第0輪「睡蓮」
髪を切られた。大事に大事に伸ばしてきた黒髪が視界の端でハラハラと揺れる。ゴミへと変わり果てた漆黒は床の上に散乱していた。
「どうしてですの……」
囁いた言葉は獣のような怒号に掻き消される。向けられた殺意が私を貫いていた。
粗暴な手に腕を掴まれる。懸命に逃れれば、幾重にも重なった悪意が行く手を阻んだ。
「いや、いやよ……私は死にたくない……皆さん勘違いなさってるわ……私、なにもしてなくてよ……?」
「ああ、お前は何もしなかった。だから俺達レジスタンスが動いたんだ」
「どうしてですの……? 私、皆さんに恨まれるようなことはしていませんわ。きっと、お話すれば分かる筈です……」
「貴女には永遠に分からないでしょう。姫は、この国を案じたことはありますか?」
「私は、いつでも民を思い、国を憂いています……!」
「やはり貴女は姫でしかない。それでも悪には変わりないのです」
「意味が分かりませんわ……」
この世で一番安全だった筈の城で窮地に立たされる。剣を構える男達が私を取り囲み、先陣を切っていた男が私に言葉をぶつけてきた。
「私は……うっ……!? な、に……?」
背を貫いた衝撃に目を瞠り、その場に崩れ落ちる。激痛と共に、どくどく波打つ身体が心地良い温もりに包まれた。疑問符を浮かべながら痛みの根源を探る。腹部に到達すれば固いものに当たって掌にまで痛みが走った。
ぼやける視界に手を翳す。一筋の線からは血が流れており、自らの下半身に目を向ければ紅い液体が私を侵していた。
「な、ん……?」
腹部には貫通した剣先が存在を主張している。頭を振る気力もない私の気道を血液が逆流した。口から噴出される赤い液体が、お気に入りのドレスを汚す。
「い……や……」
——痛い。
——熱い。
——臭い。
——冷たい。
——紅い。
——怖い。
——死にたくない。
——死にたくない。
——死にたくない。
——私が何をしたと言うの……?
脳内を最後まで占拠していたのは疑問符だった。
何故。
どうして。
なんで。
けれど、それが解明されることはなく、生温い液体に浸る。最後に見たのは私に意味不明な言葉を残した男の顔。微睡む意識の最中、耳に届いたのは誰の声か分からぬテノールだった。