第54輪「風鈴草」
「君は僕の名前なんて初めから知らない。ただの〝お花屋さん〟だったんだからね。
僕はエレアノーラ様にレジスタンスをやめて欲しかった。せめて今世だけは静かに生涯を遂げて欲しかったから。悪いけど手紙の意味はそれだけだよ」
「前世……なんて本当にあるのか?」
ヴィンス様の胡乱な視線が僕を絡めとる。それが普通の反応だと諦観していれば、掌に優しい温もりを感じた。
「あるわ。証人は私。それだけじゃいけない?」
「エレアノーラ嬢は、それを俺達に信じろ、と?」
乾いた笑いを浮かべるベルナールを真摯に見つめ、彼女は僕の手をギュッと握る。
まるで頼られているかのようだ。無意識なのか意識的なのか。それでも、ただただ嬉しい僕は手を握り返すことで精一杯だった。
「信じて欲しいとは思っているけど、信じろとは言わないわ。私だって逆の立場なら、こんな話、簡単には信じられないでしょうしね。
でも、これが〝手紙の真実〟約束はちゃんと守りましてよ」
「じゃあアンタが変わったのは……」
「記憶を思い出したからね。フィン、お前は本当に鋭かったわ」
「今迄のレイニー様は?」
「私の中にちゃんといるわ。強いて言うならフィンが感じていた違和感は〝リーリエ〟が主だったからでしょうね。けれどお前に叫ぶ〝大嫌い〟は間違いなく〝エレアノーラ〟のものよ」
フィンの問いに対し、エレアノーラ様は、ふわりと笑む。柔らかな表情はリーリエ様のもので、悪しき令嬢と言われたエレアノーラ様の姿形もなかった。
「ねぇ、ユアン。お前の名を教えてくれないかしら?」
「エレアノーラ様、貴女が〝エレアノーラ〟であるように、私は〝ユアン〟です。それ以外の名は持ち合わせておりません」
「……貴方なら、そう言うと思っていたわ。困らせてしまってごめんなさい」
「とんでもございません」
ユアンであるように努める。俺は彼女の双眸に、どう映っているのだろう。ちゃんと繕えているだろうか。この恋心は前世のものだと割り切れているだろうか。
波打つ金糸よ。どうか踊らないでくれ。華やぐ薫りに口付けたくなってしまうから。
澄んだ双眸で僕を捉えないでくれ。心まで奪われてしまえば、きっと戻れない。
言い聞かせろ。僕と彼女は身分が違うと。
言い聞かせろ。彼女の想い人が僕であるわけがないと。
言い聞かせろ。彼女は王子にこそ相応しい人だと。
言い聞かせろ。僕に想いを告げる権利はないのだと。
それでも愛しいと哭く心はどうしたらいい? せっかく時を巡って再び出逢えたのに、僕達はやっぱり身分違いで、ただの片思いに他ならない。
地下室での夜のように仮面を被らなければ。笑みは仮面に描いて、偽りの感情で〝ユアン〟を演じよう。それがきっと双方の為だ。




