしょうか?』

『はい』

私は早く眼の前の男性に屋敷に慣れていただきたい気持ちで一杯でした。私は彼の手を引いて、屋敷の案内に出かけたのです。





「・・・・・謡?」

一瞬、目の前に“彼”がいるのかと思った。だが違う。“彼”ほど背は高くないし、筋肉もない。華奢で頼りない少年。

「こんにちわ」

「・・・今日は制服姿なんだな」

昨晩の出来事が酷く頭に残っている所為か、謡はいつも私服というわけの分からない固定観念を抱きつつある。謡がクスッと微笑む。

「それはまあ。・・・休みがちですけど、僕は一応学生ですから」

そう言って、謡は涼子の横に腰を下した。昨晩のことは何の影響も与えていないのだろうか。

「そう・・・・・だな」

どちらかと言えば涼子の方が気にしていた。だがそれをはっきりと出すのは何となく嫌だった。

「・・・・昨日はすみませんでした。父が、少し荒れていて、」

「そのことはもういい。・・・謡は、怪我はしてないんだろう?」

謡がえ、と小さく声を上げて目を見開く。

「何だ、その顔は」

「あ、す、すみませんっ。・・・心配、してくれるんですね」

『僕の心配は要りません。姫様はご自分のことだけお考え下さい。あなたの平穏が僕の幸せなのですから』

「!!」

謡と“彼”がダブる。謡の顔が“彼”の穏やかで、そして少し寂しげな笑顔と重なる。

「楡乃木さん?」

「・・・・・・」

謡が涼子の額に手をやり、心配そうに彼女の顔を覗き込んでいた。

「具合悪いんですか?顔色悪い気がするんですけど・・・」

「そんなことはない。手、離してくれるか?」

謡は顔を微かに赤くして、すみませんと再び謝りながら手を涼子の額から退けた。

「・・・・・・・・」

「・・・・・・・・」

謡も涼子も何とはなしに黙り込んでしまい、人の少ない園内は静まり返っていた。ざざ、んと海がさざめく音だけが二人の耳に響く。

「謡は、父君とうまくいっていないのか」

口火を切ったのは涼子が先だった。二人が黙り込んで五分ほど経過した頃。謡が俯けていた顔を上げ、涼子を見る。

「・・・・・・・そう、見えますよね。昨日のを見せられたら」

膝に置かれた拳がギュッと握られるのを見て、涼子は自分の考えが正しいのだろうと漠然と思った。「昔はそんなことなかったんですけどね……最近は特に酷くなって来ました」

掠れた声で話し出す謡。何だか近頃は謡の身上を聞くのが日課になっているような気が、涼子はした。

「多分、母があんなことになってからかな……父さんの様子が変わってきたのは………」

呟くように吐き出された言葉に、涼子はピクッと頬を震わせた。そう言えば、謡の母親のことは何も知らなかったことに今更気づく。

(知らなかったところで何ら問題はないけれど)

「母親は、いないのか」

「いないわけじゃないですよ。・・・・・ただ、僕や父のことをちゃんと認識しているのかどうかは、分からないですけど」

話したくない、というわけではないのだろうが、謡の口は重いようだった。ならば無理に聞き出すこともない。

「・・・・言い難いなら無理はしないで良い。何が何でも知りたい訳ではないから」

謡は苦笑すると、海に視線を戻した。今にもその横顔が泣き出しそうに見えて、涼子は落ち着かない気持ちになってきた。“彼”に似ていると感じるから、余計に。

『泣かないで下さい。あなたに泣かれると、僕も泣きたくなってしまうから。僕が泣きたくなると、あなたも悲しいと思うようですから』

不器用なところも、似ている。

「・・・・・・いつもの楡乃木さんなら、興味ないから良い・・・って言いそうなのに。昨日から変ですね」

「変なのは謡もだろう。・・・秘密主義者の癖に、自棄にぺらぺらぺらぺら喋るじゃないか」

「楡乃木さんだから話せるんですけど」

さらりと言われた言葉はそっと無視する。

「今、無視しましたよね?」

「話したいのか話したくないのか、どっちだ」

段々素っ気無くなっていく涼子に、からかい過ぎたと思ったのか、謡は

「す、すみません」

と気弱な感じで頭を下げる。

「母は、記憶喪失なんです」

「・・・記憶喪失?」

「混雑している朝のホームで、線路に転落して。・・・・・周りにいた人の話だと、いきなり飛び出してきたって。・・・・・・父さんは誰かが故意に母さんを突き落としたのだと言ってききませんでした」

「記憶喪失というのは、」

「電車が何とか急ブレーキで止まって、轢かれるのは避けられたんですけどどうも枕木で頭を酷く打ちつけたみたいで・・・打ち所も悪くて・・・・・・。目を覚ました母は、僕のことも父のことも、弟の誓のことも分からなくなっていました」

重いな、涼子は我知らず内心で溜息をついた。父親からの冷たい仕打ちに、学校での苛め。謡はいつ心を休めているのだろう。愁という少年の家庭教師の時間だろうか。

「・・・それからです。父が更に仕事に打ち込むようになり、僕にも手酷く接するようになったのは」

仕方ないですね、と謡は笑う。

「父も母があんなことになって、混乱してるんだと思います。感情の起伏も激しいみたいだし、よく眠れてないみたいで・・・・・・」

「だがそれで謡を辛い想いをするのも違うと思うんだが」

「そう、なんでしょうね・・・きっと」

でも、と謡は続ける。

「仕方ないですよ。僕が頼りないのは確かだし・・・父が怒るのも、僕が至らないからだし」

『仕方ないですよ、所詮僕はあなたの従者。ご両親が僕のようなものを娘の夫にしたいと、思うわけがありませんから』

仕方ない。それが“彼”の口癖だった。特に男女の関係になってからは、頻繁に使っていた。全然、仕方なくなんか無いのに。

「ならどうしてそんなに泣きそうな顔をしてるんだ?」

「・・・・・・・・・・・え?」

「我慢してるのがよく分かる、と言ってる」

謡の顔に戸惑いが浮かぶ。潤んだ瞳に自分で気付かないのだろうか。「辛いんだろう、きついんだろう、悲しいんだろう。なのにどうしてそんなに強がるんだ」

私は何を言っているんだ、と涼子は話しながら思う。謡のことをらしくないと言いながら、自分が一番らしくないではないか。普段の自分なら他人の身上話なんてどうでも良いと気にしないだろう。なのに、どうして謡のことになるとこんなにも、

「べ、別に辛くなんて、」

謡は明らかに動揺していた。笑おうとして、うまく口角が上がらないことに戸惑っている。

「きつくなんて・・・悲しくなんて、無いです」

声は徐々に尻すぼみになり、震えてくる。涼子から顔を逸らそうとする。

「じゃあ笑え」

「え、」

「無理だろう」

涼子の顔に、苦笑が浮かぶ。その瞬間、

「か、からかうのは止めてくださいよ・・・」

謡が泣き笑いの表情になって、両の瞳から大粒の涙を零した。顔がくしゃっと歪む。

「何で、僕は・・・泣いてるのかな、」

頬を伝う液体を手の甲で拭いながら、謡は自分が涙しているという現実を認めようとはしなかった。

(でも、これで良いのだろう)

泣く事は、それだけでストレスの発散にはなる。謡は溜め込みすぎなんだ、と涼子は溜息をつく。謡のことがこうも心配になるのは、“彼”に似ているからなのだろうか、と思いながら。







渉の涙に影響されたか、謡は涼子の前で涙しました。泣くことで少しは謡の心は晴れるのでしょうか。

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