止まらない涙
あけましておめでとうございます!!今年も頑張って執筆するので、見捨てないで下さい(笑)でわでわ本文へどうぞ。
「………」
「珍しくぼけ〜っとしくさってるね!」
先日のように後ろからポンッと肩を叩かれ、楡乃木涼子はすげなくその手を払った。
「おっ、ご機嫌斜め?」
「うるさい」
「昨晩のこと気にしてるんだね〜。“彼”に似た男の子のこと」
「……………」
「謝りに行けば?昨日冷たくしてすみませんでした〜って」
何処までも茶化す相手に、涼子は反応することを止めた。相手の声を聴覚から追い出し、海に意識を集中させる。“彼”が好きだった海。今は、涼子だけが眺めている。隣にあの人はいない。
(もし、本当に謡が“彼”だとしたら……)
だとしたら、自分はどうするのだろう。
「無視か、無視かいな」
話し相手はつまらなそうにぼやき、ぐっ…と背中を伸ばした。
「気ぃ向いたら声かけてな。あんたのためなら何時でも協力してあげるからな」
涼子は応えない。それを気にした風もなく、相手は鼻歌を歌いながら去っていく。
「謡、」
何となく少年の名前を呟いてみる。昨晩自分が彼に対して取った行動に、微かに嫌悪感を感じながら。
「お話というのは何ですか……というよりあなたがわが社にやって来るなど、どう言った風のふきまわしです?」
芝貫コーポレーション本社最上階、社長室で芝貫春樹と、匂と愁の母・美佳子が対面していた。春樹の傍らには、心配顔の神楽が立っている。美佳子は屹然とした態度で春樹を見据え、
「そちらの謡さん、何とかなりませんの?」
といきなり問い掛けた。春樹の眉が寄せられる。
「どういう意味ですか?」
「愁…私の息子が世迷い事を言いましてね。どうやらお宅の謡さんに相当感化させられているみたいで……どうやってあの子をたらしこんだのでしょうね?」
「愉快、いや不愉快なことを仰いますね。うちの謡があなたの所の愚息をたらしこむ理由などありません。……そういえば長女、匂さんと仰いましたか。あの子は母親に似て口の聞き方を弁えていないようですね」
ぴくっ、と美佳子の眉が動く。動揺を悟った春樹が畳み掛けるように矢継ぎ早に言葉を継ぐ。
「人の子供をどうこう言う前に、お宅のお子さんをきちんと躾けたほうが宜しいのでは?」
「は、春樹さま少し言葉が過ぎませんか?」
さすがに神楽が止めに入るが、美佳子に気丈な瞳で睨み付けられ、ぐっと喉を詰まらせる。
「敵の味方に情けをかけられるなど、真っ平ごめんですわ」
「も、申し訳ありません……」
「うちの優秀な部下を鬱憤晴らしのために叱りつけるのは止めていただきたい」
春樹は棘のある口調でそう言うと、立ち上がった。
「申し訳ないが、十一時から厚生労働省の方との面会を予定しておりますので、お引き取りいただけませんか。神楽、この方を下までお送りして」
神楽がはい、と答えた矢先、美佳子が憤然とした様子で立ち上がった。
「見送りなど結構です!!」
声高に怒鳴り、社長室を出ていく。
「春樹さま、」
「全く…娘と言い、母親と言い…。あいつは気の弱い性格だったが、女系はじゃじゃ馬ばかりだな……」
春樹はそう呟きながら、急にバツの悪そうな顔になる。
「春樹さま?」
「神楽、その…だ」
「ああ、謡様のことですね。大丈夫です。今日は登校なさったようですよ」
「……なら良い。神楽、そろそろ出るぞ」
神楽は分かりました、と礼をしてにっこりと微笑んだ。だが笑いながらも、美佳子が春樹や謡の足枷にならないかという懸念も、していた。
愁が漸く目を覚ましたのは、昼前のことだった。匂が見守っていると、小さく呻いてピクッと瞼を震わせた。
「しゅ、愁?」
「ん、……ねえ、さん?」
蒼白な顔に、僅かに赤味が戻っている。
「痛いとこ、ない?気分はどう……!?」
「だい…じょうぶ、」
「っ、良かったぁ、」
匂はへなへなと力なくパイプイスにへたりこんだ。愁が上半身を起こそうとするが、くらりと目眩を感じて体を強張らせた。気付いた匂が、再び立ち上がって愁を支える。
「ま、まだ起きない方が良いよ!ほら、」
「…うん、」
横になると楽になるらしく、愁は体の強張りを取った。
「姉さん、今、何時……?」
「ん…、もうちょいで正午だよ」
「そっ、かぁ」
「お腹すいた?愁が気付く少し前に看護師さんが顔は出してくれたんだけど……」
「僕、は平気。姉さんこそ、お腹すいてない?」
こんなときまで他人の心配か、と匂は苦笑する。愁の黒髪をすいて、
「あたしも平気。ほら、もう一眠りしたら?まだあんまり顔色良くないよ?」
「……うん、」
姉の笑みを見て安心したのか、愁は軽く微笑んで瞳を閉じる。
「………」
すぐに穏やかな寝息が聞こえてくる中、匂は涙を流していた。
(昨日から色々あってしんどい筈なのに、私の心配なんて……、)
愁も、謡も。どうして自分が辛い時でも他人を気遣えるの?
「……謡さん、」
愁が無事だったことを、匂は無性に謡に報せたかった。
(はぁ、はぁっ……)
一方昼休憩に入った謡は、藍田渉を探していた。どうも渉と藪内の様子が昨日までと違うし、今朝のこともあって渉のことを気にしていたのだが、気が付いたらざわつく教室から渉や藪内、そして取り巻き二人の姿が消えていたのである。ひどく胸騒ぎがして、謡は構内を走り回っていた。
(はぁ、はぁっ、……何だろう、嫌な予感がするっ)
「こら芝貫、廊下は走るな!」
「あ、あの、藍田君を見ませんでしたか!?」
普段は穏やかな謡から切羽詰まった様子で問い詰められ、顔見知りの教師は驚いたようだ。身を乗り出して訊いてくる謡から少し仰け反り、
「あ、藍田?藍田なら藪内たちと体育館の方へ向かってたぞ?」
「あ、ありがとうございます!」
「おい、何そんなに慌ててるんだ!?」
しかし教師の問いには応えず、謡は体育館の方へ急いだ。
腹の痛みに、渉は目の端に涙を浮かべて踞った。背後には体育館外観の固い壁。ガンッ、と藪内の長い足が壁を蹴り、ビクッと渉の体が震えた。藪内が加虐的な笑みを浮かべて、踞る渉の髪を掴む。
「嫌だ、痛いよっ!!」
「痛くしてるんだから当たり前だろ」
藪内の言葉に、取り巻き二人がぎゃはははと下卑た笑みを浮かべる。
「奏君、止めてよ、」
「下の名前で呼ぶなって何回言ったら分かるんだ?いつまで経ってもバカなままだな、渉は」
渉の目から涙が零れ落ちる。
「泣くな、鬱陶しい」
眉をしかめ、藪内が渉の頬を殴り付ける。
「……っ、」
抵抗一つ出来ず、渉は地面に倒れる。
「お前が望んだ結果がこれだ。自分でこんな結果にしておきながら、泣くんじゃねぇよ、泣き虫渉」
「うぁっ……」
藪内がシューズを履いた足で渉の脇腹を踏み付ける。痛みに呻く渉を、取り巻きはニヤニヤと笑いながら見下ろすだけで助けることはない。
「奏く…、止めて…」
「下の名前で呼ぶなっつってるだろ!!」
「藍田君っ!!」
激昂した藪内と、渉を探し回っていた謡の声が響いたのは殆んど同時だった。
「芝貫く、ん……」
「………良かったな、王子様が来てくれて」
藪内は鼻を鳴らしながら、渉の脇腹をまた蹴り付けた。
「……………っ!!」
「止めろっ!」
必死な様子で叫ぶ謡を、藪内は汚らわしいものでも見るように睨み付けた。
予感は適中していた。体育館裏の湿った空間。倒れている渉と、彼に暴行を働いている藪内の姿に、頭の中が熱くなった。
「藍田君、大丈夫!?」
「芝貫く、ん……何で、」
渉は唇を切ったらしく、そこから血を流していた。シャツは土で汚れ、脇腹には靴痕すら残っている。
「何でこんなこと……!」
「お前に関係ねぇだろ」
「……っ、」
「ムカつくな、その目。強くもない癖に」
藪内はそう言って謡と渉に鋭い一瞥をくれると、さっさと立ち去っていく。取り巻き二人が慌てて彼を追ったので、謡は取り敢えず安堵のため息をついた。
「藍田君、立てる?」
「う、うん、」
怖かったのだろう、渉の体はいまだにガタガタと震えている。
「あ、ありが…とう、」
喋って唇の傷に障ったのだろう、渉は肩を竦めて痛みに顔を歪めた。
「痛む!?」
「す、少し…でも、大丈夫……」
渉は物言いたそうに謡を見上げている。
「藍田君?」
「どうして、助けてくれたの?」
「え、」
「だ、だって……僕は藪内君たちと一緒になって、し、芝貫君を苛めた、のに、」
苦し気に息をしながら吐き出される言葉に、謡は目をすがめた。
「芝貫君に、助けてもらえる資格、なんて……ない、のにっ、」
「そ、そんな、資格だなんて関係ないよ!」
渉は嗚咽を洩らしながらも、謡の顔を見上げる。
「助けたいと思ったから、だから助けたんだ。だから、そんな資格がないとか、言わないでよ」
「………っ、」
「兎に角、藍田君が無事で良かった……」
その謡の言葉に、渉は膝を着くと、
「あ、藍田君!?」
たじろぐ謡を前に、大きな声を上げて泣き始めた。
「……落ち着いた?」
謡の問いかけに、渉はこくりと頷いた。目や鼻の頭が真っ赤で、涙の痕がまだ頬に残っているが感涙のピークは越えたようだ。
「…ごめんなさい、付き合わせて」
消え入りそうな声で、渉。謡は穏やかに微笑み、首を左右に振る。
「そんなことないよ」
時刻は五時間目がとうに始まっている午後一時四十分。場所は一般棟の屋上。謡は渉が落ち着くまで彼に付き合っていた。結果授業をサボる形になってしまったが、そんなことよりも渉のことが心配だったのだ。
「芝貫君は、優しいね」
「僕が?」
「……うん」
謡は何と応えたら良いか分からず、口ごもる。
「まだ、ちゃんとお礼、言ってなかったよね……助けてくれてありがとう……」
「お礼なんて…。僕が助けたくて助けただけなんだから、そんなに気にしないで良いから」
だが渉は首を左右に振って、意外にも強い口調で謡に反論する。
「駄目だよ。助けて貰ったら、ちゃんとお礼しなきゃ、」
だが途中で自分の口調の強さに気付いたのか、気後れしたように尻切れトンボ状態で口を閉ざした。その様を見ていた謡は呆気に取られていたが、すぐに柔和に微笑んだ。
「そう、だね。助けて貰ったら、ちゃんとお礼、しなきゃね。藍田君の言う通りだ」
「ほ、本当にそう思う?」
「うん。思うよ」
謡が笑顔で頷くと、渉は嬉しげに頬を緩めた。だがその拍子に、切れた部分に痛みが走ったのだろう唇を押さえた。
「だ、大丈夫?」
「うん、平気……」
二人に沈黙が降り掛かる。しかし渉がすぐに口を開いた。
「……僕と奏君、産まれた病院も産まれた日も一緒なんだ。時間は、僕の方が早かったけど……」
「そうなんだ」
「幼稚園も小学校も中学校もずっと一緒。クラスが別々になったことも一度もない。……僕は、いつも奏君の後ろをくっついてて、でも奏君は嫌な顔しないから…いい気になってたのかも」
「え?」
「高校に入ってから、奏君は急に怖くなった……。家がゴタゴタして、混乱して……不安で、そんな気持ちのやり場が、なくて……、」
「藍田君、」
「悪い人とも付き合いがあって、喧嘩ばかりして……芝貫君のことだって…、」
「………」
「でも、本当は凄く優しい人なんだっ。苛められてる僕を何度も助けてくれたし、上級生に苛められてる子を助けたり、怪我をした見ず知らずの人を介抱したり、凄く、優しい人なんだ………」
「そう、なんだ。藍田君は、藪内君のことが大事なんだね」
「……一番、一緒にいて落ち着ける人なんだ、純粋に、信じられる人なんだ、」
またぼろぼろと涙を溢し始める。
「藍田君、」
「どうしたら、良いのかな、」
「え?」
「どうしたら、前みたく優しい奏君に会えるのかな、僕じゃ、奏君を支えられないのかな………」
渉の涙は止まらない。謡は慰めの言葉を持てないまま、ただ渉の横で彼が泣き止むのを待つしかできなかった。
渉、泣いてばかりです。余談ですが、映画252生存者ありを観て泣きました(笑)