第五十六話
森の地下遺跡……それは正確な表現では無い。
地下遺跡である事は間違いないが、それは森の地下には存在していない。
『ホッホ、ビジットも気の早いことで……』
不気味な声を出し“ヴォーエンスイエーガー”フェンブルハンツは同じく“ヴォーエンスイエーガー”ヘカルベレントに顔を向ける。
『ふん、バカな奴よ……この場で待ち構えていればいいものを』
頭部が無い為表情は分からないが、その内心の忸怩たる思いは周りには分かっている。
ヘカルベレントがシュンに付けられた傷はまだ癒えていない。
驚異的な自己回復を持つ高位アンデッドだが、一日以上経っているのも関わらず鎧に付けられた傷痕が自己主張をしている。
『まーあまーあ、へカル殿、ここはあやつのお手並み拝見といくのであーる』
“ヴォーエンスイエーガー” グルイーヴィヴァンがヘカルベレントを宥める。
『ふん、こんな影像越しではよく分からぬがな』
今この地下遺跡の大広間ではシュン達の映像が映し出されている。
“呪怨月影”……森を一周するというのは“円”を表し、“円”は“怨”に通じ、“怨”は月と曲がった心を表す文字だ。
月は太陽と対極の存在として意義化され、闇の眷属の象徴であり、狂気の光だ。
“円”により“怨”と“縁”を結んだ者達の声や姿を、月が出ている間だけ映し出す呪法である……雨雲が出ている為に映りは悪い。
これはシュンの使う漢字魔法と同じ原理の呪術版だ。
『ホッホ、ところで頭領殿はどちらへ?』
『我が主は奥の間で冥想中だ』
フェンブルハンツの疑問にヘカルベレントが答える。
『お屋方様はあの子供を殺せとは仰らなかったのであーる。 寧ろ此処まで辿り着くのを楽しみにしている風であーった。バレたらビジットは怒られのであーるぞ』
そう言いながらもグルイーヴィヴァンは、この事はもうお屋方様ならば承知しているだろうとは思っていた。
あのお方の目を盗むのは非常に困難だ。 ともすれば冥想中と言いながらもなんらかの手段で見ている事も十分に考えられる。
バーティビジットは気まぐれだ。
殺すつもりは無いだろうが、途中で気が変わると言う事もあるかもしれない。
それでもお屋方様は止めなかったのだから、死なせてしまえばそれはそれで仕方ないと思っているのか……或いはバーティビジットではあの子供を倒す事はできないと思っているのか。
『ホッホ、頭領殿がご執心とは言えワタクシ達は生者に憎悪を抱く存在。 衝動を抑えきれないのも無理はありません……ですよねへカル殿』
フェンブルハンツは、ヘカルベレントが昨日のシュンとの戦闘で本気になりかけた事を言っている。
『ふん、あんなものただの小手調べよ』
『ホッホ、まあそう言う事にしておきますか』
ヘカルベレントとフェンブルハンツの会話を聞きつつも、グルイーヴィヴァンは荒い影像のシュンの戦いぶりに注視していた。
…… 大広間の奥、堅固な扉に閉ざされたヘカルベレント曰くの奥の間に、幽霊狩猟の頭領が鎮座していた。
簡素な造りで、大した広さも無いし、床に胡座だ。
「おいルーよ、アニキが此処に向かってるぜ……まあ今邪魔が入ったけどよ」
拐われたルーセリーナも此処にいた。
だが当のルーセリーナは無言だ。 無理も無い、何せ昏睡状態にあるのだから。
つまり、今の頭領の言葉は独り言だ。
シュンの名を出せば何か反応があるかもしれないという興味もあったが、やはり無反応だった。
ルーセリーナは特に拘束されるなども無く、床に投げ出されていた。
「アニキ、早く来ねえとヤバイぜ」
簡素な奥の間に吸い込まれてしまう程静かに頭領は呟いた。
『いよう、俺ぁバーティビジット、お前ぇがあシュンか、聞いてた通りただのガキにしか見えねえなあ」
異様な姿の悍ましい死体……忌まわしい死体と呼ばれるアンデッドがシュン達の輪の中に当たり前のようにいた。
こんな見た目でも冗談は言えるようだ……知能は高いと見るべきだ。
全身が赤黒く腫れ上がり、ケロイド状に爛れた皮膚や肉が地面に滴り落ち、自身の身体や崩れ落ちた肉片から蒸気が立ち込める。
至近距離だ、退魔師であるミラが危機を察知し魔法を使う。
「天道開きて三界満たす“エクスペルインピュリテス”」
瘴気祓いの退魔魔法だ。
これにより蒸気は残るが瘴気は霧消する。
しかし際限無く瘴気は湧いてくるのでキリが無い。
「オラァ!」
シュンが今しがた作った木の皮の掛け布団をバーティビジットに投げつけ、それ越しに両手で掌底を叩き込む。
『うおお!?』
まさかいきなり肉弾戦に持ち込んでくるとは思わなかったのか、スキを突かれバーティビジットは後方へと吹き飛ぶ。
そのままシュンは木皮布団を掴み、反動も利用して距離をとる。
その隙に仲間達も蒸気の範囲外まで下がっている。
付近を見渡してもバーティビジット以外には敵は見当たらないが、不可視化された伏兵などの存在もあるかもしれない。
しかしシュンにはそんな気配を感じる事はできないため、その辺りはミラなどに任せる。
『へえぇ、こりゃ凄え……俺を吹き飛ばした一撃もだが、その見窄らしい蓑もどうなってんだ? 俺に触れて腐りもしねえたあ』
シュンの作った汚くてキモくて見窄らしい蓑……酷い評価だが仕方ない。
とにかくその木皮布団は、そもそも夜襲対策でもあった。
堅い木の皮に、衝撃吸収材として落ち葉を貼り付けたのだ。
木皮にはベットリとヤニが付いていたのでそれを防止する意味もあった。
あくまでメインは寝具である。
雨で濡れた葉では気持ち悪いが、贅沢は言えないだろう。
さらにバーティビジットも驚いていたが、瘴気対策としての落ち葉である。
アンデッドは生命力を奪う存在だ。
その瘴気は命あるものに特効があり、例えば、魔族の瘴気の様に見境無く辺りを朽ちさせる代物ではない。
ましてや常時発動瘴気ですぐさま朽ちる事は無い。
「なんだ貴様、自分の能力を把握してないのか?」
『ああん? 何だお前ぇ、いちゃもんつける気かよお』
んん?何だこいつは……シュンは訝しむ。
アンデッドになったことの無いシュンには予測でしか無いが、普通自分の能力はアンデッドという存在になった時に理解するものでは無いのか?
しかし、理由などどうでも良く、自分の能力を理解できず十全に使いきれない者など敵とするにも未熟すぎる。
ヴォーエンスイエーガー恐るるに足らず。
「アンデッドの瘴気は生ある者にこそ、その威力を発揮するものですわ」
ミラが解説をする。
なぜバラすのか。
そんな事はこの状況を終わらせてからゆっくり皆んなに説明してやれ。
少々考えたらずではあるが、瘴気祓いの魔法の後にすぐさま“恐怖耐性”もかけていた。
これは退魔師としてのルーチンかもしれないが、先読みは出来ている。
『ほーう、そうなのか。 まあ関係ぇねえ、俺よりもテメエだよ。 へカルの旦那に傷をつけた力を見せてくれやあ』
「シュン、二人でやるぞ」
エミがシュンの隣に並び立つ。
向こうの言い分に従う義理は無いし、他の皆んなには危険な相手だ。
シュンはエミとの共闘に少しだが心を躍らせた。




