第3輪「桃」
「このドレスは嫌いよ」
「色が可愛くないわ」
「舞踏会なら一番いいものを身に付けていかなくちゃ」
「庭はもっと豪華にして」
「料理が不味いわ」
「こんな安いお茶を出すなんて私を馬鹿にしているのかしら?」
「本当にクズね」
「貧しい者は心も貧しいのね。お可哀想」
したいことを、していった。したことだけを、していった。けれど得たものは——
「飽きましたわ……」
凄まじい虚無感と疲労。そして向けられる悪意である。豪華なものは見た目だけで、すぐに飽きてしまうし、食事だって高いものがいいとは限らなかった。
前世で好きだった植物も、手を出そうとしただけで庭師が慌てて飛んでくる。我儘故の弊害だろう。
尤も前世の記憶を思い出すまでの私は花が嫌いだったようだし、「綺麗ね」と口にすれば、皆、目を見開いていた。
「つまらない……本当につまりませんわ。フィンと言い合いしていた方がずっとマシよ」
「だったら勉強でもなさったらどうですか」
「勉強なんて面白くないわ」
「……突然、どうなさったんです?」
「私が勉強嫌いだなんていつものことでしょう」
「ええ、ですが、ここ一週間は様子がおかしいですよ。突然、何か言い付けることが増えたかと思ったら、我儘具合は、そうでもありませんし」
「別になにもないわよ」
心臓が早鐘を打つ。ドクン、と大きく脈打ったかと思えば、幾度となく私に焦りを伝えた。
「俺の言葉に、一々、返すのも珍しいかと。以前は無視だったじゃないですか」
「私が何を話そうと、私の自由でしょう。相変わらず無礼な奴ね」
「そうですね。そういえば、あんなに嫌っていた花が気になっているようでしたが趣味でも変わりました?」
「お黙りなさい! 私が何をしようが自由でしょう。貴方は黙って犬のように付き従ってればいいのよ!」
燃えるような怒りが身を焼いた。きっと、これは私の感情じゃない。今迄この国で生きてきた〝エレアノーラ〟の思い。そうでなければ、こんな言葉一つで憤る理由が思いつかなかった。
「残念ながら、俺は犬ではないので口も開けば嫌味も言います。レイニー様が何をされようと自由なように、俺にだって俺で在る権利はあるんですよ」
「言うわね。今迄そんな風に言ったことなかったじゃない」
「はい。俺を人として扱わない人の話を真っ向から聞くほどバカじゃないので」
「貴方はただの護衛係の筈よ。あまりにも口が過ぎるなら、お父様に……」
「けれど、最近のアンタは違った。俺を名前で呼ぶようになったし、目が違う」
私の両頬を包み込んだ彼が真っ直ぐに見据えてくる。目を瞠りながら恐怖と驚愕に苛まれていれば、彼が小首を傾げた。
「アンタ、誰?」
最近の私は、そんなにおかしな行動を取っていただろうか。自らの行動を振り返っても、よく分からない。最低な行動をしていたし、最低なことも言った。間違いなく〝エレアノーラ〟だった筈だ。
「私は私よ。ヴェーン侯爵令嬢、エレアノーラ・ヴェーン=テンペスト=ステュアート。それ以上、無礼な真似をするなら、お父様に言い付けるわ」
「失礼しました」
素早く拘束を解かれ、悪びれもしない彼が口先だけの謝罪を告げる。その態度が、あまりにも気に入らなくて、私はお気に入りのワンピースを強く握りしめた。
「出て行きなさい」
「まだ勤務時間です」
「早く出て行って!」
「……それでは扉の前に居りますので暫くしたら戻って参ります」
何事も無かったかのように姿を消す彼に怒りが募る。何に怒っているのかは分からないものの、自らが感情を持て余してると気付くには十分だった。
「私はエレアノーラ……」
囁く。
「侯爵家令嬢のエレアノーラ……」
誰にも聞こえぬように僅かな声で。
「でも私は私……だから消えて……」
鳥の囀りが、この声をかき消してしまうほどの声量で。
「前の〝エレアノーラ〟は消えて……」
羽搏きでもいい。
「早く消えなさいよ……!」
——本音を掻き消して。
返事は無い。部屋には一人。心にも頭にも私は一人。それなのに胸を焼く思いだけが存在を主張しているような気がした。
もう一人の〝エレアノーラ〟を。