第59輪「梅花空木」
「ねぇ、マリ―は……」
「舌を噛みますよ」
「でも……」
「飛ばします」
馬の背に乗り走る。彼女の腰に腕を回せば、ただの細腰で、間諜だなんて未だに信じられなかった。
それでも口を開けば、冷淡といなされる様に嘘ではないと確信する。
全てが偽りだったことを知ると、黙って付いてきて良かったのだろうか、と迷いが生じる。選択の余地が無かったとはいえ、己の浅はかさに羞恥を感じた。
流れていくのは困惑する民の表情。蜂起するにしても、しないにしても変わらない憂い顔に不安が募る。
きっとうまくやってくれる。そう信じていても、それは祈りに過ぎないことを痛感した。
町にも既に硝煙が下りて来ている。城に近付くにつれ濃厚さを増すそれに、私は眉を顰めた。
近隣の森に馬を置き去り、そそくさと歩むマリーの後を追う。立ち込める埃が不安を掻き立てる。私は散らばった血痕から目を逸らすことで精一杯だった。
彼女だけを見つめ、足元の死体を視界から外す。死に際の情景が私に「怖いだろ?」と囁いている気がした。
獰猛な雄叫びに身を潜め、秘密裏に作られた地下通路を歩む。石造りの路には足音が反響していた。
一言も話さない彼女に話し掛けようと逡巡し、口を開けては閉じる。まるで魚のようで滑稽だと自嘲していれば「地上に出ます」と一言告げられた。
颯爽と歩く背中を、歩みを速め付いて行く。慌てて階段を駆け上がると、鉄臭さが鼻孔を突いた。
本棚の裏から現れた私達に目を瞠る軍勢。その中の一人はベルナールで、此方も吃驚を隠せなかった。
「エレアノーラ嬢……どうしてココに……」
囁きが鼓膜を震わせ、次いで剣を振り落とす音が響いた。人を切り裂いた刃が床との接触を告げる。猩々緋が緩慢に侵食し、赤い絨毯を汚く染め上げた。
「お嬢様」
「待て! お前は誰だ!? 何故此処にエレアノーラ嬢……お前は!?」
走り出すマリーの肩を反転させたベルナールが、荒い息とともに驚きを露わにする。
一方のマリーは何かするでもなく、彼と見つめ合っていた。
「お久しぶりです」
「死んだものと思っていたよ」
「残念ながら、ただでは朽ちぬ運命だったようで」
「そうか。では問おう。どちら側だ?」
「私は旦那様のもの。全ては彼の意のままに」
武装したレジスタンスのメンバーが兵と切り合っている。血生臭い戦場で二人の声はやたら静かだった。
「成る程。侯爵様が娘を呼び出したのか」
「はい」
「皆! この場は任せる! 死ぬなよ」
「え……?」
「彼女は仲間だ。仲間は守る。危ない奴には任せてはおけないからね」
切っ先を振い血を薙ぐベルナール。肩を叩かれ〝急げ〟と告げられたので、マリ―と共に彼の背を追い掛けた。
行き先が分かっているかのように複雑な道を突き進んで行くベルナール。重いドレスに足を取られそうになりながら、私は息を切らした。
「フィン!」
「ベルナール!?」
「話は後だ。持ち場は変更。お前はエレアノーラ嬢を侯爵様の元へお連れしろ」
「何故レイニー様が戦場に!?」
「黙れ。リーダーは俺だ。
背を合わせてる間に道を開く。お前はそのまま彼女を連れて走れ。場所は、その女が知ってる」
「なんでメイドのマリーが!?」
「いいから戦え。口じゃなくて手を動かさないと死ぬぞ」
肉を切り裂く音。鉛の弾が飛び交う虚空。風を切る剣の舞。それらを調べに交わされる言葉。全てが如実に表していた。此処が戦場であることを。
自らの姿を眺め、私はドレスに手を掛けた。布を引き裂く音が、やたら大きく響く。手で切り裂いたそれを投げ捨て、飾りのリボンで髪を高く括った。
「レイニー様……」
「戦場では邪魔でしょう? コレで少しは早く走れると思うわ」
「はい。必ずお守り致します」
フィンが私に背を見せる。ベルナールの瞳も殺気で満ちていた。決行の合図は存在しない。
二人が地面を蹴ると同時にコトは終わっていた。
「行きましょう。レイニー様!」
「マリー!」
フィンが私の手を取ると同時に、ベルナールが彼女の名を呼ぶ。思わず顔を向ければ満面の笑みが飛び込んできた。
「生きててよかった」
微かに零した「はい」という単語に二人の歴史を垣間見たような気がする。マリーも彼のように笑っているのだろうか。
「もう〝リー〟とは呼んでくださらないんですね」
「ねぇ、もしかして……」
投げかけようとした問いが銃声に掻き消される。目尻を拭った彼女に、私は何も言えなかった。




