第十二話
せめて朝食をとってからと、シュン達一行は昨日ルースがイチャイチャしてた広場へ通された。
レイテスは今しかないと思った。
朝食が終わればすぐにでも彼らはここを立つだろう。
そうなったらもうルーセリーナに伝える。、説得する時間は無い。
「シュン兄ちゃん、どう? 美味しいでしょ、ここの自慢なんだ。」
この里特有の味付けをした料理を自慢気に言うルーセリーナだったが、寂しそうな目元は隠せない。
それを見るレイテスの心も締め付けられる。
(どうしよう、もうすぐ朝食が終わっちゃう。)
「ルーちゃんありがとう、美味しいよ。」
(この子がここに残ってくれたら……。)
そんな詮無い事を考えてしまう。
ルース達もレイテスをチラチラと見ている。
早く言わなくちゃと、心だけが早る。
「時にレイテスや。」
ドキリとするレイテス。
「何ですか……ルーセリーナ様。」
「お前、旅に出たいのかい?」
どうやらルーセリーナにはお見通しのようだった。
叱られる! そうレイテスは身構えた。
「少し早いけれど……いい機会じゃ、この若者達が一緒じゃったら心配は無いじゃろう。」
「ルー、セリーナ、様?」
驚きに目を瞠るレイテス。
「お主を引き留めるのも限界じゃろう……昨日も言いかけたが、この里の使命は終わったのじゃ、皆は自分の心のままに生きるのがこれからの使命じゃ。」
レイテスは感極まった。
自分の寂しさを押し殺し、あくまで里の皆の幸せを願うその心に。
本当はこの少年について行きたいのかもしれない、自分と同じように一緒に旅をしてみたい、そう思っているのかもしれないのに……私には行っていいと言う。
行けない……でも行きたい。
これ程までに自分の心が揺れたのは初めてだった。
「レイテス、シャンとをし! 一緒に行きたいのだろう、夢なのだろう? だったらハッキリ言いなさい!」
目を丸くするレイテス。
しかしすぐに
「行きたいです! ルース様と、この人達と一緒に私も冒険したいです!」
涙を滲ませながら叫ぶ。
「達者でな、レイテス……いつでもここに帰っておいで。」
「ハイ……ありがとう、ございます。」
「じゃあねルーちゃん、ちょっと名残惜しいけど……もう行くよ。」
シュンはルーセリーナに別れを告げる。
本音を言えば離れたくは無かった。
こうして再会できた可愛い妹。
この見ず知らずの二千年後の世界、不安はある。
ルーセリーナが居てくれればどれほど心強い事だろうか。
けれどもルーセリーナはこの里の長だ、後期高齢者だ。
どの様な事が起こるか分からない旅に連れ出すわけにはいかない。
シュンは自分の弱さを情けなく思いながらも、ルーセリーナに迷惑をかけるわけにはいかないと、別れる決意をした。
シュン達はこうしてユラの里を発った。
「行っちゃったなあ……」
昨日からのこの時間は最高に幸せな時間だった。
もう逢えないと、何度も諦め、諦めきれず……でもどうにもならずにいたこの二千年間。
ルーセリーナは里の隅に建てた倉庫に足を運ぶ。
中には所狭しと置かれる農具や古道具。
そこでルーセリーナが短い呪文を呟くと、部屋の様相がガラリと変わり何も無い部屋となる。
いや、一つだけ何かがあった。
それは姿見の鏡だった。
“ウインクルの昔鏡”そう呼ばれるエルフの秘宝である。
自分の過去の姿を写し出す鏡なのだが、その昔ルーセリーナはこれを改造した。
若気の至りだった。
アルヴフェイムの宝物殿からこれを持ち出し、魔法の実験として使用したのだ。
エルフの秘宝に漢字魔法を施し追加効果を与えたこの鏡は、ルーセリーナの諦め切れなかった心が結実したものだ。
「これを……使えば。」
けれども逡巡する。
今までこれを使用した事は無い。
使用すればその追加効果、写った姿を自分に転写する事ができる。
つまり若返りだ。
本当にその効果が得られるかは確証が無い上に、使えば確実に魔力の殆どを失う事になる。
「これを使えば、シュン兄ちゃんについて行ける……」
ルーセリーナはそう考えていた。
自分が老婆だから、体を気遣って自分をここにおいていったのだと、そう思っている。
今更失敗したところで失うものなんて無い。
しかし……
ルーセリーナは想い浮かべる、この里の皆の顔を。
自分を慕い、支えてきてくれた皆の顔を。
失敗すればどうなるのか分からない、成功しても自分はこの里を出てしまう。
それでいいのだろうか。
故に逡巡する。
自分の身勝手に、皆を捨てる罪悪感に。
やはりダメだ、自分には皆を見捨てるなんてできない……可愛い子供達なのだ。
ルーセリーナに子はいない。
この里がルーセリーナの全てだった。
部屋を戻し倉庫を出ると、目の前には里の民が集まっていた。
「お前達、どうしたのじゃ?」
「里長よ、なぜ此の地に来たのか……なぜ彼の地を出たのか思い出して下さい。」
急にどうしたのだろう?
そう思いながらもルーセリーナは思い出していた……彼の地、アルヴフェイムにいた頃の事を。
二千年前、魔王が倒され世界に光が取り戻された。
しかしルーセリーナにはそれは決して希望の光たり得なかった。
すなわちそれはシュンがいなくなってしまった事を示していたから。
死んでしまったのか、それとも帰ってしまったのか、それは分からなかったが、いなくなってしまったのは事実だ。
せめて生きて元の世界に帰れた事を祈るのみだった。
また別の問題もあった。
アルヴフェイムの森の木々から新種のエルフが誕生してきたのだ。
エルフは元々はアールヴ、もしくはアルヴスと呼ばれる精霊だった。
その精霊がこの世界に住むうちに肉体を持つようになり、妖精となった。
鉱山や洞窟に住む者はドヴェルグ……ドワーフと呼ばれる種族になり、丘や森に住む者はエルフと呼ばれるようになった。
森のエルフは自分達の事をシュラートと呼んだ。
ルーセリーナもその種族である。
元々精霊だったエルフは死ぬ事があったとしても、その存在は消えることは無い。
アルヴフェイムよりまた生まれてくるのだ。
同じくドワーフもドヴェルスウェルムの地より生まれている事だろう。
ただ、新たに生まれて来るものたちは死んだ者たちとは当然別人だ。
最初はルーセリーナもそれを喜んだ。
皆の生まれ変わりだと。
初めは皆ルーセリーナに従った。
しかし、数を増やした新しいエルフ達は自らをリョースエルフと名乗り、生き残ったエルフをスヴァルトエルフと呼んで蔑み出した。
だが、それでもルーセリーナの事だけは蔑む事はしなかった。
彼女の知識や経験は、リョースエルフ達をしても侮る事はできなかったのである。
やがてリョースエルフ達は王を立てアルヴフェイムをエルフの王国として作り上げていった。
その中でルーセリーナは、リョースエルフとスヴァルトエルフの両者のバランスをとりながら、エルフ族の繁栄と平和の為に国の運営に陰に日向に尽力した。
情報魔術を研究し始めたのも、元々の理由は両者に何の違いも無いのだという事を証明する為に取り掛かった事だった。
これまでの研究結果から、アルヴフェイム産のカンナビヌス、通称‘エルフ麻’から作られた紙に漢字を書いてその文字を読む事によって発動するが、意味を意識しておかないと不十分な効果しか得られない。
そこまではいったのだが、そこで行き詰まる。
何しろルーセリーナの知っている漢字は数が少ない上に一文字づつしか使えない。
そこで発想の転換が行われた。
漢字の意味では無く、意義を利用しようとルーセリーナは考えた。
シュンから聞いた話によると、既存の魔法文字は表音文字と呼ばれるものであり、複数の文字と配列、記号を利用する事によって意味を成すのだが、漢字は表意文字というそれ単体で意味を持つ言わば、最小の魔方陣だ。
漢字は音を表すのでは無く意味を表すということは、モノの考え方、概念の表現と言える。
今まで研究した内容から漢字は一つの要素からなるものと複数の要素を組み合わせたものとがあることが分かっている。
それならば、その要素をも分解出来ないものだろうか?
そうルーセリーナは考えた。
魔法文字への翻訳や置き換え、または文字では無く魔力そのものに当てはめ転換し、今まで存在しなかった魔法文字まで発明し、それらもすべて利用し、ついに概念の最小単位である概念子とでも言うべき魔法素子を発見した。
これは世界を暴く世紀の発見であるが、そこまで辿り着くにはいかに天才のルーセリーナを以ってしても気付けなかったし、気付いてもそこまでの高みには到達できることは無いだろう。
それは神が定めた、この世の生物が決して触れてはいけない領分なのだ。
だから、ルーセリーナはここまでが限界だ。
しかし十分だ。
その発見は、ルーセリーナの目的を果たす為には十分過ぎるものだ。
この概念子を知っている限りの漢字に当てはめ、その意味を知り、こちらの言葉に翻訳してついに情報魔術が完成した。
実に六百年の時が経っていた。
しかし、待っていたのは望んだ結末ではなかった。
リョースエルフとスヴァルトエルフの間に決定的な違いがある事が判明してしまった。
リョースエルフはアルヴフェイムから生まれたばかりの純粋なエルフ。
スヴァルトエルフはこの世界に染まってしまった半人半妖の存在。
遺伝子レベルでの違いが浮き彫りになってしまったのだ。
これにより、エルフの王国での階級制度は盤石になってしまった。
ルーセリーナの長年の研究はエルフの社会に大きな亀裂を入れてしまうと言う最悪の結末を迎えた。
スヴァルトエルフの多くの者が余計な事をしたルーセリーナを非難し、憎悪し、呪詛の言葉を吐いた。
一緒に研究した仲間も、自分達が非難されないよう率先して迫害に加担した。
リョースエルフたちはルーセリーナを讃え、世界最高の魔導士と呼んだ。
しかしルーセリーナもスヴァルトエルフなのだ。
世界最高の魔導士と呼びつつも、リョースエルフたちの目は冷ややかなものだった。
もうこの国にルーセリーナは必要無い。
ルーセリーナが追放されるまでそう時間はかからなかった。
仮にも世界最高の魔導士である。
国内の記録にはルーセリーナは探求の旅の為に出奔したと記される事になった。
そんなルーセリーナに付き従う一団がいた。
後のユラの里の民である。
多くの民の憎悪を一身に受けるルーセリーナではあるが、慕うものたちだっている。
数はそう多くは無いが、親を亡くしルーセリーナに育てられた者や、その人柄に惹かれた者、その努力と実力を尊敬する者。
皆ルーセリーナを見てきた。
その身を殺し、エルフ全体の為に尽くしてきたその姿を。
ただただ平和と安寧を願い、その為に立ち止まる事を知らなかったその心を。
そして皆を愛していたその慈愛を。
悔しさ、無念さに皆涙を流しルーセリーナについて行った。
その者達を連れ、歩を進めるルーセリーナには行くべき場所があった。
かつてシュンがその身を投じた場所、魔王城跡地である。
そこには山が聳え、森が広がっていた。
その森の中にぽっかり開けた荒野のような場所。
その中央に六つの石柱で出来たストーンサークルがあった。
ここでシュンが戦い、そしてこの世界から消えていった……そう確信するルーセリーナ。
『この地に里を築こう』
そしてシュンの魂を安んぜよう……そう考えた。
こうしてユラの里は出来た。
名前の由来は、シュンの時代の自分達種族の呼び名“シュラート”からとったものである。
「里長は今までずっと我慢してきたじゃないですか。」
「俺たちは貴方に救われたんです。」
「どうか私達のことは心配しないでください。」
「今度こそ、どうか自分の為に生きて下さい。」
「もう俺たちは大丈夫ですから。」
「いい加減親離れをさせてください。」
次々に紡がれるルーセリーナを案じる言葉。
「……お、お前達。」
「里長、いやルーセリーナ様……どうか自分の心に嘘をつかないでください。」
自分はこんなにも皆に愛されていたのだと心が震えた。
アルヴフェイムを追放された原因であるこの自分をここまで。
「お前達……いう様になったものじゃな。」
「……ルーセリーナ様。」
「儂が居なくともやっていけると言うならば、見せてもらおう。」
そう言い、ルーセリーナは倉庫に戻る。
扉を開け中に入る寸前に一言
「お前達、ありがとう。」
そう呟いて。
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