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1.

わたしは誰の光でもない。

だれの心の芳香でもない。

わたしはだれの役にも立たない。

ただ一握りの土、そんなものだ。


      ――バハードゥル・シャー2世

 きっかけはフィゴットがハーフトラックを見たと言い出したことだった。

「移動があるぜ」

「そんなのうそに決まってら」

「じゃあ、なんでハーフトラックが集まってんだよ? おれたちを運ぶために決まってんだろ」

「どこに運ぶってんだ? 〈百万長者〉か? 冗談でも笑えねえぞ、そりゃ。あそこはもうじき敵が師団クラスを動員して攻撃をかけるって噂じゃねえか」

「師団クラスの集中攻撃なんかあるわけがねえ。二十キロがとこの戦線を一個師団がカバーしてるんだ。いくら〈百万長者〉が堅いからって、陣地一つ落とすのにそんなに兵隊をかき集めるわけがねえ」

「攻撃はないんじゃねえの? おれたちにだって攻勢の噂が流れて、バレバレなんだぜ。さすがに敵さんもこりゃやべえと思って、やめるんじゃねえの?」

「そんなにやつらの頭が良けりゃ、とっくの昔にやつらが勝ってる。敵も味方も司令官がクルクルパーだから戦争が終わらねえんだ。それに司令官てのは頑固な遣手婆みてえに強情張りだからな。情報が流れようが何だろうが、司令官が突撃を決めたら、おれたちは腰だめにマシンガン構えて突撃するんだ。そもそもおれたちゃ、そうやって突撃して生き残ったくたばり損ないの集まりじゃねえか」

「おれは行かんぞ」カルカイヤじいさんが宣言した。

「なんだそりゃ? じいさん、あんたは死ぬのももったいない大物なのかよ」

「おれは行かねえ。そう何度も突撃に付き合わされてたまるか。誰か別のやつを行かせな。おれは行かねえ」

 おれたちはめいめい意見を言い尽くすと、手品のタネが尽きた手品師のように情けなく顔を歪め、砂嵐をやり過ごすために掘り広げた地面の裂け目に身を横たえた。フィゴットと〈教授〉が次にいつ配給されるか分からない貴重な煙草をちびちび呑み、ハンサムな伍長のヴィルケットはメッキ加工の小さな鏡を見ながら、フェイスペインティングをしていて、その横で老兵のカルカイヤが顔を覆ったごま塩混じりの鬚に指を突っ込んで砂蚤を掻き出していた。ヴール人のアザレムはマントをかぶってもぞもぞしていて、特殊部隊崩れのオレンと工兵隊出身のヤロスレフはレーションの補給車はまだ来ねえのかとぶつくさ文句を言い始めた。

 全員が銃を砂から守るために布でぐるぐる巻きにしていた。この世界では明るい晴れ空や真っ暗な夜というものが存在しない。カーキ色の砂の空かオートミール粥のような灰色の空のどちらかしか拝めない。だから、おれたちは青という色がどういう色であったか思い出すのに誰か目の青いやつを探して、その眼をじっと見つめる必要があった。娑婆っ気が抜けるというわけではないが、おれたちはまるで白黒映画に落っこちたように色を忘れがちになった。

 始終空には砕けた二つの月トトラとルムナがかかり、二つの衛星は砂漠をもぞもぞ動く虫けらのようなおれたちを見下ろしている。戦争がいつ終わるかはさっぱり見当がつかない。砂漠はいつも薄ら寒く、まばらに生える潅木は燃えにくい。一度、慈善団体の特設野戦病院を見つけたときはその見捨てられた無人の施設を叩き壊し廃材を薪にしたが、安物のボール紙のようにあっという間に燃えてしまった。プラスチック爆弾をナイフでへずって、その破片を燃やしてもいいが、固形燃料の配給が滞りがちなので、調理用にとっておきたい。それにプラスチック爆弾を目的以外のやり方で使っていることがばれるといろいろとうるさい。

 おれたち兵隊は常に自分たちの上にいる存在――師団長や旅団長、本部付き参謀将校、連邦議員、大統領、それに兵器メーカーの経営者たちを罵倒していた。やつらは自分が神にでもなったつもりだったが、どっこいおれたちに言わせれば、あいつらはおれたちという死骸に飛ぶ蝿のようなもんだった。上にいるには違いないが、あいつらはおれたちよりも、もっと卑しい――こんなふうに勇んでいるが、酒と煙草の配給を断つと脅されると、おれたちは――おれたちの兵隊言葉によれば、寒風にあたったキンタマのようにきゅっとしぼんでしまう。

「薄汚ねえ後方のクソどもが淫売とよろしくシケこんでるのに、おれたちはろくに煙草も吸わせてもらえねえ。この二年、人造培養肉ピンクキューブ以外の肉は食ったことがねえし、酒ときたら、フレイムリザード・ワインよりも低級のジンしか飲ませてもらってねえのに、その配給ですら、おれたちにはもったいないといわんばかりに垂らしてきやがる」

 ヤロスレフがぶつくさこぼし始めた。こいつの出身地であるミル=ハロフ州は共産主義者が州議会を牛耳っていて、そこの出身者はみな革命家気取りだと言われていた。

「おれたちはよ、敵より前にてめえの司令官を撃ち殺さなきゃあかんわけよ。だって、あいつらときたら、敵が喜ぶことばかりしやがるマヌケぞろいときてる。たぶん、やつらを殺ったら、自然と勝ちがおれたちの手に転がりこんでくるぜ」

「アホくせえ」アザレムがマントから顔を出して、また始まったと言った。「司令官をぶっ殺したら、新しいやつが司令官になるだけだ。司令官のなり手は掃いて捨てるほどいるからな。だけど、それよりむかつくのはおれたちはこんなふうに将軍だとか議員だとかをクソミソにけなしてるけど、実際やつらがおれたちを視察に来ると、おれたちときたら、犬みてえに尻尾を振ってお出迎えするんだ」

「それは間違えねえな」〈教授〉が煙草を人造革のシケモク入れにねじ込みながら言った。「おれたちは先月、きれいなおべべのジャーナリストどもが来たとき、あの馬鹿女どもの一人でもレイプしてやろうってやつがいないで、おれたちときたら、へらへらして、まるで戦争なんてこんなことこれっぽっちも大したことじゃねえって顔してたんだからな。あれは今、思い出してもむかつくぜ」

「あのメス豚どもは最低最悪の顔をしてたから、レイプしなかったんだよ。あんなのとやるなら、ドーナッツとファックしたほうがマシってもんよ」

「だから、それをそのメス豚どもに面と向かって言ってやればよかったんだ。それがお前の好きな革命への第一歩なんだぜ、ヤロスレフ」

「おれが革命好きだなんて、駄法螺、誰が吹きやがった?」

「お前はミル=ハロフ州の人間だからな」伍長のヴィルゲットが言った。「あそこの出身者はみんな政治好きだって話じゃねえか。競馬新聞を読む要領で政治欄を読むって」

「それだ!」カルカイヤじいさんがまるで人類で初めて火薬を発明したように叫んだ。「議員や将軍どもを一ヶ所に集めて、競馬をやる。走るのはやつらだ。それで戦争の決着をつける。一位の国が勝つ。恨みっこなしだ。おれはやるぜ。競馬場を借りてよ、くそったれた議員どもにカンフル剤をぶちこんでドーピングしてやる。あれを打つと緩いクソが止まらなくなるからな。くそったれどもにふさわしいじゃねえか、あ?」

「血が出るまでケツに鞭ぶち込んでやればいいんだ」フィゴットが言う。

「負けた馬は撃ち殺そうぜ」オレンが音頭と取った。

「それが、け、け、け、競馬よ」カルカイヤじいさんは哀れにも自分のアイディアに酔って言葉をつっかえた。「配当金は兵隊の年金基金にして運用するんだ」

「おれたちって年金もらえるの?」

「馬鹿だなあ。退役兵年金の受給資格の年期が近づいたら、自殺突撃させるに決まってるじゃねえか」

「そいつぁフェアじゃねえ」

「それが、世の中よ」

「でも、フェアじゃねえよ」

 そのとき中隊付きの伝令が飯盒を打ち鳴らしながら大声で告げた。

「炊事車が来たぞ!」

 おれたちはいそいそと外に出る仕度をする。砂を吸わないよう顔を布でぐるぐる巻きにしてゴーグルをかけ、軍帽の上からマントのフードをかぶり、銃を担って、急いで裂け目を登って這い出す。野戦調理車来たるの報は中隊じゅうに知れ渡り、みながみな食器を懐に隠して、よろよろと塹壕や掩蔽壕の入口から現われた。男たちの群れは板を敷いた連絡壕へ吸い込まれ、後方の炊事車目指して西へ西へと進んでいく。その途中、無人偵察機を墜とそうとする対空砲が砂まみれの空にうっすら浮かんだ影目がけて吠えまくっていた。

 おれたち第三分隊の面々はオレンを先頭に砂を蹴り上げながら、えっちらおっちら塹壕を進んでいく。塹壕の底には泥のように柔らかい砂が積もっていて、足をあげて前へ踏み出すたびにズブッ、ズブッとブーツが砂にはまった。砂があらゆる場面で彼らの面倒を増やした。銃の薬室を噛み、缶詰に混じり、口のなかでざらつく不快な砂。砂。砂。布で顔をぐるぐる巻きにしても砂は入ってくる。ヴィルケット伍長とアザレムは一か月分の酒の配給をためて、フィルターが二つついていて顔全体を覆ってくれるかなり上等な防塵マスクを交換で手に入れて使っているが、それでも口のなかで砂を噛むらしく、マスクをずらして唾を吐く。分隊で唯一砂を噛まないのはカルカイヤじいさんだけだった。このじいさんは顔を隠さずにいたが、もじゃもじゃと生えた濃い口髭が砂を完全に防いでくれていたのだ。それでも砂は野戦服のジャケットのポケットや背中と言わず、不愉快な性病のごとく、あらゆる場所に這い回る。砂に悩まされて精神を病み自殺したものもいる。発狂して、服を脱ぎ捨て、砂漠へ走っていったものもいた。

 三台の野戦調理車が大きな砂丘の陰に天幕を張って、バーナーを焚いていた。主計下士官が三日分のレーションを渡し、その横でビスケットとマシュマロ・ペーストの缶が配られた。肝心のメインディッシュは培養工場製の人造ビーフと豆をチリ・ソースで煮込んだもの。火傷しそうなくらい熱いチリにおれたちの顔が綻んだ。割り当てのジンももらえば、不満たらたらだったおれたちはあっという間にトリック的幸福感に満たされる。そして斜面に座って、熱い食べ物でやけどした舌をジンで消毒するという贅沢を楽しむ。

「やっぱりこりゃ、こたえるなあ!」

「培養だろうが牧場製だろうが、肉には変わりないもんな」

「腹に入れば、同じこった」

「前線じゃあ味わえねえもんなあ」

おれたちはかくもちょろく騙される。

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