表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/63

邂后という名のプロローグ

また新しい話始めました。他の二話同様、自分のペースで頑張ります。

「あっ、いたいた!楡乃木さん!!」

また来た、と私はため息混じりに思う。場所は西崎臨海公園北側、時刻は茜差す午後四時過ぎ。“彼”は一人ではなかった。パーカーのフードを目深に被った小柄な少年と一緒だ。私は読んでいた文庫本をバッグに仕舞い、“彼”に向けて少し手を上げて応えてやる。少し前の私ならば有り得なかった所作に、自分でも驚く。ごく僅かだが。

「こんにちは」

ぎこちなく笑うのは出会った時からずっと変わらない。私のほうが変化“させられ”ている。

「楡乃木さん、何か考え事?」

「いや、別に。ーそっちは?」

その問いに他意はなかったのだが、私が眼を遣った相手は大袈裟にビクッと肩を竦めた。両腕に掻き抱いた書店の袋がガサッと乾いた音をたてる。

「俺の知り合いの子で、神薙愁って言います。俺が家庭教師やってる子です」

「あぁ、前にそんなこと言ってたね。ーふぅん、その子」

「愁君」

“彼”に促され、カンナギシュウがおずおずとフードを脱いだ。如何にも気の弱そうな顔をしている。“あれ”が好みそうな感じだ。

「か、神薙愁、です、」

取り敢えず私も名乗り返す。

「楡乃木涼子という。カンナギシュウとは、どういう漢字だ?」

「え、えっと、神様の神に草冠の薙ぐに、秋と心の愁、です」

「神、薙、愁。ー大層な名だ。お前、名前負けしてるな」

私としては思ったことを言ったまでで特に深い意味など持っていなかったのだが、愁とやらは

「…ですよね」

と悲しげにフードを被ってしまったー難しいな、コミュニケーションとやらは、と私は嘆息する。

「ーおい謡。何がおかしいんだ」

気付けば“彼”ー芝貫謡が満足気に笑んでいる。少し腹に来て、私はつい謡を睨み付ける。

「いや、楡乃木さんが俺以外と話すの見るの初めてだから何だか新鮮で」

悪気のない穏やかな笑顔ー“あの方”そっくりだと私は一人思う。

「減らず口を叩く。…もう帰れ」

「え、でもまだ四時だし、」

「そういう意味じゃない。あと十分もしないうちに雨になるからだ。二人とも傘、持ってないだろ」

「雨?でも、」

「良いから。濡れたくないならさっさと帰ったほうがいい。もしかしたら雷も鳴るかも知れん」

雷云々は出任せだが、効果ありだ。神薙愁が謡のシャツの裾を掴んで言ったのだ。

「やだ、雷ー怖い」

謡が

「分かった分かった」

と愁の肩を軽く叩く。

「今日は帰ります。雨、本当に降るんですか?」

謡が疑わしそうに天を仰ぐ。初夏の空は真っ青に晴れ渡り、雲一つない。謡でなくとも疑うだろう。

「信じなくても構わないがー」

「信じますって」

謡が苦笑する。どうも巧くあしらわれている気がして仕方ない。

「じゃあ今日は帰ります。楡乃木さんは?」

「私はもう少し此処にいる」

「分かりました」

謡は愁を促し、私に背を向けた。その背が“あの方”に重なるーが、すぐに幻想だと言い聞かせる。


ー遠ざかる背中。舞い散る赤い液体。冷たい手。冷たい瞳。


『お前は誰だ』


「ーさあ、誰でしょう」

私の呟きは空気に溶けて消え、謡に届くことはなかった。




「どうだった?今の人」

「う、うん」

愁が戸惑った声を出す。

「愁君?」

「あ、あのね…さっき、誰かに見られてた気がした、の……」

愁のその言葉に、謡は思わず足を止める。

「え?」

先程買った参考書の入っている袋を掻き抱く愁の体は小さく震えている。もしや過呼吸の発作だろうか。何処か人の少ないところで休憩させないと。

「愁君、少し休もう。顔色が悪い」

「で、でも、」

涼子の言った雷を懸念しているのか。

「う、けほっ、けほっ」

しかし体は正直で、程なく愁は苦しげに咳き込み始めた。

「愁君」

普段優しい口調の謡からキツめの声が発され、愁は小柄な体をびくつかせる。

「少し休んで帰ろう。僕も一緒にいるから」

愁はまだ迷っているようだったが、謡が引かないと悟ったのか、こくりと首を縦に振った。空には微かに雨雲が差し始めていた。




「じゃな、誓。また明日」

「うん。バイバーイ」

芝貫誓は友人と別れると、のんびりと歩き出した。

「今日の晩飯は何かなーと。あれは、(にほ)?」

大きなドングリ眼、緩くウェーブのかかった栗色の髪、色白の肌。外見は可愛らしい、誓と同年代くらいの少女が、周囲をキョロキョロと見回しながら歩いていた。一度帰宅したらしく、私服姿だ。

「おーい、匂!何してんだ?」

少女ー神薙匂は誓に気付いた途端、鼻の頭に幾本もの深い皺を刻んだ。眼もスッと細まり、胡散臭いものでも見るようである。

「出たな、阿呆弟」

少女の口から紡がれた第一声はそれだった。

「だから何度も言ってるだろー。俺はお前の弟じゃねぇってー」

「うるさい、黙れーと、お前、愁を見てないか?」

「愁?どっかその辺でぴーぴー泣いてるんじゃないのぉ?」

嫌味ぶった口調で返され、匂はムッとするが、すぐにこいつはこういう人間なのだと言い聞かせる。「お前に訊いた私がバカだった。もういい、」

「ばぁか、ばぁか、匂のば〜か」

匂は誓の頭を叩いた。だが誓はヘラヘラと笑うだけで、怒りもしなければ痛そうな様子を見せたりすることもない。

「っ、謡さんはしっかりしてるのに、貴様はっ……!」

こんなのが幼馴染みだなんて!と匂は怒りに肩を震わせる。だがすぐに弟である愁を探さねばならないことを思い出した。

「こんなのに構ってる場合じゃない!!」

匂は誓を放って、走り出した。

「頑張ってな〜」

一切事情を解していない少年の呑気な声がのんびりと響いた。



「ぜぇぜぇ…けほっ、はぁはぁはぁはぁ」

「愁君、大丈夫?」

愁の体調は落ち着くどころか悪化していく一方だ。荒い息と苦しげな咳を繰り返し、ぐったりと謡に凭れ掛かっている。

(凄く体が熱い…。帰ったほうが良かったかな)

謡は愁を連れ、大通りを一本逸れた裏道に入っていた。閉店して久しそうな雑貨屋の軒先に腰を下ろして愁を安静にさせようとしたのだが。

「愁君ごめん、僕が無理矢理休ませたから、」

愁が首を横に振って否定してくれるが、愁の具合が明らかに悪化しているので慰めにはならなかった。

「そうだ、家に電話しよう」

あまり家に頼りたくないが、愁の体のことがある。意地を張るばかりではだめだ。そう思った謡が鞄から携帯を取り出そうとしたときだった。

「あっれ〜、神薙じゃん」

軽薄そうな声に、愁が体を硬直させた。謡はその様子を怪訝に思いながら顔を上げる。いつのまにやら、学ランをだらしなく着崩した三人の少年が謡と愁を囲むように立っていた。「こんなとこで何してんのかな〜?ん?」

「っ、」

顔を覗き込まされそうになり、愁は俯いた。がたがたと寒さや発作以外の原因が彼の体を震わせる。シャツの裾を掴む手も震えていて、謡に、目の前の三人が決して愁にとって仲の良い友人などではないことを教えていた。

「学校にも来ないで何してんのかって聞いてんだよ、蛆虫!」

愁からの返事がないことに激昂した一人が愁の腕を掴む。

「……痛っ、」

「止めろ!」

謡は愁の腕を掴んだ少年の手を払った。恐らく愁とは同学年だろうが、年上の謡より体格はいい。決して喧嘩は得意でも好きでもないが、大事な知人が傷つけられるのを黙って見ているわけにはいかない。

「あ?何だよ、あんた」

「俺は愁君の知り合いだ。怯えてるだろ、止めろよ」

「う、謡さん……」

「うわ、なぁんか正義の味方気取りが出て来たよ」

一人がおちょくるように言い、他の二人がぎゃははははっ、と下品な笑い声を立てる。

「愁君、行こう」

「あ、う、うん」

謡は愁の手を引いて離れようとした。

「待てよ!」

だが甘かったらしい。見咎められた瞬間、激しい蹴りが謡の腹部に入っていた。激痛に、謡はその場に蹲る。

「ぐっ………!」

「謡さん!」

愁の悲痛な呼び声がする。

「まだお話は終わってないんだけど?」

胸ぐらを掴まれ、拳で頬を殴られる。一発、二発。

「う、謡さんっ」

「誰か神薙捕まえとけ。金取っとけ」

「りょ〜かい」

「やめっ、ぐっ…」

愁に向かう一人を止めようとしたが、再び腹部に蹴りを浴びせられて謡は敢えなく地面に崩れ落ちた。

「ひゃははははっ、偉そうなこと言っといてやられっぱなしじゃん!カッコ悪〜」

「謡さんっ、痛い…っ」

愁は財布を盗られ、ついでのように殴られる。倒れた愁に、蹴りが浴びせられる。

『苛められてたみたいなんです。殴られて、お金とか物を盗られたり…。なのに愁、ずっと我慢して、』

愁の姉のである匂から聞いていた話が脳裏を過る。

(……こいつらが愁君、を苛めてたのかっ)

怒りで胸が熱くなるが、喧嘩など殆んどしたことのない謡には太刀打ち出来ず、ただ暴行されるがままだ。通行人に助けを求めたくとも、人通りが元来から少ないのに加え、たまたま通りかかった人も見てみぬふりだった。

「………」

愁は抵抗はおろか痛みに声を上げることもできないくらいに弱っているのに、蹴りは止まない。謡もついでのように足蹴にされる。(愁君が危ない…だけど、どうしたら)

こいつらが飽きるのを待つしかないのか、と謡が思った矢先、




「つまらないことしてるのだねぇ」




楡乃木涼子の言った通りに降りだした雨の下、やけにのんびりした口調でそう言う者がいた。


「つまらなすぎて逆に喜劇だ」







評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ