23.
戦争に踏み潰された。
どっこいおれたちゃまだ生きている。
おれたちは王城を確保した。
敵は追い返された。
生き残ったのはほんの三十人ほどだった。
おれの分隊ではおれとアザレムとストーリー・マンだけが生き残った。
戦車が宮殿の庭園に入り、対空砲だの、自走砲だのがお決まりの定位置に落ち着いて、郊外の敵軍目がけて弾を撃っていた。
軽口を叩くものはいなかった。みな、この戦争に対し、これまで感じたことのない不満を燻らせていた。
おれたちの体には感情モニター用のナノマシンなんて金のかかるものは仕込まれてなかったが、それでもお偉方は機敏に察したのだろう。おれたちのご機嫌を取るべく、ドローンを飛ばしてきた。
兵站部からやってきたその運搬ドローンがその半透明のプロペラを回転させながら、おれたちのいる謁見の間に器用にやってきて、補給品を置いていった。
それはちょうど生き残りと同じ数だけの新しい水筒だった。
中身は本物のコニャックだ。
「ひゃー、コニャックだ!」
「うめえ」
「こんなうめえもんがもらえるんなら、あのくらいの戦闘もちったあ報われたことにならあな」
おれたちはかくもチョロく欺かれる。
アザレムとストーリー・マンがおれの座る王座へとやってきて、水筒を一つおれに渡した。
「本物のコニャックだぜ、じいさん」
「や、兄弟! こいつ、すげえ酒だ! ラスタ行儀よきゃ、モノホンのジャマイカン・ラムももらえるんよ!」
おれは水筒を手に取り、蓋を開けて、中身の匂いを嗅いだ。
その馥郁たる芳香に胸がむかついた。
もう、ヴィルケットのセックス・トークをきけねえし、古代の戦士みたいなトール軍曹の「分隊出発」もきけねえ。ヤロスレフのコミュニスト小噺もきけねえし、オレンの特殊部隊にまつわるヨタもきけねえ。カルカイヤじいさんの言葉がつっかかる愚痴もきけねえし、フィゴットのパイナップルへの恨みつらみもきけねえ。
それをお偉方はコニャックでチャラにするつもりらしい。
いや、チャラにできると思ってやがる。
「なあ」おれは王座に深く腰かけたまま、アザレムとストーリー・マンに真実を話そうとした。「おれがシャバで何をやってたか、話してえ。というより、今こそ、話すべきだと思う」
「あんた、自動車部品のブローカーやってたんだろ?」
「それは嘘だ。本当は――ちくしょう、やっぱり恥ずかしいな」
「言っちまえよ、兄弟」
「本当はな、その、デカをしていた」
「デカ?」
二人が一緒になって驚いた。そのうち、アザレムは閃いた顔をして、
「分かった。汚職刑事だったんだろ? で、ぶち込まれて、懲役か、兵役か選ばされたって口だ」
「それなら別に恥ずかしくもないし、すぐに教えられらあ。だが、現実はそこまで簡単じゃねえんだよ。おれはな、連邦警察庁の捜査官だったんだよ。それもエブロ・シティ支局の特別捜査官だった。言ってる意味分かるか?」
「あんた、骨の髄までエリートのサツだったってことか?」アザレムが訝しげにたずねた。
「そうだ」
「なんで、兵隊になったんだ? 連邦政府の特別捜査官なら兵役も免除になるだろうし、だいたいあんたの歳なら絶対兵役には引っかからない」
「なんで、兵隊になったか――恥ずかしい話なんだよ。これが」
「ここまできたら、全部言うしかねえぜ」
「じゃあ、言うがな。おれは志願したんだ。愛国心のためにな」
アイコクシン。
その言葉を二人は生まれて初めてきいたような顔をした。
そのうち、アザレムが大笑いした。笑って笑って引っくり返った。アザレムがこんなに笑うのは始めてみた。ストーリー・マンも腹を抱えて、足をバタバタさせて笑いの高い引き声を上げていた。
「それじゃ、じいさん、あんた、オレンよりも馬鹿っだったんじゃねえか!」
「だから、言いたくなかったんだよ」
「で――」ストーリー・マンは目の下を人差指で一こすりして涙を拭った。「どうして、んなこと、今教える?」
「おれが昔、正義の味方をしてたってことを教えるためだ」おれは言った。「そして、これは正義のためにすることだ」
おれは王座に立ち上がった。
そして、叫んだ。
「おい、これを見ろ!」
おれは口が開いたままの水筒をそのまま真下に向けた。美しいマホガニー色のコニャックが馥郁たる芳香を引きながらドボドボと床に流れ落ちた。
兵隊たちから、もったいないとか、捨てるくらいならおれにくれという声がきこえたが、おれは水筒を投げ捨て、かまわず大声で告げた。
「こいつはおかしい。おれたちが命をかけて戦ってもらえたものがコニャック一瓶か? こんなもん、シャバで二週間煙草を我慢すれば、買える。いや、煙草だってそうだ。おれたちは何でこんなに煙草に不便してるんだ? おれたちはこのくそったれた戦争に命をくれてやったのに、戦争をおっぱじめたお偉方は煙草やコニャックをちびちびと、まるで恵んでやるように寄こしてきやがる。おかしいじゃねえか。おれたちはこの王城を勝ち取った。この王城そのものがおれたちの戦利品だ。一度も支配者が存在しなかったこの城に始めて、支配者が誕生したんだ。それがおれたちだ。そのおれたちに対して、将軍たちはただ水筒一本分のコニャックで王城を明け渡せという。おれたちの歴史、おれたちの命をコニャックで買い取れると思い上がってやがる」
「でも、コニャックなんて今ぐらいしか飲めねえじゃねえか」兵隊の誰かが言った。
「おれたちはコニャックの代わりに金の延べ棒を要求してもいい立場にいるんだよ! おれたち歩兵が血で贖ったものに対して、おれたちは好きに要求できるし、するべきなんだ。望むのならば、おれたちをシャバに帰すことだって、やつらはするべきなんだ。戦争は全部ロボット野郎どもに押しつければいい。戦争で格好をつけたがるやつらにまかせればいい。おれたちはもう十分戦った。後は好きにしろ。おれは降りる。そう言えるはずだ」
「そうだ、そうだ!」まだ子どものような顔の兵士が興奮で顔を真っ赤にして言った。「誰もおれたちをなめたりできねえ!」
「でも、どうするんだ?」〈ハッピー・エンチラーダ〉の生き残りが言った。「反乱でも起こせってのかよ!」
「おれと同じことをすればいい」おれは声を張った。ここからが正念場だ。「水筒の口を開けて、中身を捨てちまえ。やつらの言いなりにならねえってことを教えてやれ!」
兵士たちが、聴衆に、おれの聴衆になっていく。
「そうだ! こいつの言うとおりだ!」
「おれたちはコニャックなんかよりも素晴らしいもんだ」
「それが歩兵よ!」
「残りはロボット野郎と将軍どもがやればいい!」
「ロボットと将軍、くたばれ!」
おれの考えていること、おれの怒り、おれの正義がテーブルクロスにこぼした赤いリキュールのように広がっていく。
「コニャックなんか捨てちまえ!」おれは叫んだ。
「コニャックなんか捨てちまえ!」
「コニャックなんか捨てちまえ!」
その場にいた二十九人が水筒の蓋を開けた。
そして、ドバドバと中身をぶちまけた。アザレムとストーリー・マンもやはりコニャックをふりまいていた。
人殺しの時代が終わり、たったいまから戦争殺しの時代が始まる。
それは一瓶のコニャックの拒絶から始まる。
それはテーブルクロスにこぼした赤いリキュールのように兵隊のあいだへと走っていく。
「戦争、くそくらえ!」
「くたばれ、将軍!」
「戦争なんかやめちまえ!」
おれはこの戦争に参加して初めて、本物の勝利を実感した。そして――、
「ロボット墜落確認!」
空中庭園のそばにいた〈ハッピー・エンチラーダ〉の野郎が叫んだ。
「パンツをかぶれ! マンハントがおっ始まったあ!」
――おれの聴衆が溶けてなくなった。
歩兵たちは本能でズダボロのリュックに飛びつき、新品のパンツをかぶると、床に落ちている武器を拾い、次々、謁見の間を飛び出していった。
空っぽになった謁見の間には、滅びる王国に最後まで付き合おうとする忠臣のような顔をしたアザレムとストーリー・マンがいた。ひどく困った顔をして、戦争の拒絶とマンハント、二つの義務のあいだで揺れ動き、引き裂かれるような思いでおれから離れて、新品のパンツをかぶった。後ろめたそうなアザレムはおれの目を見ないようにしながら、おれの足元に新品のパンツをそっと置いた。
おれは黙ってパンツを拾い、それをかぶった。
そして、王座を下りた。
〈了〉