第四十話
冒険者バーケンは今年十七歳になる。
二年前に遂に憧れだった冒険者になれた。
彼の実家は貧しい。 さらに弟や妹が合わせて七人と、両親祖父母の十二人家族だ。
彼はまだ小さい弟妹の為にも、年老いた祖父母の為にも、育ててくれた両親の為にも貧しい平民の若者が一攫千金を狙えるほぼ唯一と言っていい冒険者を目指すのは必然だったのかもしれない。
だが彼は今それを激しく後悔している。
『ハッハッハー! 何だ何だあ? 歯ごたえねえなあ!』
真っ黒な巨大な山羊の様なシルエットのモンスター、シェイドカプリコンに騎乗する軽装鎧を纏った忌わしい死体が、聞くにおぞましい声を上げる。
「な……何だよあれ……」
バーケンの仲間の一人が心ここに在らずといった面持ちで呟く。
辺りに黒い靄がかかったと思ったら、あっという間に十数体のシェイドゴートに囲まれていた。
だが、囲まれたとは言えシェイドゴートの適正レベルは十五であるし、バーケン達は五人パーティーだ、落ち着いて対処さえすれば多少の準備不足は問題にならないはずだった。
この化け物さえ現れなければ……
勇ましくも斬りかかった仲間の一人は、この化け物の身体から染み出してくる霧に触れた途端に腐り果ててしまい、腐った死体となり彷徨いている。
また、ある仲間はその一睨みで魂を抜かれ、シェイドとなって宙を舞っていた。
殆ど触れる事も叶わずに二人の仲間がアンデッドにされてしまった。
あまりにも格の違うアンデッドモンスターとの遭遇にバーケンを含む残りの三人は戦意を喪失してしまっている。
『俺ぁバーティービジット、ヴォーエンスイエーガーの一人だ……が、ここはハズレみてえだなあ』
仲間を殺され、ハズレ扱いされてもバーケン達には怒りの感情すら湧いてこない。
そこにあるのは恐怖だけだった。
『まあ、せっかく来たんだ……相手してくれるよなあ?』
「う、うわああ!!」
バーティービジットの絶望的な宣言に金縛りにかかった様に動けなくなる仲間を残して、バーケンは逃げ出した。
バーケンが動けたのは、彼が身につけていた“不壊の魂”というアンデット耐性のあるスキルのおかげである。
“不壊の魂”はアンデッドモンスターを、魔法やスキルを使わずに倒した際に身につくスキルで、習熟度が上がればアンデッド化も防ぐ効果や、アンデッドのパッシブスキル、エナジードレインや恐怖の視線を無効化する事もできる。
『お、一匹逃げやがったか……まあどうでもいいか』
バーケンはそんなバーティービジットの言葉と仲間の断末魔も聞こえなかった。
ただ『死にたくない』と言う思いのみで走り続けていた。
同時刻、他の場所でも同じ様なことが起こっていた。
『我輩はグルイーヴィヴァン、ヴォーエンスイエーガーが一人であーる』
二パーティ四人が殺された。
『私フェンブルハンツと申します。 ヴォーエンスイエーガーの一人でございます」
三人が犠牲となった。
「お、俺は何て事を……仲間を、見捨てるなんて……」
酷く憔悴し、行いを悔いるバーケン。
他の生き残りも似た様なものだった。
偵察が今回の主任務なのだから、全滅を免れ情報を持ち帰ったことは決して非難されることではない。
ましてや、彼らが逃げなかったところで犠牲者の数が増えていただけだろう。
しかし、彼らの心情はそんな理屈では拭えなかった。
今まで苦楽を共にし、死ぬも生きるも一緒と誓った仲間を我が身可愛さに言わば身代わりとしたのだ。
生き残り、落ち着きを取り戻してから激しい後悔に襲われ、その自責の念は身を焦がすほどだった。
一通りの話を聞き、シュン達も自分達の持ち帰った情報を伝える。
代表してシュンが伝えたのだが、自分を探していた事はつい隠してしまった。
色んな意味で言い出しにくかったのだ。
「ヘカルベレント……と言ったのですか?」
ギルドの執行委員ソレルがシュンに聞き返す。
「確かにそう名乗っていました」
シュンはジェスティースの事も内緒にした。
さすがに二千年前の個人名は出す事もないだろうと思ったし、英雄の名を汚したくなかった。
「……三十年前に出た幽霊狩猟の首領の名前がヘカルベレントであったと記述されています。」
ソレルは過去の資料を斜め読みしながらそう答える。
「記録によると退治したという事になっているんですが……アンデッドですからね、倒しきれなかったんでしょうか……って言うかよく生きて帰って来られましたね」
ヘカルベレントは鎧に取り付いたドッペルゲンガーだ。
倒すには鎧の破壊が一番だろう、依り代を失えばいかなジェスティースのドッペルゲンガーといえどただの影となり、元々死んでいるのだからいずれ消滅するだろう。
だが、例えばターンアンデッドなどの魔法的手段であれば、彼を縛る呪いの力を上回らなければ、一時しのぎにしかならない。
つまりその時は退治したつもりになっていただけなのだろう。
「……いや、いい事何ですがね、それよりもそのヘカルベレントがヴォーエンスイエーガーの一人を名乗り、それが他にも三体確認されているという事が非常事態です。 前回の首領が同格の者複数と現れ、さらにその首領がいるという事なのですから……」
ソレルは自分の手に負える事態ではないと判断した。
「至急王都に応援を要請します。 我々だけで事態を収拾させる事は不可能でしょう」
当然の判断だろう。
もはや領主がどうのではない、国家規模のモンスター災害だ。
単純に言えば三十年前の幽霊狩猟が四軍団現れたという事なのだから。
ただし、応援の到着は一体いつになるのかが問題だろう。
これから連絡して、受理されたとして軍備を整え、ここにやって来る。
シュンは王都がどこにあるのか知らず、何日かかるのかの見当はつかないが、明日明後日という事は無いだろう。
そもそもシュンは名指しで呼ばれているのだ。
自分が行かなければいけないだろうと考えている。
犠牲者の鎮魂の為にも自分が隠れているわけにもいかないし、ルーセリーナも捕まっているみたいなのだ。
「まだ戻らない者が十人ほどいます。 危険ではありますが彼らの捜索を最優先にし、冒険者の皆さんにはそれに当たってもらいたいと思います」
酷な話である。 仲間を見捨ててまで彼らは命からがら戻ってきたのだ。
それをまた、時を置かずにもう一度この魔の森に入れと言う。
だが見捨てるわけにもいかない……ソレルにはこう言うしかなかった。
「じょ、冗談じゃねえよ!」
拒否の意を示す冒険者達。
「助けたいのは分かるけど、俺達ゃもう無理だ……足が竦んで動かねえよ」
「あの化け物に会うのはもうゴメンだ!」
「早く逃げねえと……ここだって安全か分からねえじゃねえか」
もう一度森に足を踏み入れる気持ちがある者はいない。
当然と言えば当然である。
ソレルも、そう言うしかないから言ったのであって、強制できるわけもなく、要は自分のアリバイ作りに近いものがあった。
「エミ、行くぞ」
「うむ、そうだな……みんなはここにいてくれ」
無造作に言い放つシュンとエミ。
「はあ? ちょっと何言ってんの二人とも」
当然ながらシェリルは反対のようだ。
「私を連れて行かずに、アンデッド相手にどうするつもりですの?」
「違う、そうじゃないミラ」
リアンの言う通りだ。
「シュン君とエミがいくら強くたってそれは無謀です!」
マリンカも実際にシュンの実力は見たが、若干押され気味にも見えていた為、さらに複数の相手に対峙するのは蛮勇でしかないと思う。
「エミ、あなたシュンが来てから変よ……一体何なのこの子は?」
ついにシェリルが不信感を露わにする。
みんな少なからず思っていた事だ。
「帰ったら説明する。 今は一刻を争うかもしれん」
エミが自分から説明すると言い出した。
エミさえ良ければ、シュンが遠慮する必要は無いので、下手な隠し事をせずに済みそうだ。
「そう言う事だ、お前らは他の奴らを元気付けてやってくれ……可愛い子に慰められれば元気も出るだろう」
「ちょ、かわ……いや、そんな事は、そうじゃなくて私は……」
急にしどろもどろになるシェリルを置いて踵を返すシュンとエミ。
「いいか、絶対ついてくるな……守りきれんかも知れんからな」
シュンはそう言い残すとエミと二人で走り出した。




