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第34輪「蝦夷菊」

「ユアン」


「……何でしょう?」


「私、貴方が嫌い」


「お前。何したんだ?」


「何もしてくれなかったのよ! フィンが来なかったらどうなっていたことか! あの姫は何よ!?」


「ヴィンス様の奥方で隣国の姫でございます」


「そんなことは知ってるわ! 随分、脳内が平和なのね!」


「あの方は、ああいう気性故、ヴィンス様とは馬が合わず……」


「でしょうね! 私、帰るわ! フィン!」


「承知しました」


「きゃっ!?」


「足を挫いたようなので僭越ながら」


「私……」


 横抱きにされ吃驚を零すと、視界一杯にフィンの顔が在った。

 足を挫いた覚えはない。にも拘わらず優しい笑みが私を包み込む。


「お疲れになったでしょう?」


「ええ……そうね。足が痛いわ」


「仰せのままに」


 照れ隠しに、そっぽを向けば、彼が微笑しているのが分かった。身体が熱を持っている気がするけれど、気のせいだと思っておこう。


「……甘やかしすぎ」


「お前が甘やかしてやらないからだろ」


「僕は……」


「なんだ?」


「……立場上仕方なく……」


「俺も立場上、仕方なく甘やかしてるだけだ」


 フィン越しに聞こえるユアンの声が萎んでいる気がした。表情は見えないが、思い違いだろうか。

 どうも〝エレアノーラ〟だと言いすぎてしまう節がある。私は僅かに内省し、言葉を紡いだ。


「ユアン?」


「どうなさいました?」


「少し言い過ぎたわ。私、貴方のことが嫌いになれるほど何も知らないもの」


「……はい。ありがとうございます。

 エレアノーラ様、道中お気を付けて。また、お待ちしております」


「ええ」


「またなユアン」


「うん。フィン」


「ん?」


「エレアノーラ様を頼んだよ」


「言われなくても」


 ユアンの声がフィンを通して鼓膜を震わせる。声色が少しばかり晴れていたような気がしたのは思い違いだろうか。


「フィン」


「はい」


「帰ったら楽しませて頂戴」


「承知しております」


 預けた身体に信頼しているという意思表示を。楽しませて、という言葉に余すことなく報告を、との意味を込める。


 膝裏に添えられた掌に力が入ったということは、バッドニュースでもあるのだろうか。


 私は僅かに重い心持で瞼を下ろした。


 城はあらゆる香が混じっている。王の匂い。姫のニオイ。余所者の臭い。

 そこに混じるフィン特有の薫りに、身を委ねる。暫くそうしていれば、鼓動が落ち着いていくのが分かった。


〝好き〟という心が零れる。花瓶の水が溢れだすように〝私〟が、こぼれ落ちる。ゆっくり持ち上げた瞼は鉛のように重かった。


「フィン」


「どうされました?」


「なんでもないわ。コッチを見ないのが面白くないと思っただけよ」


「……熱でも?」


「主に対して酷い言い様ね」


「主だからですよ。レイニー様の身を案じて……」


「もう黙ってくださる?」


 彼の唇に自らの唇を近付ける。目を閉じるどころか瞠目するフィンを至近距離で嗤い。頬に口付けた。


「礼よ。さっきは助かったわ」


「……アンタは……!」


 想いを乗せた呟きが宙を舞う。私は見えない言葉を目で追いかけながら、赤らんでいるだろう頬に気付かないフリをした。


 紅潮しているのは私か彼か。はたまた、どちらもか。少なくとも私の視界に在る彼の耳は、熟れた林檎のように色付いていた。

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