第65輪「瑠璃菊」
「リーリエ、今日は旦那と一緒じゃないのかい?」
「先に見に来ただけよ」
私達は亡命に成功し、今では小さな花屋を営んでいる。私とユアンは治まるところに治まり、今では夫婦だ。
身分も何もない私達の関係は居心地が良く、慈しんでくれる彼の手を手離すことはないだろう。
市場に買い付けに行くだけなのに、毎度、毎度付いてくる彼に苦笑を浮かべるのが日課だ。
「なにか新しい花あるかしら?」
「今日はね。レジフォルニアから届いてるんだよ」
懐かしい名前に心が沈む。大切な人達が亡くなった事実は、辛いという言葉では括りきれなかった。
「新開発の花らしくてさ。黒い睡蓮。名前を〝ヴァサーリーリエ〟というみたいだよ」
老父の言葉に目を瞠る。耳馴染がいいどころじゃない。反射的に辺りを見渡すも、いつも通りの風景が広がっているだけだった。
「コレを運んできた人に心当たりは!?」
「え? 初めて見る兄ちゃんだったけど……夫婦みたいで、小さな子供を連れてたよ。レジフォルニアから人を探しにきたんだと」
夫婦という単語に疑問符が浮かぶ。あの中で誰かが生き残っていたとして、所帯を持っているだなんて想像出来なかった。
それでも僅かに芽生えた可能性は捨てきれない。誰でもいいから、もう一度会いたかった。
「ヴァサーリーリエ買うから、ちょっとキープしていてちょうだい!」
「あいよ」
笑って手を振る老父に手を振り返す。市場を走るも知っている背中は見つけられなかった。
もしかした別人かもしれない。全く関係のない人かもしれない。そう思っても確かめずにはいられなかった。
誰でもいい。誰でもいいから、もう一度——
「うわっ!?」
「ご、ごめんなさ……」
「リーリエ、そんなに慌ててどうしたの?」
「ユアン。あ、あの……レジスタンスの誰か見てない!? もしかしたらいるかもしれないのよ!」
「落ち着いて」
「落ち着いてなんかいられないわ!」
「そんなに俺達に会いたかったのか?」
ユアンの肩越しに声の正体を探る。目の前にはヴィンス、フィン、カタリーナ様、そして見たことのない少女がいた。
パッと身を隠し、そのままユアンに抱き付く。嗚咽を押し殺していると、頭を撫でられた。
「心配かけたな。レイニー」
「レイニー様、泣かないでください」
ヴィンスとフィンの声が降ってくる。もしかしたら夢かもしれないと逡巡し、顔を上げるのを躊躇っていれば身体が浮いた。
「泣かないでリーリエ。皆さん一旦場所を移動しましょう。とても目立っています」
「リーリエちゃんどうかしたのかい?」
「いえ、なんでもありません」
「なんだコイツら見たことない顏だぞ! リーリエを泣かしたら俺がゆるさないんだからな!」
いつも花を一輪くれる男の子の声が聞こえる。「痛っ」というヴィンスの声から想像するに、蹴りを入れられているのだろう。
「大丈夫だから。ヴィンス様を蹴らないであげて」
横抱きにされたままユアンの胸に顔を埋めていても、騒々しさが手に取るように分かる。市場の中で喧騒に揉まれた私達は、そのまま近くの野原へ向かった。




