第52輪「黒種草」
前世の僕は花屋だった。容姿も、頭脳も何もかもが平凡な、ただの青年。取り柄といえば、花を美しく咲かせるくらいのものだ。
そんな僕はシュプギーで唯一、城に卸すことができる店を営んでいた。
王族御用達であることを知れば、皆さぞ儲かっているのだろうと口を揃える。しかし実はそうでも無かった。
業績は上がらないし、男が手掛ける花を馬鹿にする人間は多い。それでも食い扶持に困るほどではなかった為、周りと比較すると生活水準は割と高かったように思う。
リーリエ様と話をするのは業者として城を訪れた時のみ。花を愛していた彼女は僕を見つけると、ヒールの音を立てながら笑みを重ねていた。
素朴なドレスに、紐で括っただけの髪。巷で流れている噂と相違点しかない彼女に、当時の僕は戸惑いを隠せなかった。
それでも花一つで頬を緩めるリーリエ様を見ていると此方までつられてしまう。心を温めてくれる彼女に会うのを、前世の僕は楽しみにしていた。
世話の仕方一つで花の開き方が変わることを教えれば、実直に向き合う彼女。そんなリーリエ様に花言葉を教えると、幾度となく反芻して「ロマンチックね」と零していた。
魅了され、感化され、共有して。僕はいつしか恋に落ちていた。愛するという想いが芽生えるほど、心を傾けていたのだ。
異性と触れ合う機会が極端に少なかったせいかもしれない。彼女の優しさに勘違いしただけかもしれない。それでも疼く想いを持て余すほどには虜になっていた。
お忍びで僕の店を訪れた彼女が子供に花を与えたのは、そんな時。リーリエ様は僕があげた花束から一輪抜き取り、少女に手渡した。
一部始終を見ていた僕は知っている。彼女には悪意などなかったことを。それでも周りは、そう見てくれない。
レジスタンスのリーダーだった父は、それを眺め嘘を吹聴した。
——姫は悪だ、と。
彼女はただの少女だった。姫の肩書を持つただの女の子。その立場にさえなければ、あんな死に方はしなかっただろう。僕は未だに己の行動を悔いている。
蜂起が決まってすぐ。最後の卸作業で僕は彼女へ忠告した。レジスタンスが攻めてくるから逃げた方がいい、と。しかし彼女は笑って、こう言ったのだ。
——私は民を信じているわ、と。
泥だらけのドレスで花を慈しむ彼女は美しくて、心根は純白だった。
城を落とした人間が誰か一人でも〝本当の彼女〟を見つけられていたのなら……そう願わずにはいられない。
しかし、彼女の想いも知らない彼らは汚らわしい靴で城を踏み躙り、逃げ惑う彼女を追い立て死に追いやった。
止めを刺したのは僕の父。運命とは皮肉なものだ。大切な人が大切な人の命を奪ったのだから。
人波に揉まれながら傍らに寄り添えば、彼女は既に虫の息。
僕を侵したのは黒闇にも似た罪悪感で、嗚咽に混じって零れた想いは告白になってはくれなかった。
浅い呼吸を携える暗い瞳に光を探す。手を握るも反応は無く、呼びかけても意味など無かった。
殺す必要はあったのか。そう問われたなら僕は否と答える。彼女は何も知らなかったし、生きていたところで何も出来なかった。
けれど何も出来なくとも、生きていれば幸せになれたかもしれない。花さえあれば笑顔になれる女の子だったのだから。
彼女の恋人になりたい、とか、夢見る少女のようなことを思っていたわけではない。それでも幸せになる姿を見届けられたなら。僕は、そんな淡い願いは抱えていた。
誕生日には祝いの花束を。
結婚式には彼女の名前の由来でもある睡蓮を飾りたい。
子供が産まれた暁には誕生花を。花言葉を添えて贈るのもいいだろう。
亡くなる際は手ずから育てた彼岸花で見送ろう、とまで。
何一つ叶わなかった。何一つ叶えられなかった。
彼岸花のような猩々緋に沈む彼女を抱き上げることすら赦されない僕は、今後何を想って生きていけばいいのだろう。
僕の涙が彼女の頬を伝う。牡丹の花は、そうして零れてしまった。
国のトップになったのは僕の父。しかし〝その後〟のことを考えていなかった彼の所為で国は崩壊の一途を辿り、シュプギーは幕を閉じた。




