第6輪「雛菊」
「全て話すように言った筈よ。なのにどうして隠すのかしら?」
私は不満を露わに涼しい顔のフィンに言い放つ。「街に行きましょう」と誘う彼に従えば、にべもなく馬車に押し込まれた。
驚くメイドに何かを耳打ちした彼は一緒に乗り込むと〝口止め代〟を運転手に渡し馬車を走らせる。車内で着替えを始める彼から視線を外し答えを急かせば、鞄を渡された。
「レイニー様も、お着替えください」
「ちょっと!? 何言ってるのよ!? こんなところで私に着替えをしろと言うの!?」
「ええ。屋敷では着替えられないでしょう。覚悟を決めてください」
「ふざけないでちょうだい! 私、帰るわ!」
彼が持っていた杖を奪い取り天井を叩く。暫くして停車した馬車から飛び降りると同時に、腕を捕まれ身体が反転した。
「レイニー様!」
「離しなさい! 人を呼ぶわよ! 私に何をさせようとしていたか知らないけど……」
「早く馬車に、お戻りください!」
「え……?」
「レイ……」
「おーい。お貴族様がいるぜぇ」
品の無い声に顔を顰め振り仰げば、酒瓶片手に千鳥足を踏む初老の男がいた。伸ばしっぱなしの鬚。濁った眼。薄汚れた服。そして凄まじい悪臭に私は思わず口元を覆った。
「ひどい、においだわ……」
「おう、おう! いいなぁ、お貴族様はぁ、昼間っから、お買い物かい? こちとら仕事クビになって飲むしかねぇってのによぉ!」
時折しゃくり上げながら男は距離を縮めてくる。酒瓶を傾ける度に少なくなる酒量。頬を赤らめ、すっかり酒に呑まれている男に恐怖が顔を出す。
「な、なに……?」
「レイニー様、早く!」
「え……?」
——本当にお貴族様が何の用かねぇ……。
——アタシ達を笑いにきたんだよ。
——金を巻き上げにきたのかもしれないぞ。
——困るわ。
——お金なんてないのに……
「どうして……? どうしてですの……? 私、なにも……」
遠慮なく向けられる白い目に身体が震える。私は何もしてないというのに、とても悪いことをしている気分になった。
死を迎えた時の光景が蘇る。沢山の目と溢れ出る赤。一寸先は闇で——
「レイニー様!」
「フィン……」
視界がぼやけては揺れる。瞼を閉じ膝を折った瞬間。温もりに包まれた。揺り籠のようにあやす誰かの手が私を癒す。身体が浮いてはじめて、私は彼に抱かれているのだと知った。
気付いた時には既に民の目はなく、安全地帯で揺られていたのだ。
「い、いつまで抱きしめているのよ……!?」
馬車の椅子に腰かけ私を横抱きする彼と視線が絡む。目を白黒させて厚い胸板を押せば、バランスを崩し転倒しそうになった。
「大丈夫ですか?」
「え、えぇ……」
そこを支えられ、なんとか体勢を整える。来た時のように向かい合って座れば彼の顔がよく見えた。
「今日は、このまま帰ろうと思っています」
「どうして……」
「お体の具合が優れないようなので。無理矢理、連れ出して申し訳ありません。
いつもレイニー様に連れられてばかりいたので、加減が分からず失礼致しました」
「どこに主人を連れ出す護衛がいるのよ」
「……返す言葉もございません」
「冗談よ。笑いなさい」
「ははっ」
「不細工な笑顔に、乾いた笑い声。最悪ね。愛想笑いの一つも出来ないのかしら」
「申し訳ありません」
「そういえばお前の笑った顔は見たことが無かったわね……」
「今なにを?」
「お黙りなさい。気分が悪いわ」
「あそこは治安が悪いところなんです」
「え?」
「ただの一人言です。レイニー様は休んでらしてください」
「随分と大きな一人言ね」
鼻で笑うも、彼は申し訳なさそうな表情を崩すことなく言葉を紡いだ。