第25輪「花海棠」
「君は振り返ると思っていたよ」
「素顔を見せてくれるとは思ってなかったわ」
「やっぱりやめるつもりは無いんだね」
「ええ」
「また手紙を送るね」
「待って! 貴方は誰なの?」
「それは教えられない」
彼が翻したローブを掴み引き止める。私の手をいなしたかと思えば甘い囁きが鼓膜を震わせた。
「でも、いつでも傍にいるから」
「ずるいわ!」
「ごめんね」
「待っ……! きゃっ!?」
口先だけの謝罪を残し彼は去っていく。追いかけようと足を踏み出せば、ヒールが折れた。神はあちらの味方だったらしい。
「私は、また負けたのね」
囁きは闇に消え、彼の姿も共に溶けてしまった。
「レイニー様?」
「フィン……」
暫く呆然と俯いていると、フィンの声が聞こえた。
闇に目を凝らしているのだろう。階段を折り切った彼は私の姿を見つけるなり、そそくさと駆け寄ってきた。
「どうなさったんですか?」
「ヒールが折れただけよ」
「そうですか」
彼は頷き、私を軽々抱き上げる。階段を上がれば、目に痛いシャンデリアが煌々と輝いていた。
フィンの温もりは優しい。それでもシュプギーとは、どことなく違う気がした。
私は幾度この手に助けられただろう。あんなに毛嫌いしていた男が、今では大切な人になりつつある。安堵を覚えた回数は計り知れないし、今日だって無意識に彼の姿を探していた。
ガストン様に襲われて助けを求めた両手はフィンを求め、唇は勝手に名を象っていた。
音にはならなかったけれど、自らがどれだけ彼に傾倒しているのかが分かる出来事だったと言えよう。
甘えるように身を摺り寄せる。襟を握りしめれば、彼が心配そうに眉根を寄せていた。
「レイニー様?」
「良かった。見付かったんだね」
「ああ」
「ヴィンス様にも伝えてくる」
ユアンは駆け寄ってきたかと思えば、即座に身を翻し消えていった。
「何故あんなところにいらっしゃったんですか?」
「お手洗いだと言ったでしょう」
嘘がばれていることなど分かっている。それでも、どう答えればいいか分からず私は嘘を重ねた。
「黒いローブの男を見ました。あれがシュプギーですか?」
「ええ」
「何を話されたんですか?」
「敵ではないみたいよ」
「彼がそう言ったんですか?」
「いいえ」
フィンはそれ以上、詰問してこなかった。何か思うことがあったのだろうか。口をへの字に結び、考え事をしている。
シュプギーはいつも傍にいると言っていた。恐らくレジスタンスの中に紛れているのだろう。
けれど〝いつも〟と口にした。それは恐らく私と近しい人物を指す。〝いつも〟ならば? 私の傍に在るのは、いつだってフィンだ。幼い私を嫌いながらも守ってくれていた彼。
あの手紙が〝守りたい〟という意思表示なら、彼はまさに〝シュプギー〟の人物像に近い。
しかし、それならば何故、私をレジスタンスに誘うようなマネをしたのだろう。そこから導き出される答えは「≠」。
チラリと見上げたフィンは相変わらず何かを逡巡していた。
「フィン、これからも私を守ってくださる?」
「命令なさらないのですか?」
「私は貴方の意思を訊いているのよ」
「三年前、俺は貴女に忠誠を誓いました。勿論ですよ。フェアレディ」
「そう」
——私が何者でも?
その言葉は胸の奥深くに沈めた。彼は私の〝護衛係〟そう言い聞かせて。




