「紫苑」中編
「知る……?」
「ええ、例えばテーブルマナーを貴女はどう思ってらっしゃるの?」
「どうって……」
「面倒臭いと思ってるんじゃなくて?」
「ええ……」
「貴女の言うことは何も間違ってなんかいないのよ。テーブルマナーは面倒臭いものよ」
彼女が何を言いたいのか分からない。ビスクドールのように動かない表情からは何も読み取れなかった。
「でもね、貴女の目の前で食べ物を零す紳士がいたらどう思うかしら? 不快でしょう?」
「そうね……いい気持ちにはならないわ」
「そういうことよ」
「え?」
「貴女は目の前に座る人間の為に美しく食べて〝あげる〟の。
自身は褒められるし、周りの人間も得が出来る。とてもいいことだと思わないかしら?」
でも、と象りそうになり口を噤む。そんな私に気付いたのだろう。彼女は眉尻を下げ目を横に逸らした。
「テーブルマナーはね。気持ちなのよ。おもてなしの〝気持ち〟。
確かに面倒くさいわ。スプーンなんてどれを使ってもいいじゃない、って思うし、肉の切り方で嘲笑するなんてくだらないわよね。
でも、ここで生きていきたいなら必要なことなの。だから自分で楽しみを見つけるのよ。
〝パーフェクトに出来たら好きなお菓子を用意してもらおう〟
〝このステップが上手くいったら褒めて貰えるかもしれない〟
〝この作法を覚えたら好いた殿方が此方を見てくださるかもしれない〟
ねぇ、そう考えただけで毎日わくわくしない? 嫌な習い事も、煩い夫人も些細なことに思えてこないかしら?
素敵なレディになるのってね、実はとっても楽しいことなのよ」
一気に捲し立ててくる彼女を呆然と眺める。満面の笑みを浮かべる美少女は、その姿さえ嫋やかで魅力的だった。
そこで、はじめて思ったのだ。こんなに綺麗な人になりたい、と。なるのは無理かもしれない。それでも近付きたかった。
「ねぇ、貴女なま……」
「エレアノーラ様!」
私の言葉を男性が遮る。見上げた先には立派に着飾った紳士がおり、思わず目を逸らした。
彼女はといえば、淑女さながらにゆったりと男の方へ向き直っている。
「こんなところにいらっしゃったんですね! 次は私と踊ってくださいませんか? 貴女の為に真っ赤な薔薇の花束を用意したんです。素晴らしいでしょう? 美しい貴女に相応しい」
「まぁ、とてもいい香りね」
「ではホールに参りましょう。私がエスコート致します」
「ふふ、あとでちゃんと伺うわ。私を見つけてね?」
「え、ええ!」
「では、先に戻っていてくださる? 薔薇をフィンに預けたら伺うわ。コレは貴方の気持ちだもの。大事にしたいの」
「はい! では後ほど!」
興奮したように目をぎらつかせる男は私に目もくれない。頬を薔薇色に染めながら、慌ててホールに向かう様は滑稽だった。
「まったく。あとを追うだなんてはしたない。ダンスなんて面倒なことしたくないから抜け出してきたのに」
「……羨ましいわ」
「貴女も少し頑張れば引く手数多よ。そうしたら男を掌で転がしておやりなさい。とっても楽しいわよ」
「冗談が、お上手ね」
「ふふっ」
「レイニー様! アンタはまた!」
顔を見合わせて笑い合う。そうしていれば再び彼女を呼ぶ声が聞こえた。
「あら、フィン。早かったわね」
「早かったわねって……最近は真面目にやってるかと思って少し目を離した隙に……」
「お前が目を離したのが悪いのよ。自業自得ね」
悪戯っ子のような顔で彼女が刺々しい言葉を放つ。恋人だろうか、と男を眺めていれば目が合った。
「申し訳ありません。失礼しました。体調でも優れないんでしょうか?」
「あ、い、いえ、もう大丈夫ですわ! そちらの……その……お嬢様のおかげで……」
「レイニー様の?」
「男には所詮理解できないことよ。
そういえば名乗っていなかったわね。私は……いえ、やっぱり名乗るのはやめておくわ。
貴女が素敵なレディになったら、可愛らしいお辞儀で私に挨拶してちょうだい」
彼女の言葉に目を瞬く。僅かに唇を歪めた美少女は、私に挑戦状を突き付けた。
「それとコレ、差し上げるわ」
「でもコレは貴女が頂いた……」
「赤いバラの葉にはね。無垢の美しさ、あなたの幸福を祈る。
葉全般には、あきらめないで、頑張って、あなたは希望を持ち帰るって意味があるのよ」
「え?」
「あきらめないで、頑張ってね。幸福を祈っているわ。貴女へのエールよ。
それでは、これで失礼するわ。フィンが怖いんだもの」
「アンタはまたそういうことを!」
楚々とした背中が遠ざかっていく。苦言を呈す彼が、その後を追い、私は一人ぼっちになった。
「花言葉は〝あなたの幸福を祈る〟……またお会いしたいわ。エレアノーラ様」
それが私とエレアノーラ様の邂逅だ。その後、城で出会った彼女は私のことを覚えていなかった。だからこそチャンスだと思った。
これで1から始められる。素敵な淑女の友人として、と。




