第一話
そこは暗い、あまりにも暗い……全てが闇に閉ざされた世界。
自分の姿すら見えない、本当に身体があるのかさえ不安になってくるほどの闇。
まるで陽の光の一切届かない深海で揺蕩う様な、事象の地平線に捕らわれた憐れな光の粒子の様な気分だ。
当然どちらも経験した事など無い。
あれから一体どれ程の時間が経ったのだろう……。
何故こんな事になってしまったのか。
この世界に連れてこられる前、高校卒業を目前に控えていた俺は、家庭の事情から進学を諦め、就職先も決まっていて時間を持て余していたのもあって、新作RPGのレベリングにハマっていた。
進学を諦めた俺に、親がせめてもの卒業祝いとして本体ごと買ってくれたものだ。
学校にも殆ど登校する事もなくなっていたので、朝も昼もなくそのゲームに没頭していたのだが、そんな時に流れてきた一つのメッセージ。
『貴方は体感型RPGに興味はおありでしょうか? Y/N』
何かのアンケートだろうか?
何やら開発が進んでいると聞いた事があった。
もちろん興味はある。
こういった剣と魔法の世界で大冒険をしてみたいと常々妄想に耽っていた。
社会人としてこれから毎日何十年と働いていかなくてはならない、そう考えると鬱になりそうだった俺の、あるいは逃避だったのかもしれない。
“体感型ゲーム”、いわゆるVRゲームは現実的な逃避先としてはもってこいだと思い、ぜひとも完成させてもらいたいので、そのアンケートにY、イエスと答えた。
『では召喚に応じますか? Y/N』
召喚?何のことだろうか。
その不可解さに、しばらく画面を見つめながらボーッとしていると、メッセージの“Y”の文字が点滅し始めた……まるで催促をしている様だった。
あ、怪しい。
何かのウィルスの危険性を感じて、メッセージウィンドウを消そうと思いマウスでポインタを移動させると、まるで吸い寄せられる様に“Y”の文字上にいき……そしてクリック。
ヒヤリとした。
手が勝手に動いた様な気がしたからだ。
ゲームのやり過ぎで疲れているのだろうか。
すると突然画面に女性、黄金色に輝く緩いウェーブのかかった髪、整った目鼻立ち……金髪美女の画像が現れた。
やっぱりウィルスじゃないか、架空請求とか来ちゃったらどうしよう……などと不安に駆られていると、その美女の顔が歪な笑を湛える……アルカイックスマイルというやつだ。
それからは、あれよあれよと進み、やれ魔族とその魔王を倒せだの加護を与えるだの全てが終わったら元の世界に戻して、何でも一つだけ願いを叶えるだのと説明を受けた。
その間、まるで金縛りのでもあったかの様に身体は動かないし、しゃべる事もできない。
ただ説明を聞くだけの事しか出来ない状態で、強引に承諾させられてこの世界に連れてこられた。
……そして今に至る……と。
「最初に『興味がある』と答えてからは完全に強制イベントみたいな感じだったなあ。」
暇なので独り言を言ってみる。
「その結果がコレってんじゃあ、あまりにも理不尽だ。」
五千年封印するとか本気か?
「今で何年くらいなんだかなあ……。」
時間の感覚が分からなくなってきているが、こんな状況でまだ発狂もしていないって事は、大した時間が経っているとは思えない。
「どうする事もできないし、一眠りするか。」
腹も減らなきゃ睡魔も来ない。
それ故ずっとボーッとして来たが、目を瞑ってみる。
不思議とスーッと意識が遠のいていき、眠っていく感覚に包まれた。
「・・なよ、・・・きなってば。」
声が……聞こえる。
「君の封印はもうすぐ解かれるよ。」
頭の中に靄がかかっているみたいにハッキリしない。
「まだ二千年しか経ってないけど僕が上手いことやっといたからさ。」
二千年?何のことだろう……。
「君はこれから好きに生きるんだ、それが彼奴らにとって困る事になるんだからさ。」
彼奴らってどいつらの事だろう、君って言われても俺は誰なんだ?……いや何だっけ……何かこう……なんだっけ?
【霊峰ソロン】そう呼ばれる霊山。
麓から中腹まで鬱蒼とした木々に覆われているこの山の麓の一角に、ポツンと開けた場所がある。
そこは一切の草花も咲かず、まるで荒野であるかの様にこの森の風景にそぐわない不可思議な領域。
その中心に、これもまた違和感のある環状列石柱。
等間隔に六角形の形に並んだその石柱群の中心には、小さな祭壇の様なものが置かれ、複雑な魔法陣が描かれた水晶の様に透明な石版が祀られている。
その列石柱の一つに複数の人影があった。
「さあ追い詰めたぞ!覚悟を決めろモルドーヴ。」
「ふん、追い詰めただと?勘違いも甚だしいな。」
白銀の装備を身に纏い、剣を構えた若い男が詰め寄るが、ふてぶてしい態度をとる真紅のローブをだらしなく着こなす男。
「フッ、強がりを……。」
「貴方の目論見もここまででよ!」
若い男の仲間らしき長身痩躯の青年と美しい長い髪の若い女性が白銀の若者と共に真紅の壮年、モルドーヴに相対している。
「ルースさん気を付けてください!なにか様子がおかしいです!」
深緑のローブに身を包んだ少女がその後ろから叫ぶ。
「何だって!」
確かに何やら石柱を弄る様にしている……様子はかなりおかしい。
「ほう、勘がいいのがいるな。」
ルースと呼ばれた白銀の若者が警戒を強めながらも距離をジリジリと詰める。
「見苦しいぞモルドーヴ、この期に及んで一体何を企んでる。」
「もう手遅れだルースよ、俺様の目的は遂げられたも同然だ。」
そう言ってモルドーヴは懐から取り出した物を高々と掲げる。
それは一見すると、ただの鳥の羽根に見えた。
「ああっ!あの羽根は!」
「知っているのかリーリス。」
リーリスと呼ばれた長い髪の若い女性が驚愕に目を見張ると、長身痩躯の青年が意外そうに聞き返す。
「去年、ドューハース帝立学士院の古代魔術研究室から盗まれた“ストームバード”の尾羽です!」
「もうパティナったら、アタシが言おうと思ってたのに。」
「それなら俺も聞いたことがあるな。」
「おい、お前達!何を暢気なこと言ってるんだ!(そんな事件俺は聞いた事ないぞ)」
視線をモルドーヴから動かさずにルースが叱りつける。
「そうですよヴォルさん。」
「おぉ、俺なのか。」
パティナがしれっと言い、ヴォルと呼ばれた長身痩躯の青年が狼狽える。
「……お前ら。」
「ふん、呆れたものだ……この俺様の野望を邪魔する奴等が貴様らみたいな奴らだとはな。」
「確かに俺たちは二流のパーティーだ、けどな……魔王の復活なんて世迷いごとを吹いている方がよっぽど呆れるさ、モルドーヴ兄さん。」
「愚弟には理解できようはずも無いな、そこで指をくわえて見ているがいい。」
モルドーヴが“ストームバード”の尾羽で石柱をひと撫ですると、『ピシッ』と軽い音を立ててガラガラと石柱が崩れ落ちる。
先ほど弄っていたのはこの場所を探し当てるためだった様だ。
崩れ落ちた一角から、六角状の石柱で閉ざされた内部に溜まっていたのであろう凄まじい力が噴き出してくる。
「な、何これ?凄い魔力……いえ、魔力とは……少し違う?」
「これは……神霊力です!」
神霊力、それはこの世界の理を操り、歪ませ、因果をすら捻じ曲げる魔力とは違い、そもそもこの世界には存在しない力で、それは世界の外【神の領域】にあるが、魔法の中でも特に効果の大きい極大魔法と呼ばれるものや、聖職者が高位神聖魔法を使用する時に感知する事ができる……要は魔力の上位互換だ。
「なるほどな、力そのものには善も悪も無い……神だろうが悪魔だろうが、ただその有り様が違うだけという事か。」
「すいませんヴォルさん、意味が分からないのでキモいです。」
「いやパティナ、別にキモくはないでしょ、意味は分からないけど。」
「だから何でお前らはそんな余裕なんだよ!(神霊力って何だよ)」
「ふん、いつ迄もそうやって巫山戯ているがいい」
モルドーヴは環状列石柱で囲まれた中心に向かって走り出した。
「あっ!待てモルドーヴ!」
続いてルースも後を追う。
「皆んな、アタシ達も追うわよ!」
リーリス、パティナ、ヴォルも走り出した。
今からおよそ二千年前ヒト族と魔族の大戦争が起こり、勇者が魔王を討ち滅ぼしたと言われているのがソロン麓のこの荒野、“ヘキサピラー”と呼ばれる環状列石柱のあるこの場所だった。
六芒陣に配せられたこの環状内は強力な結界が張られ、立ち入ることは何人にも出来なかった。
そう、今この瞬間に至るまで。
モルドーヴはついに祭壇の石板を手にした。
今から五年前、まだ一介の冒険者の過ぎなかった彼が、探索に訪れた古代神殿で遭遇した一体のモンスター。
漆黒の体毛に覆われ、翼を持った獅子の様なそれは神殿を守護する神獣だった。
その神獣に、命を見逃す代わりに魔王の復活を持ちかけられたのだ。
どころか、成功した暁には世界の半分を与えるとまで言ってきた。
あまりにも怪しい、胡散臭い話で、とても神獣……それがたとえ邪神の類いだとしても……がする内容とは思えなかった。
世界の半分……それは即ち、世界中の女性を我がものとする事だった。
モルドーヴはこの話に乗った。
命が懸かっているというのも勿論あるが、彼は女好きだった。
然し残念ながら、彼はいわゆる“モテる男”ではなかった。
彼は、自分中心のハーレムを作る事ができる唯一の手段と思われるこの話に乗ってしまった。
世界中の女性を手に入れるなどおよそ正気とは思えないが、モテ無さ過ぎてすでに正気ではなかったのかもしれない。
だからであろうか、何故復活させるだけで世界の半分(女性)を手に入れらるのか?とか、よしんば手に入れたとして世界中って言うのは多過ぎるだろうとか、好みではない女性はどうするのか、とか細かい事は考えなかった。
その神獣から魔王復活の方法を教えられ、ここまで来た。
「はあ、はあ……こ、これで俺様の野望が遂に……。」
目は血走り興奮に息切らせ、さらに気の早い事に股間も人には見せられない状態になっていた。
今までのふてぶてしくスカした態度が台無しになる醜態だった……醜態と言うか変態だった。
「待て!」
ルース達が駆けつけるが、さすがは本人達も認める二流冒険者、間に合わない。
神獣より授かった神獣自身の牙で、石板を破壊する。
「ハハ、フフハハハ!どうだ、これで魔王が復活し……そして俺は!」




