10.
権力は、それを持たないものを消耗させる。
――ジュリオ・アンドレオッティ
ヤッホー!
そう叫ぶのは〈教授〉だ。あいつにはいろいろ欠点があるが、女とファックするとき大声で叫ばないとファックできないのもその一つだ。
フォオオオオウ!
おれはそのころ軍支給のトランクス一丁でヤードバードを一本つけて、その時間をたっぷり楽しんでいた。狭いアパートの部屋は女の汗の匂いに満ちている。その女がおれの口からヤードバードをちょいと失敬して、一服し、おれの口に返す。
変だと思うかもしれないが、おれは女とファックしてるときよりも、むしろファックした後にタバコを一服つけるほうが気持ちよく感じる。そんなときの煙はまるでウィスキーみたいに濃厚でピリッとしてる。ヤードバードの煙と女の体臭がまじわるとそんな感じになる。そこでおれは女相手に過去を語ったりしてみる。戦争前は何をしていたのかとか。おれはヤミ市で自動車部品ブローカーをしていたということにしていた。それは真っ赤なウソで本当のところは――。
フォウフォウフォウイヤアアオオオオウ!
「あのボケ」
ったく。余韻が台無しだ。情緒もへったくれもありゃしねえ。そりゃ達したら、声は上げるが、限度ってもんがある。おれはヤードバードを焦げ跡だらけのナイトテーブルに押しつけるとズボンを穿いて、九ミリ・オートマティックをベルトにねじ込み、シャツを引っかけ、ボタンもかけないまま廊下に出た。そこは一階から二十階まで四角い吹きぬけで通路とドアが四辺にへばりついている。おれがいるのは十六階、〈教授〉は十五階にいる。おれは〈教授〉の部屋のドアをジャングルブーツで蹴りまくった。
「おい、〈教授〉! このドアホ! てめえ、黙ってファックできねえのかよ! おい! きいてんのか!」
〈教授〉に邪魔されたやつらがぞろぞろ集まってきた。ヴィルケット、フィゴット、ヤロスレフ、アザレム、それにその他もろもろの中隊の連中。やつらも代わる代わるドアを叩き、ドア一枚隔てた〈教授〉へ罵詈雑言の嵐を浴びせた。
「表出ろや! ビチグソ野郎!」
「ぺちゃんこにされてえのか、クソバカ!」
「てめえなんざ、ドーナッツ相手にシコってろ! それがお似合いだってのが分からんのか、このボケ!」
イヤッホオオオオウ!
〈教授〉はおれたちの警告と非難を無視して絶頂に達している。〈教授〉は早漏の逆で頂点をキワめてからがほんとうに長い。
抗議してもまったく手ごたえがないので、おれは部屋に戻った。バスローブを着た女がクスクス笑っている。叫ばないとおっ勃たない男にまつわる娼婦同士にしか分からないジョークでもあるのだろう。おれは〈教授〉の奇声を後ろ手に閉めたドアで締め出そうとしたが、それでもやつの声はきこえてくる。おれは少し恥ずかしそうに笑って、銃をテーブルに置いた。
「まあ、かわいそうなやつなんだよ」おれは他人様の靴の上にクソをした飼い犬をかばうような調子で女に説明した。「前線の慰安所じゃ一人持ち時間が十三分だから、どう工夫しても、〈教授〉が絶頂に行くのは無理なんだよ。たぶん、あいつ、もう満足なセックスもできないまま死んじまうと思ってたから、ハイになってるんだよ」
「タバコ。もう一本ちょうだい」
おれは黙って箱を差し出した。
おれたちはいまナウクにいる。ナウクは前線から二百キロ後方の砂漠のなかにペッと吐いた唾のシミのような都市で、住民はケチな三下ぞろい、どいつもこいつも毎日懲りもせず人よりも多く掠め取ろうと企み、そして自分より多く掠め取るやつを憎む。パンとガソリンは配給制だが、ヤミ市は平気で開いているし、高級レストランは大盛況で、成功した詐欺師と汚職役人、金融ブローカー、ヤミ市の顔役、それに将軍や大佐が数ダース単位で押しかけては札びらを切って生牡蠣を食べていた。この砂漠のど真ん中、いいかげんなヤミ市と気の利かない配給制度が経済を支配するナウクで、どうやって新鮮な生牡蠣を手に入れたのかは永遠の謎だ。軍票はケツ拭く紙同然で人身売買がまかり通り、おれたち兵隊はヤミ市で売っているリンゴの缶詰だの焼き肉だのを徴発と称して巻き上げた。もしおれたちの徴発に応じないヤミ屋がいれば、「てめー、軍隊に逆らうのか!」と銃の台尻にものを言わせて、店をぶっ壊す。そんなわけでおれたちは商人たちから疫病神扱いされた。もっとも商人たちも将軍たちに保護を求め、それはできなくなりつつあったのだが。
おれたちはみな二十階建てのアパートメントに住んでいた。いわゆる居住割り当てだ。それはまだナウクに工業が存在していたとき、労働者のためにつくられた安アパートだった。建物はなかが吹きぬけになっていてスカスカだったが、外からはそれが分からない。そういうこけおどし的なところはおれたちとよく似ている。
このアパートを本拠地として、おれたちはこのナウクに三ヶ月住んでいる。
時おり出動命令がでるが、それはどこかの大佐にショバ代を払わないカジノをめちゃくちゃにしちまえというもので、おれたちはマンハントほどの熱意はなくとも、それなりに精いっぱい、カジノをめちゃくちゃにした。釘バットのフルスイングでスロットマシンに見事な三塁打を決め、コインが流れるにまかせ、ルーレットテーブルの上でチップを蹴散らしながらジルバを踊り、ブラックジャックのディーラーAIを抜き取って、電動ジューサーにぶち込み、スイッチを押した。客はこっぴどく殴られてから解放された。カジノのオーナーは連隊本部に連れ去られ、偵察車用の五〇口径機関砲を顔面に突きつけられた状態でカジノの権利の七十パーセントを大佐に譲渡するという契約書に署名させられる。ちなみにその機関砲を人間に対して使うことはノヴァ・ハーグ陸戦条約で禁止されている。ただ、それは戦争での話で、カジノ・ビジネスについてはまた別の話だ。
ところで、おれたちは戦争に参加してるわけだから、ルールに通暁している必要がある。連邦政府はおれたちが戦争のルールをきちんと理解することを期待して、ノヴァ・ハーグ陸戦条約のポケットブックを配布した。それによると、このノヴァ・ハーグ陸戦条約はむかしむかしのそのまたむかし、人類がまだ地球でドンパチしていたときにつくった戦争用ルールブック〈ハーグ陸戦条約〉を参考につくったそうだ。
いくつかの条文はハーグ陸戦条約から、そのままノヴァ・ハーグ陸戦条約に受け継がれている。たとえば、第一回ハーグ平和会議を解釈するなら、飛行機から核爆弾を落とすことは合法だが、気球から核爆弾を落とすことは禁じられている。一番笑えるのは二十三条第五項で敵に不必要な苦痛を与える兵器の使用を禁止するというものだが、どうもこれを読んでると戦争には不必要ではない苦痛――つまり、必要な苦痛が存在するようだ。そりゃいったい何だ? ごく普通の銃弾が腹をやぶって、ぐるぐる回転しながら内臓をめちゃくちゃにかきまわした後で、背骨をぶち割って、背中から飛び出すと、それは必要な苦痛というわけか? おれはいらねえな、んなもん。このルールブックは何もやることがないときに読むと、なかなか笑わせてくれるし、安心できる。なにせおれたちの先祖はおれたちと同じくらいのバカ野郎なのだから。
話を戻す。とにかくルールブックを読んで笑うか高級将校の金儲けに手を貸すか以外にやることと言えば、パトロールと女を買うことだけだ。食うことについては戦場と変わりがない。相変わらずレーションを食ってる。ナウクのようなしみったれた市でもそのレストランと来ちゃ、平の兵卒の給料では手が届かない店ばかりなのだ。
部屋の壁掛け電話が神経に触る電子音を鳴らし始めた。受話器を取ると、トール軍曹の声がきこえた。
「パトロールだ。降りて来い」