渡リ烏の行く末
僕らが泣き止み、落ち着いたのは、病室に看護婦さんが入って来てからだった。
あらあら若いわね。なんてベタベタなコメントを頂きつつ、検温と血圧をメリーが測られて。そのまま頭が冷えた僕らは改めて。ベッドと面会用の椅子にそれぞれ腰掛けながら一息ついていた。
「何かこう……」
「悪かったわ」
お互い冷静じゃなかったよなぁ。と二人でさっきまでの醜態を振り返り。それがおかしくて、僕らはどちらからともなく吹き出した。
「てか、ごめん。思いっきり抱き締めちゃった。病み上がりどころか入院中なのに。痛かったよね?」
「うーん、多少? 正直幽霊だった時とか、なる前に追い詰められ過ぎててね。あっちの方が身を切るくらい痛かったわ」
「……あれは思い出しただけで僕も苦痛だから止めよう」
「〝痛みは生きている証拠だ、苦しい時の方が色んなことがよく分かる〟……って言葉があるけど」
「テネシー・ウィリアムズかな。そりゃ確かに振り返ればそうだったけどさぁ……〝無知であることを自覚するのは、知識向上の大きな一歩である〟まさにそんなことの連続だった。お陰で僕の精神は恥やら色んなことでズッタズタだよ」
「ディズレーリ、ね。そんなに……大変だったの?」
正直コウトが平行世界の貴方だってわかったとこから、私事情知らないのよね。と、メリーは苦笑いを浮かべる。
フム。ならば、その辺も簡単に説明しよう。酷い災厄に等しい出来事だったが、やはりそれを片方だけ知っているといううのは頂けない。
「OK。じゃあ……どこから話そうか」
病室の中で二人きり。僕はゆっくりと語り始める。
コウトの正体から、偽メリーもまた、平行世界から来たのではないかということ。
世界を渡る方法は、メリーの観測で座標を見定め、猿の手と僕の干渉の併せ技で行われたのではないだろうか。
そこから語られた、偽メリーの真実。彼女はもう一度、渡リ烏倶楽部を始めたかった。だから悪魔の力にすがり、自身すら怪奇に変えたのだ。だが……。恐らくは路地裏の母の言いつけを守らなかった時点で、歯車はおかしくなったのだろう。
そこから、彼女の転落は始まった。全てが悪い方に作用して、彼女は止まれなくなり。どうあっても失敗するような負のループに入ってしまっていたのだ。
その後の偽メリーの旅路を聞かせれば、メリーは時に驚き。時に呆れたような顔になりつつも、黙って僕の話に耳を傾けてくれていた。
「そうして最終的に、私のバッタもんを貴方が打ち破ってみせた……と。なーんか私今回、何にもやってないわねぇ……」
「僕だけじゃない。コウトに深雪さん、ララにミクちゃん。魔子や狸の親父さん……。誰かがいなかったら、きっとここまでこれなかったよ」
そう、案外綱渡りだったのだ。それこそちょっとした要素で、メリーが死んでいたかもしれない。僕だって、魔子に殺された可能性もある。たら、ればを言えばきりがないが、それでも、確かな事は……。
「君がなにもやってない。は、ないよ。僕は君がいたから、君がかかってるから、今迄にないくらい本気だったんだし」
それだけは、揺らがぬ事実だろう。僕がそう言い切れば、メリーはポカン。とした顔になり。その後、何故かすぐにもじもじしながら項垂れた。
「メリー?」
「……っ、何でもないわ。よくもまぁこんな恥ずかしい台詞がペラペラ出てくるわね。やっぱり前世イタリア人じゃないの? 貴方」
「いや、イタリア人に謝りなよ。恥ずかしい台詞? 一体……」
言われて不審に思い、さっき口にした言葉を頭の中で繰り返す。これの何処が……。どこが……。
その瞬間。自分でも穴があったら入りたい気分になった。
「………………死にたい」
「ここ病院よ。ベッドならいっぱいあるけど、霊安室はどうかしらね?」
「ブラックジョークやめい。……一応、他意はない。ただ……」
「ん、わかってるわよ」
項垂れた僕の頭にポンと手を置いて。メリーは少しだけ頬を染めながら。
「立場が逆だったら、私も同じだから」
「……君も大概だよ相棒」
「やかましいわよ。これでも貴方の言葉、嬉しかったんだから」
煽りあってるのか、互いに深みにハマっているのか分からなくなりながら、僕はメリーの小さく呟やかれたありがとう。を、確かに聞いた。
それだけで。僕はただ、守りきれた喜びを改めて噛み締めていた。
「…………退院したら、何処かに遊びにいかないかい?」
「あら、早速サークル活動? それとも……デートのお誘いかしら?」
ゆっくりと顔を上げた僕に、メリーは楽しげに微笑する。心臓がいつもより跳ねるのを感じながら、僕は「両方」と答えた。
「歩いてたら、怪奇が寄って来るだろう? 僕らって。だから、一応快気祝いの小旅行。けど、何か起きたら……」
「そこでサークル活動スタート……ね。ああ、この行き当たりばったりな感じ、何だか懐かしいわ」
嬉しそうに両手を胸の前で組むメリー。離れていたのは数週間だったのに、体感的にとても長く感じたのは、やはり日々の濃さが由来するのだろう。だけどもこれだって、時が経てば活動記録の一つになるのかも。
タイトルは……そう、『ドッペルゲンガーと蜃気楼』なんてどうだろうか。
「これから沢山味わえるさ。君は助かった。いくらでも自由に渡り歩けるんだから」
そう、何の気なしに僕はそれを口にした。それを始めは嬉しそうに聞いていたメリーは、直後に少しだけ思案するようなそぶりを見せ……。次の瞬間。その顔面は恐怖で凍りついた。
「あ……。ああっ……!」
「メ、メリー? どうし……?」
僕の言葉を遮るように、メリーは手のひらで顔を覆うようにして、額に指を当てる。
一瞬だけまさか、幻視が? と、思ったが、どうやらそうではないらしい。
メリーは震えながら必死にブツブツと呟いて。やがて絶望したように手を下ろした。
白い肌はますます血の気を失い。青紫の瞳は涙に潤みかけ、哀しみを灯していた。
「メ、リー……?」
「…………っ」
「ね、ねぇ。どうし……」
「今日は……もう帰って」
「え?」
「お願い。少しだけ、考える時間が欲しいの。だってこれ……下手したら……」
「ごめん、何を言って……っ」
ただならぬ気配。そして何よりも、その身から迸る有無を言わさぬ気配に、僕は頬を掻く。
何だ。彼女は何に気づいた? どうしてこんなに一転して……。
頭を回す。メリーと再会して緩みに緩みまくった頭をネジを再び締め直し。僕は思考のギアを回していく。
助かった。に彼女は反応した。果たしてこれは……。
そこまで考えて、僕はしょんぼりとベッドの毛布を掴むメリーの白い手を見つめていた。
まず……頭を冷やそうか。
「わかった。他に何かあるかい?」
「……信号は、右左見て。駐車場とか気をつけて。てか、危ないこと……しないで」
「OK。身の回りに気を付けろと。確かにまぁ、君が退院したら、今度は僕が入院とか……笑えないよね」
苦笑いしながら僕がそう言えば、メリーは涙ぐみながら「ごめんね」と呟いた。
「嬉しかったの。貴方が病室に来てくれた時。もう死んじゃうんじゃないかってくらい。退院したら、デートに誘ってくれたのも。いつもの、私達に戻れたって思えたわ。でも……」
「考えるんだろう?」
僕がそう呟けば、メリーはハッとしたように僕を見つめた。
「〝人間は考える葦である〟僕は外でしなるから。君はここでしなるといい。……また来るよ」
返事は待たず、僕は病室を後にする。
確かな確信が胸に渦巻いていた。多分メリーが恐怖したのは……。
「占い……か」
路地裏の母の置き土産。成人するまでの死。
考えてみれば、彼女は死にかけはしたが、明確な死は訪れていない。
僕はこうして健在だし、偽メリーの脅威は去った。
つまり、今メリーを蝕む死の要因はもうなく。だが、彼女はまだ成人を迎えていない。それが意味するのは……。
まだこれから、彼女の肉体が。あるいは精神が、死に至る可能性があることに他ならない。
「……っ、バッカ野郎……!」
慣れない悪態が口から漏れる。
それに気づかせてしまったのは僕だ。いや、気づくのは重要だったかも。けど、彼女を泣かせ、傷つけたのは事実だった。
怒りがこみ上げる。僕自身に、そしてもしいるのなら神様に。
霊やオカルトに干渉できる僕なら、平手打ちの一発くらいはかませるかもしれない。偽メリーみたいに刃物も霊体化させれるなら、不運や運命の神様だって殺してやれるかもしれない。そんならしくない獣性に身を委ねたくなる位に、僕は今感情を燃え立たせていた。
ふざけるなと、もう一度神様を罵って。それと同時に、僕の決意は固まった。
「死なせない……!」
一歩踏み出しながら、僕は拳を握りしめる。
「死なせない……! 誰が死なせるものか……!」
脳裏を血溜まりに倒れた彼女の姿が過る。奪わせない。守り救うと決めたのだ。偽メリーに他の世界のメリー。けど、他ならぬ僕が一番護りたいのは、一人だけなのだ。
※
なんて、酷い運命だろう。
病室を出ていった辰を見送りながら、私はついに堪えきれなくなった涙を流し、己の肩を抱いた。
平行世界の私のとばっちり。それだけでは済まされない。きっと私という個が、こういう星のもとに生まれているのだろう。
奪われ続ける。それがお前だ。
そう言われているような気がした。
「…………一つくらい」
嗚咽を漏らしながら、私は誰に語るでもなく呟く。悪態くらいは許されるだろう。私より不幸な人はいっぱいいるかもしれない。けど……。私の苦痛は、結局のところ私しか分からない。不幸自慢など価値はなく。私が不幸だと感じたら、それを嘆いていいのは私だけだ。
「……いいじゃない。そばにいたいだけなのに。大きくは望まないのに……! 何で……どうして……!」
もしかしたら、相棒も一緒に嘆いてくれるかな? そんな気持ちが一瞬過り、私はますます沈みこむ。
嘆くより笑いたい。楽しく歩いていきたい。せっかくまた会えたのだ。皮肉を言い合いながら、オカルトを語らって。夜はどちらかの料理を味わって。いつもみたいにちょっとドキドキしながら、ベッドに入る。そんな日常が返ってくると思っていた。
カレンダーを見る。退院予定日は、十二月八日。謀ったかのように誕生日の前日だ。
つまるところ私にはもう、相棒との日常はおろか快気祝いに行くのすら、許されてないらしい。
……あんまりだ。
「…………辰、すき」
秘めていた言葉が、虚ろに漏れる。最近涙腺が脆いわ。気持ちがすぐに溢れるわ。自分でも弱くなったなぁと思う。
原因はわかっている。相棒のせいだ。彼に出逢ってから……。私はおかしくなってしまったのだ。
それまでは、本当に。自分で言うのも難だが、怪奇を日記につける女の子の形をした何かだったから。
「すき……だいすき……愛してるの……」
止まらぬ想いが、涙に変わる。
私はいずれ死ぬ。
なら願わくば、彼は少しでも傷つかないで。死ぬのを見るよりは、私が死んだ方がよっぽどましだから。
「……死にたく、ないよ……」
酷い矛盾だと、私は自嘲した。
※
日は飛ぶように流れていく。
あれから僕らはいつかの占い師騒動の時みたいに、多くは語らずいつも通り過ごしていた。互いにまるで時間を惜しむように、出来る限り一緒にいる。
違うのは、メリーが入院しているので、基本的に会いに行くのは僕の方。場所も病室か、病院の食堂が定番になりつつあった。メリーの家族はいまだに会っていない。忙しい方々なのよ。と、彼女は皮肉げに。だが、何処か慣れているといった風に鼻で笑った。
占い師の語る死が迫ってきていた。
その最中、僕は考えた。考えに考えた。考えすぎてバイト中、本棚でドミノ倒しをしてしまい、深雪さんに「辰ちゃん。今日はもう帰りましょう? てか帰れ」なんて普段からは想像もつかないくらい辛辣な言葉を投げかけられる位には考えた。
そして……結局思い付いた方法は一つだけ。
果たしてこれが有効かはわからない。むしろただ僕が彼女にしたいこと。それがちょっと詩的というか……変にカッコつけただけになりそうな気もしたのだけど。
一度決意してしまえば、案外それがしっくりきて。むしろ。これで成功できたらいかにも僕らな感じすらしてくる。とさえ思い始めていた。……錯覚だと言われたらそれまでだけど。
ともかく、僕が出来るのはもうこれだけだ。
僕は彼女との明日が欲しい。だからそれを阻む死の影を打ち払うべく。僕はやや大袈裟ながら、人生でも初の勝負に出ようとしていた。
「……荷物、少ないね」
「退院まえに、部屋に送るようにしていたのよ。今日の夕方に届くようにね」
そんな訳で現在僕らは、病院を後にする所だった。最低限の荷物を持ち、お医者さんやナースさん達の見送りを受けていた。
「元気でね」
「気をつけて」
という月並みな言葉から、メリーと親しくなったらしいナースさんが、「夜はまだ、あまり激しくしちゃダメよ。もう少し貯めてから盛り上がりなさい」なんて酷い送り文句まで飛び、ナースさん達がキャーキャー騒ぐ始末。
僕が手持ち無沙汰に自分のショルダーバックを弄り。お爺ちゃんのお医者さんが居心地悪そうにしている横で、当のメリーがにこやかに「さぁ。でも、きっとお互い天国は見ちゃいそうです」なんて笑えない爆弾まで投下させたものだから、余計に収拾がつかなくなったりもしたのだが……。まぁそれについてはこれ以上は閉口しよう。
……正直、好きな子に冗談でもそんなことを言われたお陰で、あんなことやこんなことを想像してしまったのだけど、僕は悪くない。こればかりは、男の性だ。
ともかく。午後に僕らは病院を後にして。荷物を置きにメリーの部屋に。宅配便から諸々を受け取り。そのまま外食に行って出てきたら、もう既に夜になっていた。
冬で空気が澄んでいたこともあり、連れだって歩く僕らの頭上には、満点の星空と、月が浮かんでいた。僕はそれらを仰ぎながら、いつ切り出そうか踏み出しあぐねていた。
心臓は、ずっと酷いことになっていた。
「ねぇ……。ちょっと、寄り道しない?」
そんな中、きっかけは思わぬ所から訪れた。
思い詰めた顔で、メリーが立ち止まり、僕の服の裾を摘まみながらそう言いだしたのだ。
「えっと……うん」
断る理由もなく、そんな返事だけする。内心で自分をバカヤローと罵りながら、僕はメリーの先導にただついていく。
たどり着いたのは……。メリーの家の近く。彼女がお気に入りの大きな公園だった。木が回りをぐるりと取り囲み、自然公園といった印象を与えている。
夜の静寂に包まれたそこは、今は誰もいなかった。辺りにはブランコ、滑り台、シーソー、砂場。木馬に鉄棒、登り棒。大きめのアスレチックに、一本橋、ジャングルジム。目につく遊具はそれくらい。他はベンチがいくつかと、東屋が二つ。ちょっと奥に歩けば高台があって、街並みを見れるスポットもあるのだ。なんて、過去にメリーが言っていた事を思い出す。
「遠回りになるけど、駅にも行けるの。朝に歩くと気持ちがいいのよね」
「周りは……梅の木かな? 咲く時期になったら、絶対素敵だろうね」
僕を手近なベンチに座らせ。メリーだけはその場から離れて。てくてくと歩き出す。まるでバランスを取るように両手を広げて。
それは、一人寂しく佇むカカシにも。主を失い動くことのなくなった、マリオネットにも見えた。
「…………不思議ね。恐怖はないの」
その一言を聞いた時。僕は悟った。ああ。ここで多分。運命は決するのだ。
「……考えてたことは一緒かな。君があの時病院で気づいてしまったこと」
背中ごしに僕が話しかければ、彼女は「ええ」と頷いた。
時刻は夜の八時を回ろうとしていた。
「どうなるか、想像もつかないわ。何かの拍子にか。あるいは事故でか。……先に謝るわね。もし貴方を巻き込んでしまったなら……本当にごめんなさい。そうしないためには、貴方と他人になっちゃうのが一番手っ取り早いんだけど……」
「そいつはギャグかな?」
それこそ死んだも同然だ。と、暗に言わないでいれば、メリーはフルフルと震え始めていた。
「怒って、いいのよ?」
「え~。じゃあ……こらー」
「……こんな時にふざけないでよ」
「大真面目さ。真面目に、君を怒る理由がない」
強いていうならば、君はまた悲観的になって。とかは言いたいけども。
啜り泣くような声がする。メリーはいまだに此方に顔を見せてはくれなかった。
「楽しかったわ。貴方と一緒に。短かったけど。私、幸せで……」
「そうだね。僕もだよ。一人じゃない。君と背中を預け合うのが……嬉しくて、楽しかった」
「……私のこと、忘れないで」
「前も聞いたね。……もう残念ながら、僕の脳細胞の殆どは今君で一杯なんだけどね。そのうち視神経まで侵されそうだ」
「……っ、何それ。愉快だわ」
ようは四六時中君のことを考えて、君を目で追ってしまう。そう伝えたかったのだが、肝心のメリーはただのユーモア。いつもの幻視を喩えたものと同質にとったらしかった。
君にも鈍感の称号をプレゼントしよう。
そんな事を心の中で言いながら。僕はメリーに気づかれないように、静かにベンチから立ち上がる。
口の中が乾く。
心臓はもう、破裂しそう。
手汗はかいてないのがひたすらにありがたい。僕は緊張すれば、背中にくる。
深呼吸。仄かに、ハチミツの香りが風に乗っていた。
覚悟を決めろ。きっとこの程度じゃすまない。いやそもそも。僕は感触も香りも知ってるけど……。やはり自分から。こんな心持ちでするのは……初めてだ。
「辰。今日は……ね。貴方に。あなた、に……お別れ、を……」
痛みを堪えるように言葉を紡ぐメリー。
わかっている。彼女が何をして、何を言おうとしてるのか。
一人になるつもりなのだ。誰にも気づかれずに。それはある意味で死だ。
そんなこと……相棒が許さない。
地面を軽く蹴る。飛ぶようにメリーの背後に来た僕は……。
そのまま彼女を、後ろから思いっきり抱き締めた。
「……ひぇ?」
そんな声が、メリーから漏れる。身体が一気に強張り、壊れたからくり人形みたいに、ギギギ……。と、僕の方へ首が向けられようとする。が、そうなれば僕が恥ずかしいので、彼女の頬に頭を当てて、それを阻止する。
お陰でメリーの身体は、ますます強張った。
視界にはメリーの肩と、彼女のふわふわした亜麻色の髪。触れ合った身体と身体は、まるで炎のように熱かった。
「あ、え……と、……ししし、辰? どうし。た……の、急に……まだ話の……」
「その先は言わせない。いつか君は言ったよね。アミュレットをくれた時。いなくならないで。私の手を離さないでって……」
彼女の手の上から、僕の手を重ねる。指と指が絡まり、僕の高鳴る鼓動はほんの少し、落ち着きを取り戻す。
「……だから、離さない」
「………………っ!」
耳元で断言すれば、彼女の身体がビクンと跳ねる。ちょっと声が怖かったかもしれない。
慌てて彼女の頬から頭を離して。僕は……夜空を仰ぎ、また深呼吸する。
伝えたいことがある。
そんな言葉も今は不要。僕らには必要ない。
色々と。自分の気持ちを自覚してから、どう告白したものか悩んでいた。
そうして……僕はたどり着いた。前も言ったけど、バッドエンドは趣味じゃないのだ。
だから僕はいつものように、彼女に言葉を贈ろう。
「ねぇ、見てメリー……」
一呼吸置いてから。僕は囁いた。
「〝月が綺麗だ〟」
だから、これに含ませた全ての意図を、君ならきっと気づいてくれると信じてる。
※
その言葉を耳にした時、私の心は静寂に包まれた。
意味を履き違える訳はない。ただ、私が戦慄したのは、辰が言葉に含ませた、もう一つの意図の方だった。
「し、辰……?」
思わず聞き返す。彼は、黙っていた。
脳内は暴走していた。それを必死に鎮圧し、私は彼の言葉を反芻する。
たぶん彼の中での私は、一番仲がいい友達。自惚れでなければ、親友という枠すら越えた存在で。言葉にするには難しい関係だ。
これだけは自信を持って言える。
友情も、愛情も、尊敬も、信頼も。時に嫉妬やら敵意やら。いろんなものが私達にはある。
だからこそ、取り敢えずの境界線として、私達は互いを相棒と呼ぶ。〝呼んでいた〟
今までにない関係を、彼は望んでいるのだろうか? 私は……望んでいいのか。
「ねぇ、辰。……意味、分かって言ってるの?」
私が横を向きそう問えば、彼は黙って此方を見る。キスが出来ちゃうくらい近い距離で向けられる、真剣な眼差し。ああ、本気なんだ。と、瞬時に察した。
大学入学前に出会い、かれこれもう数ヵ月で二年に差し掛かる。……短いようで濃い付き合いをしていた故に分かる。分かってしまう。
だから、心にじわりと暖かいものが広がりゆくのを自覚しつつ。私はもう一度、彼に問う事にした。
これは確認だ。
この瞬間、私達の関係は変わる。正確に言うならば、関係の中に一つ、カテゴリーが追加されるのだ。
いいのか。後悔はしないか。互いに変わってしまわないだろうか。他にも色々。
「月は……遠くから見てるから。届かないから綺麗なのよ。近くで見れば、酷いものよ。デコボコの穴ポコ。表面なんてざらざらで、花の一つも生えてはいないわ」
「……うん」
いつもなら、遠くで見ても近くで見ても美しく感じるなら本物だと思う。だとか、そんなワイルドな部分も月の魅力だよ。なんて理屈めいた事を言いそうなのに。
素直に、シンプルに彼は頷くだけ。
あ、緊張してるんだ。と思うと同時に、私の心臓がもう凄いことになっているのに気がついた。
「平行世界の私、見たでしょう? 汚くて、考えなしのエゴイスト。嫉妬深くて、独占欲凄い、めんどくさい女。それが私の本質よ?」
「うん、知ってる」
自分で言って悲しくなったのは内緒だ。
「私は……私はもうすぐ……」
「気づいてないの?」
「…………いいのかしら? こんな屁理屈で。だって……」
「〝占いとは。予言ではない。ほぼ確定した運命というどうしようもないものもあるけど……それすら全てじゃない。最終的に大事なのは、選んだものをどんな形にするか〟路地裏の母は、僕にそう言った」
偽の私が心の死を死と取り入れ、受け入れたように。
平行世界の私が、本当に死を迎え、受け入れざるをえなくなったように。
形を変えて死は迫る。それが占いというオカルトなら、彼はそれに干渉してみせる。そう言い切って、私を更に強く抱き寄せた。
やめて。やめて。
涙が出ちゃうから。立ってられなくなっちゃうから。幸せ過ぎちゃうから……やめないで。
「私……っ、私……!」
『ああ。あんたはどうやっても〝死を受け入れるだろう〟それが……結末だ』
路地裏の母の言葉を思い出す。そんな意味だなんて、わかるわけないだろう!
卑怯だ。こんなの……こんなの受け入れるしかないじゃないか。大喜びで受け入れるに決まってる!
ホテルウッドピアでも。夢の国でも。他にも色んな所でも。どうして貴方は、こんなに私を最高な気分させるのが上手いのか!
だから私は、全ての意図を飲み込んで。辰に意図返しもかねて返事をする。
奇しくもそれは、いつもの検索エンジン染みた私達のやり取りだった。
「〝私……死んでもいいわ〟」
そのシンプルな一言と共に、私達の関係へ追加項目が出来た。
同級生。
親友。
相棒。
そして……恋人。
不思議と実感が沸かなかったのは、それもまた、カテゴリーの一つに過ぎないからか。
多分そうなんだと思う。ただ単に恋人になるだけじゃ、私は満足できないから。
彼の……。貴方の全てが、全部。全部。全部。全部欲しいから。
そうして一緒にまた渡り歩いていきたいのだ。
今更だけど、夏目漱石ね。
そう言う君は、二葉亭四迷だね。
そんな言葉がいつもなら互いに出る筈だった。けど、今日はそれも忘れて。
どちらからともなく正面から寄り添いあう。やがて重なる影を、月だけが優しく見守っていた。
チョコレートなんか目じゃないくらい、甘くて蕩けちゃいそうな彼とのキス。
それは回数を重ねるごとに長く、深く熱を帯び。冬の寒空の下で、あり得ないくらい情熱的に私達を燃え焦がした。




