9.
終わりが来た日、おれたちはぐーすか惰眠を貪っていた。移動もないし、訓練もない。もちろん戦闘もないから、おれたちは寝たいときに寝て、食いたいときに食い、はしゃぎたいときにはしゃいだ。この一週間、あの大都会の廃墟からズドンズドンと腹に響く音を立てる爆発音が聞こえ続け、一週間休むことなく、くたばりぞこなったガキどもが連れてこられた。〈教授〉が通信機を持ってはいたが、何か通信が入るたびに受話器を爪でガリガリやって通信不良を装っていたから、司令部がおれたちのまどろみを邪魔することもなかった。
おれはそのとき夢を見ていた。夢のなかのおれはパリッとしたスーツを着ていて、ナイトクラブでシャンパングラスのなかで舞い踊る黄金の気泡を眺めていた。おれの隣にはブルネットのすげえイイ女がいて、それが肩のすっかり出る、体にピタッとしたクラシックなドレスを着ていて、おれのことをじっと見ているんだが、おれはシャンパングラスの気泡をじっと見ている。おれは女に関心のないクールな男を装った。そのうち、女のほうからファックしようと言ってくるのは分かっていたから、女がおれを見つめているというこの甘美な時間をたっぷり楽しむことにした。そのうち、女がおれの手をとった。そして、バンドのいるほうとは反対側の店の通路へとおれを誘い、赤い廊下へと出た。そこにはドアが並んでいて、どうぞファックしてくださいと言わんばかり。夢のいいところは夢を見ているあいだ、これは夢なんだなとは夢にも思わず、完全に現実の出来事だと思ってしまうことだ。女はドアの一つを開ける。パープル・ベルベットのダブルベッドがある。女はドレスを脱ぎ始めた。おれはダブルベッドに座り、荒れ狂う我が息子に静まるよう心で命じながら、服を脱ぐ女をシャンパンの気泡を眺めたときと同じように眺めた。おれは努めてクールを装った。そして、女がおれに覆い被さり、シャツのボタンを一つ一つ外し始めた。そうやって、おれの服を脱がした後、さあ、いよいよというときに轟音。世界が引っくり返った。
目を覚ますと、おれの上に重いものがかぶさっていた。暴れながら這い出ると、それはおれのテントだと知れた。外はパニックだった。大隊の面々が棍棒をもった兵士に追いかけまわされ、次々と装甲輸送車に放り込まれていた。ついにとうとうこのときが来た。最前線だ。おれたちはついにあの廃墟の群れへと連れて行かれるのだ。
おれは逃げようとしたが、すぐにとっつかまり、装甲輸送車の一台に装備と一緒に放り込まれた。窓がなく、豆電球がついているだけの狭苦しい車内には十人以上が詰め込まれていた。分隊のメンツではフィゴット、ヴィルケット、アザレム、カルカイヤじいさんがいた。
おれはヴィルケットにたずねた。
「他の連中はどうした?」
「知るか。たぶん別の車だ」
おれたちはいっせいにしゃべり始めた。
「いよいよ最前線だ」
「おめえ、なにバカ言ってんだ? 突撃の前には必ずブランデーが配給されることになってる。昨日配給されたのはいつものジンだったじゃねえか」
「バカはてめえだ。やつらはおれたちをジンだけで死なせることができるんだよ」
「そんなのフェアじゃねえぞ」
「そうだ。フェアじゃねえ」
「おれたちはテニスしてるんじゃねえんだぞ」カルカイヤじいさんがうなった。「こいつぁ戦争だ。戦争なんざ勝てば何しても許されるんだよ」
「それはレイプとか拷問の話だろ? 最前線移動前にブランデーを配給しないのとは別問題だ」
「こいつのいうとおりだぜ。何をしても許されるのは敵に対してだ。味方に対してじゃねえ」
「大丈夫だ。安心しろ。ブランデーの配給がない限り、最前線もない」
知らない兵隊が言ったが、そいつは自分自身を安心させるために言っているようだった。
突然おれたちの脳裏に野戦病院の光景が甦ってきた。切り離された手足や腹に三発もらってても放置される非情なトリアージ、そして、死。これまで愉快な見世物だった死が、いまや波頭の崩れた津波となっておれたちに降りかかろうとしている。
どうして、おれたちは自分たちは大丈夫なんて間抜けた考えに取りつかれていたのだろう? ガキどもを襲った運命は予言であり、占い師の水盤のごとく、明日のおれたちの姿を映していたのだ。
「くそ、くそ、くそ」
「おれは死にたくねえぞ」
「おい! 運転手! 引き返せ!」
おれたちは運転席とおれたちを区切る鉄板をバンバン蹴っ飛ばした。
「うるせえぞ、クズども!」運転手が車内スピーカーで怒鳴った。「黙って大人しくしてろ!」
「なにィ? 大人しくしてろだとぉ?」フィゴットがわめいた。「誰に口きいてやがる、この野郎! ふざけんじゃねえぞお! 外に出ろ、こら! てめえをぶっ殺してやる!」
おれたちは運転手にあらん限りの罵詈雑言を浴びせた。おれたちは運転手に死の宣告をした。車から降りたら、てめえをぶっ殺してやる。てめえの家族もぶっ殺してやる。家のなかをめちゃくちゃにして、家具を全部窓から放り出して、火をつけてやる。エトセトラ、エトセトラ。
そのうち、爆音がして、車がぶるぶる震えだした。
「おれたちは敵の射程内を走ってる!」
「おれたちは敵の射程内を走ってる!」
「おれたちは敵の射程内を走ってる!」
「おれたちは敵の射程内を走ってる!」
恐怖のあまり、おれたちの言語中枢がひきつけを起こしていた。重迫撃砲か榴弾砲、攻撃ヘリのロケット弾が車から百メートル以内の位置で爆発しているのは間違いなかった。装甲輸送車がその直撃に耐えられないことは知っていたので、おれたちはすっかりタマが縮み上がって、ついにものを言えなくなってしまった。
エンジンの騒音と着弾音が耳を聾するあいだ、おれたちはもはや意思をもたない穀物袋とかして、右に曲がったり左に曲がったりするたびにごろごろと車内を転がった。天井を手で押し、足で踏ん張るということすらできなくなった。絶望でおれたちはヒタヒタになっていた。せめてもの救いは誰もクソを漏らしてなかったことだ。こんな狭いなかでクソなんて漏らされた日にはたまったもんじゃねえし、もしこの車に弾が直撃すれば、おれたちがこの世で最後に嗅いだのはクソの香りということになる。ラベンダーとか焼きたてのパンの匂いを嗅ぎたいと贅沢言うつもりはないが、死ぬ前最後に鼻のご厄介になった臭いが誰かのパンツを汚したクソだなんてひどすぎる。ブランデーなし、ジンの配給だけで最前線に送られるのと同じくらいひどい。
気づくと音がしなくなった。ただ、砂漠を走るエンジンの駆動音だけ。おれたちは死んじまったんじゃねえか? あまりにも静か過ぎる。気づかないうちに対戦車地雷を踏んであの世までぶっ飛ばされたようだ。
そのとき、ブレーキが働いて、車が止まった。
おれたちは縮み上がった。
ドアを開ける音がする。
両開きの装甲扉が開いて、死が大きく口を――開けていなかった。
そこには街があった。
店があり、車があり、ヒトがいた。
カネで買える女が立っていた。
「で?」
後ろから声がした。
運転手がにやついていた。
「誰をぶっ殺すって?」