失恋女とバーテンダー
恨みわび
干さぬ袖だに
あるものを
戀に朽ちなむ
名こそ惜しけれ―――
恋破れた女が一人。
おあつらえ向きに雨まで降ってきた。
まるで劇中の悲劇のヒロイン。
雨に紛れて涙を流すも、しゃくりあげる声だけはどうにも止まらない。
街灯が 車のライトが そして店の灯かりがスポットライトのように彼女を照らす。
夜道をゆっくりと歩く彼女に意識や目的は感じられない。
ただただ往くあてもなく足を動かしているように思える。
誰か優しい人が手を差し伸べてはくれないだろうか?
―――――――と、考えているんだろうなぁ……。
初老のバーテンダーは窓から見える景色にそんな感想を持った。
あいにくのにわか雨で、客足はパッタリ。
いつもより念入りにグラスを磨きながら、外を眺めて暇つぶしをしていたところだった。
バーにしては珍しく、窓を多く設置したのが功を奏した。
今日は早仕舞いにしようか、そう考えながら読みかけの小説を手に取り、さらなる暇つぶしに興じようとする。
しかし、何故か外の女性が気になり、チラッと目線を再び窓に移す。
―――目が合う。
いや、気のせいだろう。車道を挟んで反対側、薄暗くてこちらの顔も分からないはずだ。
横断歩道を渡ってこちら側の歩道へ歩みを進める。
なーに、ただこちら側へ何か用があるだけだ、この店に来るわけがない。
死角に入ってしまった女性に、こっちに来るな来るなと念を飛ばす。
しかし、願いは叶わず、女性はゆっくりと姿を現す。
気付かないフリで視線を上げず、祈るような気持ちで時間が過ぎるのを待つ。
ギィっと重い木製の扉が開く音がした。あの女性だ。
あーやめてくれやめてくれ。
床も椅子も濡れてしまうじゃないか。
そんな感情はおくびにも出さずに「いらっしゃいませ」と声をかけ、椅子を引いてエスコートする。
「お飲み物は?」
ミントの香りづけした暖かいおしぼりを出しながら尋ねる。
「……ジントニック」
「かしこまりました」
消え入りそうな声でのオーダーを聞き漏らさず、なるべくゆっくりと作り始める。
自分を落ち着かせる時間が欲しかったためだ。
「おまたせしました」
たっぷりと時間をかけて、丁寧に丁寧に作られたジントニックを提供する。
さて、これからどうしたものか、店内に一人。相手をしないわけにはいかないが、深入りするのも厄介だ。
「……あの、私、振られちゃって……」
でしょうね。
アプローチと距離感に悩んでいると、女性の方から話しかけてきた。
「結婚の話とかも出ていたんですけどねぇ……」
「それは大変でしたね」
適当な共感を現す言葉というのは便利なものだ。決してテキトーというわけではないし、真剣に重々しいというわけでもない。
「本気になっていたのは私だけで……馬鹿みたい」
「そういう時の雨はいいものですね。涙を隠して洗い流してくれますから」
「そうですね。ただ――――――私は悲劇のヒロインごっこしていただけで、実際やってみると散々でした」
「え!?」
「まぁ、元カレには慰謝料だのなんだのの請求はしてありますし、会社への内容証明だったりも終わりました。なので、飲んで帰りたかったんですよねー、祝杯ってやつですか」
恨みわび
干さぬ袖だに
あるものを
戀に朽ちなむ
名こそ惜しけれ―――
とはいかなかったようである。
お気に召しましたら幸いです。