第46輪「金魚草」
「私は、いつも民を思っていますわ。私の家族ですもの」
「そう」
やはり、この姫は阿呆だ。憂うことが民を救うことではないのに、恥ずかし気もなく微笑出来るのは、相当、頭が軽いからに違いない。
「ねぇ、エレアノーラ様は何に怒ってらっしゃるの?」
「え?」
「私に何を見ているの?」
「何を仰ってるのかよく分からないわ」
「貴女はずっと怒ってばかりいるわ。可愛らしい顔を鬼のように歪ませて。
はじめは強引に誘ったから怒ってらっしゃるのかと思っていたの。でもエレアノーラ様は私を見ていないわ。だから、何かを重ねているのかと……見当違いだったらごめんなさいね」
馬鹿にも、そんなことが分かるのか。こんなのは、ただの八つ当たりだ。
過去の自分が恨めしいと思うのも、本当の姿で生きている彼女が羨ましいと思うのも。全て独善的な思想に他ならない。
幸せは笑顔の人間に寄ってくる。そう説いてくれたのは誰だっただろう。恐らく私に笑んでくれた人なのは確かだ。
前世の私は飢餓を憂い、自らの空腹を満たす行為をしなかった。
私が我慢すれば民に食事が回ると信じていたからだ。自身が残した食事が廃棄処分になるなど思いもしなかった。
好きな服を作らなかったのも同じ理由だ。私が金を使えば服飾屋の子供は死ななかったかもしれない。それが例え〝一人〟を救う為のものだったとしても、人の命に代わりはない。
自分は人を差別しない高尚な人間だと思っていた。
けれど川で溺れた子供を助けた際、共に遊んだ複数人の子達が〝姫を危険に晒した〟という罪で処刑されてしまっていることを知らなかった。
今世で、それを思い出した時の罪悪感は計り知れない。罪の重さを実感したからこそ辛かった。いや、私が〝辛い〟と思うことすら、お門違いなのだ。
分かっている。分かっていた。それでも胸が痛かった。胸部を這いずり回る蛇のような感情に涙腺を刺激される。
寝起きに号哭する私は、あまりの悔恨に握ったシーツを引き裂いてしまいたくなった。
私のしたことは全て無駄足だったのだ。それを誰も教えてはくれず、〝姫は皆に好かれている〟という言葉を鵜呑みにして疑いもしなかった。
けれど周りが悪いのではない。知ろうともしなかった私が悪いのだ。この転生は私に罪を突き付ける為のものなのだろう。自らの罪を思い知れということに他ならない。
シュプギーにも謝らなければいけない。彼もきっと被害者の一人だ。会えるのなら目を見て謝りたい。
「少し見誤っていたかもしれないわ」
「え……?」
「私、やっぱり貴女が大嫌いよ。花畑にでも戻ったら如何かしら? 妖精さん」
徐に立ち上がった私は、冷めきった紅茶が入ったカップを片手に姫に近付く。疑問符を浮かべる面々に微笑を浮かべると、白い陶器を逆さまにした。
姫の頭上で踊る琥珀の液体。そのまま嫋やかな髪を濡らす筈だった甘露はカップの割れる音で引き裂かれた。
「レイニー……様、それはいけません」
「ロビン……」
彼女に掛けようと思っていた紅茶が彼の胸元に染みを作る。私の掌から弾かれたカップは部屋の隅で散り散りになっていた。
姫を庇うように私を見据えるロビン。その背後ではカタリーナ様が目を瞠っていた。
目の端ではメイドが顔を赤黒くしている。今にも噛みついてきそうな雰囲気に私は胸中で苦笑を零した。
「貴方のせいで台無しよ。ロビン」
「申し訳ありません。差し出がましいようですが、お遊びが過ぎるかと」
「従僕が随分偉そうに。クビにするわよ」
「そうなさりたいなら私から申し上げることはありません。ですが淑女として……いえ、ヴェーン家の使用人として、お嬢様の手を汚させることは致しません」
「興が削がれたわ。そのみすぼらしい恰好のままうろつかれたら迷惑ね。
カタリーナ様、本日は失礼するわ。二度と会うことがないことを願って。それでは」
ドレスの裾を持ち上げ、ゆったりと頭を下げる。私は、そのままヒールの音を立てながら退室した。
ロビンは顔色一つ変えず、背を付いてくる。そのまま馬車に乗り込めば、運転手が目を白黒させていた。




