第9輪「馬酔木」
穏やかに流れるレコード。カウンターでエールを傾ける客。テーブルを囲む男達は杯を交わし合っているし、中にはポーカーに現を抜かす客もいた。
店員はチェックシャツにジーンズといったラフな格好で客と談話している。温かな雰囲気は、とてもレジスタンスの根城には思えなかった。
「フィンじゃん。久しぶり~、ユアンと逢引かな?」
カウンターでグラスを磨いていた男が笑顔で手を振る。それに返事も返さないフィンは私の腰に手を添え、カウンターへ導いた。
「あれ? 逢引は綺麗なお姉さんとだったのかな? フィンも隅に置けないねぇ~、町娘風にしてるみたいだけどワンピースが綺麗過ぎ。貴族のお嬢様かな?」
「え?」
「俺、人間観察が趣味なの。どう? 当たり?」
オリーブシェイの髪が彼の動きに合わせてふわふわ揺れる。柔らかな癖毛と同色の瞳を細め、男は自信あり気に笑っていた。
「ベルナール、俺達はユアンに用があるんだ」
「ユアンとヴィンならポーカーしてるよ。〝賭け〟の最中なんだ」
「へぇ。せっかくなので見に行きますか?」
「……ええ」
ベルナールと呼ばれた男がカウンターの中へ私達を引き入れ、奥に在る朱色のカーテンを開く。スタッフルームか何かだと見当を付けて逡巡していれば、フィンが私の前をすり抜けた。
「ほら付いて行って。大丈夫、怖いことは何もないよ」
「でもスタッフルームじゃ……」
「この奥は、ただの〝賭場〟見る分には、なーんにも問題はない。さぁどうぞエレアノーラ嬢」
「貴方、どうして私の名を」
「この舞台の立役者はお嬢さんだけじゃないんだよ。男だけの世界だ。身分を明かすのは控えて。例え言い当てらても頷いてはいけない。そこはちょーっと足りないかな」
「ベルナール。レイニー様にちょっかいを出すな」
「はいはい。フィンのお姫様に失礼しました。でもね覚えておいてエレアノーラ嬢」
「なに……かしら?」
「貴女は貴女であることを忘れてはいけない。裏切りの絶えない世界だと覚えておいて。此方側に来たら〝可愛いお嬢さん〟ではいられない。襤褸雑巾のように死ぬことがあると胸に刻んでおくんだよ」
「ベルナール、で良かったかしら? 私もそう呼んでも?」
「構わないよ」
「貴方がレジスタンスのリーダーなのは分かったわ。けれど試験にしては少し甘いんじゃないかしら?」
「甘い、とは?」
「手を見せすぎよ」
「え?」
彼の目が大きく見開く。その隙に手を取ってニッコリ微笑めば、更に疑問符を浮かべたのが分かった。
「酒場は水仕事が多い筈。それなのに皸一つない指先を見せるなんて無防備極まりないわね。にも関わらず、掌はこんなに固い。まるでフィンのようだわ。これは酒場の店長の手じゃない。少なくとも〝剣〟を扱う者の掌よ」
「俺はレジスタンスの一員です。鍛錬を積むのも仕事では?」
「どうかしらね。ハッタリも必要だと言ったのは貴方よ。
とりあえず私のことをフェアレディと呼ぶのはやめてちょうだい。悪女が冠するには可愛すぎる名前だわ」
「フフ……ククッ……面白いねぇ、エレアノーラ嬢。俺もレイニーと呼んでもいいかな?」
「構わなくてよ。それでも、この名前は捨てた方が良さそうね。せめてこの場に居る時ぐらいは」
「素直な人は嫌いじゃないけど、素直すぎる人はどうかと思うかな。改めてレジスタンスのリーダー、ベルナール・クロッツだ。よろしく」
「そんなに簡単に名を教えてもいいのかしら?」
「美しい薔薇の棘なら、いくら刺さろうと痛くはないさ」
「よく分からない人ね」
「貴女もよく分からない人だ」
そう言いながらも握手を交わす私達は、よっぽどおかしな人間だと思う。それでも信頼関係を築くには早すぎるし、疑って掛かるのは違うと思った。
酒場の喧騒に駆け引きが消えていく。フィンに手を引かれ歩む私の背にベルナールは「頑張って」とエールを送ってくれた。
「アンタは凄いね」
「え?」
「美しさは偉大だ、って言ったんだ」
「フィン?」
「ここからが本番です。気を引き締めてください」
「……分かってるわ」
彼の表情は見えない。前を向いて猛々しい足音を立てているのだから当然だ。それでも背中は怒っていた。
自身は何かミスをしてしまったのだろうか。先程は中々悪くなかったと思うだけに、言葉を掛けることは出来ない。ぎゅっと手を握る。
「本当は不安なの」
「私に出来るかしら」
「怒らないで」
すべてを乗せて想いを込める。けれど伝わることは無かったのだろう。フィンが手を握り返してくれることはなかった。




