私メリーさん。今、狂ってしまったの《後編》
メリーが最初に行おうとしたのは、願い事の増加だった。
願い事を願い事で増やす。誰もが一度は考えそうなものだが、当然悪魔――、魔子はそれを退けた。
「え? ダメなの?」
『ダメに決まっている。願いを増やそうとは、もはやそれは願いではない。欲だ』
「似たようなものじゃない」
『違うよ。願いは個で時間をかけたりかけなかったりして解決するものだ。欲とは再現なく広がるもの』
それこそ境界があいまいじゃない。と、メリーは口を尖らせながら、魔子を睨む。
カールした金髪。少し派手目なファッション。ギャル系の悪魔とか、新しいなぁ。といったどうでもいい感情を描きながら、メリーは自室のベッドに腰掛ける。
「願いは……三つ?」
『ああ。一つ目はもう聞いた。シン・タキザワをお前のものに。そう願って……どういう訳かあたしがまた、この姿で呼び出された』
「それが私の願ったことだから?」
『あんたの胸の内とか、わかるわけもない』
「……まぁ、いいわ。〝期待通りだし〟我ながら、軽はずみに辰を生き返らせて。なんて願わなくてよかったとは思ってる」
その心は? 目でそう問いかける魔子に、メリーは微笑みながら答える。
「だって、生き返らせても、竜崎さんのとこへ行っちゃうでしょ? 引き離すのに願い一回。それを私だと悟らせないようにするのに更に一回……。これに猿の手だから代償が付け足しで来る。割りに合わないわ」
『悪魔に願う時点で、色々終わってるけど?』
「何も無ければ終わってるのよ。私はね。だからそう。こうやって悪魔の助力を得るのは、悪くない……。代償に何かが失われるんでしょうけど……ま、いいわ」
私にはもはや、失って怖いものなんて何もない。そうメリーは楽しげに笑う。故に魔子の苦虫を噛み潰したような顔には気づかなかった。
『………………理性か。あるいは、正常な判断力か』
「何か?」
『いいや。別に。で、どうする? 手にいれる為にあたしを協力者として実体を持たせたんだろう? 具体的には……』
「あ、それはね。もう二つとも決めてるの。取り敢えず……時間を含めて、世界を渡ろうかなって」
『………………は?』
メリーの口にした突拍子もない言葉に、魔子はその場で戦慄する。
『何を……え?』
「平行世界。そんなのがあるの。私はそれを見たこともあるし、そこに逃げ込んで帰らぬ人になった事例を知っている。加えて……つい最近は、それを観測する事すら可能になった」
『だから、それに滑り込むと? 出鱈目だ。人の身で出来るわけ……』
「いいえ出来る筈よ。その為の悪魔なんだもの。私は今や、観測だけじゃない。干渉だって出来る。着地点は補足して、飛行機もある。後足りないのは……燃料だけ」
まるで機械のパーツでも眺めるようなメリーの視線に、魔子はゴクリと唾を飲む。本気だ。魔子は内心の動揺を押さえて、改めてメリーを爪先から頭のてっぺんまで観察する。
『時間を戻すなら。この世界でいい筈だ』
「ダメよ。それじゃ。失敗してやり直す度に、私が増えるじゃない。最後に収拾がつかなくなるのは目に見えてるし」
『……失敗前提だと?』
「一回で成功する。なんて自惚れてはいないわ。でも……諦める気もない。だからこそ……」
ヒラリとベッドから降りたメリーは、魔子の顔面を掌で掴む。
女性の小さな手では、魔子の顔を覆う事は出来ない。だが、指の間から見える狂乱に濁った青紫の瞳と、鼻に届くハチミツのような甘い香りが、嫌でもメリーの存在感を、魔子に刻み付ける。
「ねぇ……魔子ぉ。私に力を頂戴。平行世界をいくつも渡り歩ける体質を。私も協力するわ。大丈夫。魔子なら出来る。きっと出来る。だから……ね?」
ギシリと、魔子の顔を絞める力が強くなる。気がつけば、魔子の片手にメリーの指が蜘蛛の如く絡み付いていた。
『ひっ……』
同時に。自分の中に得体の知れない何かが干渉してくるのを感じ、あろうことか悪魔である魔子は、目の前の女に明確な恐怖を抱いた。故に、人差し指がメリーにしっかりと握られているのを気づくまで……致命的な程に時間を有してしまう。
『ちょっと……待っ……』
「お願い。私に力を貸して」
パキン。という、指が折れる音と、鋭い悲鳴が部屋に響いた直後……。
メリーは、この世界から消失した。
※
幻視を視た。
恐らく元生まれた世界だろう。
自分を知る存在の記憶から、自分がいなくなる。
自分の育ての親から。
辰の両親や、妹のララから。
竜崎綾や、大学の知り合い達。
関わった怪奇の類い。全てから。
私物は泡のごとく消え。思い出を記した日記は白紙になる。
残した活動記録からは、メリーのいた部分が。
この時点で。メリーの帰る場所はどこにもなくなった。
「……成る程。私にとっては、これ以上なく、えげつない代償ね」
ある意味で存在の死を迎えたと言ってもいい。
精神はとうに死んでいる。だが、まだ……取り戻せる筈。何より身体が動く。
『目が覚めたかい?』
「ええ、最悪よ。でも……」
成功したのね。
メリーはゆっくりと起き上がり、周りを見渡す。
鼻を擽る草木の香り。空はオレンジの夕焼け空。部屋からこのんな場所に飛んでくるなんてこと、願ってはいない。つまり……ここはもう異なる世界だ。メリーはそう確信していた。
自分がいるのは、いつかに辰と訪れた場所。魔子の死体があった、かの社だった。
目を細め、幻視を駆使し、近くを観測する。魔子の身体はそこにない。死体があった様子もないつまり、少なくとも大学に入って一回目のバレンタインは迎えていないようだ。つまり、平行世界への過去へと飛べた。彼女にはその事実だけで充分だった。
次にメリーは、あまり期待せずに、ポケットに手を伸ばす。取り出されたスマートフォンの液晶を見て、彼女は小さく舌打ちした。
「安定の真っ暗ね。まぁ、予想はしてたけど。これで私は、晴れて平行世界を渡れるようになった?」
『無条件にではないよ。こんな大それたことが、その手によるバックアップがあったとしても、こう簡単に済む筈がない』
「……方法は?」
『知るか。今渡ろうとして渡れないなら、色々試すことだね。あたしが言えるのはそれ位だ。……っと、そういえば聞き忘れてた。あんた、これからどうするの? 身を寄せる場所なんてないだろう?』
人間である以上腹も減る。ならば、今居場所などないメリーはどうやって生きていくのか。魔子がそう問いかければ、メリーは待ってました。とばかりに微笑んで。
「取り敢えず、人間をやめようと思うの」
『…………はい?』
もう何を言われても驚くまい。そう思っていた魔子は、思わずメリーを二度見した。
『いや、止めるって、え? それが願い?』
「あ。まだ叶えないでね。ちゃんと指定したい存在がいるのよ。……貴女の言う通り、私は今や宿無し文無し。……案外これも代価だったのかしらね。そんな訳でこのままじゃ野垂れ死に一直線」
お金を稼ぐ? どうやって?
宿を得る? どうやって?
食料は? 衣服は?
全てが無い。無い。かといって、そこで一から生活を組み立てるには準備や時間がいる。
この世界にいるであろう自分の家族に接触すれば一時的には何とかなるかもしれない。だが、それではいずれ、この世界の自分に見つかるかも。思い描いている計画の関係上、それは避けたい。
最も、こう列挙しているのは、全てが建前。メリーの狙いは……別にあった。
「さて、問題よ。私はどうやって、辰を手にいれるつもりでしょうか?」
『……え?』
「ほぉら。クイズなんだから答えてよ」
ニコニコと笑う彼女に謎の薄気味悪さを感じながらも魔子は首を捻り……。
『……告白する?』
「意外と純情なのねぇ。悪魔の癖に」
『う、うるさいな! じゃあ何さ! 他に方法……』
「邪魔だと、思わない?」
『……え?』
微笑んだまま。メリーは魔子を見つめている。
最初は何が? と、首をかしげていた魔子も。彼女の言葉が意味する事を察して、顔を青ざめさせた。
『まさか、人間やめるのって……』
「勿論、もっとちゃんとした理由はあるわよ? でも、邪魔じゃない。この世界にいる私。多分私が彼を手にいれようとしたら、全力で止める筈よ」
私だもの。そう断言しながら、メリーは続けた。
「だから……私は私を殺すわ。思えば路地裏の母の占いは正しかったのよ。私はあの日、精神的に死んだわ。それが運命だった。けど、ここに来たら私は私であって私ではない。つまり……あの占いにそって、この世界の私を殺してしまえば……後に残るのは、死の運命を逃れた、もう何も怖くない私だけが残る……ハッピーエンドよ」
『…………オーケー。あんたが頭おかしいってのは、よく分かったよ』
何その超理論。そう言いながら、魔子は呆れ顔で頭を振る。
『怪奇になって、シン・タキザワが手に入るの?』
「あら、無知なのね。人間から怪奇になる例も。人間と怪奇が結ばれた例も。そして……怪奇から人間になった例も……探せば幾らでもあるのよ?」
整理しましょう。
そう言いながら、メリーは指を鳴らす。
「まずは私が人間を止める。そうして、この世界の私をこっそり殺して、入れ替わり、人間に戻る。そうすれば……私が精神的にではなく、物理的に死ぬから、辰だって死なない筈」
他に考慮すべき問題はないのか。そう口にしかけた魔子は、その言葉を飲み込んだ。言っても無駄だと感じたのだろう。あんたは本物の悪魔よりも悪魔的だよ。と、内心で評価しながら。結局、どんな怪奇になるのか。それだけを聞く。
するとメリーは、胸の前で指を組み。まるで修道女のように祈りを捧げた。
「お願い。魔子。私を……怪奇に。私の存在を、ドッペルゲンガーにして」
二人は知るよしもないが、それは一昔前の口裂け女や。彼女自らが名乗る、メリーさんの電話。そういった怪奇によく似ていた。
人の想像力が作り出した怪物。
だが、決定的に違うのは、彼女、メリーには、万人からの信仰や畏怖がない。だが、それで充分だったのだ。ドッペルゲンガーは、元より個人を強烈に恐れさせるもの。
自分は自分自身に怖がられれば、それでいい。
「ここの私が占い師と出会うまでは、徹底的にこの世界の情報を集めるわ。死の宣告を受けたら、現れればいい。それで包囲網は完成する」
『ふーん』
「……あら、急にそっけなくなったわね」
自分が今まさに人間から解離して行くというのに、メリーはいたっていつも通り。それを魔子は無表情で見つめ……小さくため息をついた。
『……違うよ。ええっと、本名なの? ミス・メリー? まぁ名前はいい。どうせすぐ……』
お別れだし。
そう言った魔子は、突然ギラリと目を輝かせながら、メリーの襟首を両手で掴む。
力を入れれば、途端に首を締め上げられる位置取り。それをメリーは一瞬だけ目を見開いて。すぐに不機嫌そうに睨み付けた。
「……何の、真似?」
『言ってただろう? 願い事は三つまで。君は今、あたしに三つ目を願った。……悪魔にだよ? 少し無用心が過ぎやしないかな?』
ニタリと、魔子は笑う。
『願いを叶えて……悪魔がはい、サヨナラなんてするわけない。途中代償は貰うけど、最後はやはり……魂を貰うのが悪魔的だとは思わないかな?』
「骨の髄まで搾り取る……と。成る程。確かにそう言えば悪魔みたいに聞こえるわね」
ギリギリと、メリーの服が伸び、彼女の首を絞めていく。魔子は舌舐めずりしながら、それを眺めていた。
『シン・タキザワへの欲のままに、いっぱい代償を払うあんたは、なかなか滑稽で素敵だったよ。……あはっ。最後はこうなるなんて知らずに、三つ目の願いを言ってしまった』
「言葉巧みに誘導したと?」
『悪魔ですから。誘惑は基本だよ?』
「人間と純愛を演じようとした癖に?」
『…………あら。それ言っちゃうんだ?』
魔子の声が、冷え冷えとしたものになり、より一層締め上げの力が強まっていく。くぐもったうめき声を上げながら、メリーの顔が苦しげに赤らんでいく。
『女は引き際が肝心だよ? 二つまでにしたら、まだ助かったのに。未練たらたらなのは、みっともないと思うの。さて。怪奇にだっけ?』
パキン。と、魔子は指を鳴らす。
あっさりと願いを結実させた彼女に残された役目は……。
『さ、願いは叶えた。じゃあ魂を……』
『女は引き際が肝心? すっぱい葡萄のお話をご存じかしら? そんなの、こっぴどく打ちのめされる勇気もない、薄っぺらい奴の負け惜しみよ』
この時点で、もう終わってしまう。
気がつけば、彼女は地面にうつ伏せに組み伏せられ、その上に、メリーが馬乗りになっていた。
『え……、あれ?』
『ね、魔子。クイズよ。私は願いを言ったわ。確かに、彼を手に入れたい。その為に貴女を欲した……。あれね、文字通り言葉のままだったのよ』
『なん……だっ、てぇ?』
訳が、わからない。そんな顔をする魔子を、メリーは楽しげに見下ろしたまま、ゆっくりと指折り数えていく。
『世界を渡る方法。私をドッペルゲンガーに。これは叶ったわ。けど、肝心の辰を私のものに。これが叶っていない。当然よ。この状況になることを、私は想定した。貴女はオマケ。ここで殺すために呼んだんだもの』
『い、言ってる意味が……』
『以前貴女は、相沢君……だったかしら? 彼の願いに縛られていた。最後の願い。あそこで何があったかを私達が知る。あるいは、私達が貴女達を覚えてること。それが成されるまで、貴女は復讐に走れなかった。誰かに縛られていた貴女は……あの時の辰に手酷い傷を負わされてたわよね?』
ブチュン。という音で、まるで脳が鷲掴みにされたかのような錯覚を覚えた瞬間、魔子の視界が突然真っ暗になる。送れて這い上ってきた激痛にのたうち回れば、後ろからフックをかけるように眼球に差し込まれた二本の指が、眼窩の奥底をコリコリ掻くように動かされた。
『あ……ぎゃひぃぃいい!!』
『三つ目を私が口にして、もう本性を見せても大丈夫だと思った? 流石に甘いわ。チョコレートみたいよ?』
もがく魔子を押さえつけながら、メリーは手近にあった石を手に取る。都合よく落ちていたそれをしっかりと握り。そのまま魔子の後頭部に振り下ろす。
ゴポン。という、頭蓋骨が陥没する音と、衝撃で肉の繊維が撹拌され、破壊しつくされたかのような、嫌な音が響いた。
『今の私は、あの時の辰より霊能者として上。貴女は私の願いをまだ叶えきってないから、私に縛られている。加えて、今や私は人より強くも弱い、怪奇。だから……充分殺せると判断したけど……』
正解みたいね。と、嬉しそうに、再びメリーは石を魔子の頭部に叩き込み、執拗に傷を掻き回す。
『私は幽霊に干渉できる。物質も触れて、消すことが可能。本質からいえば、幽霊に近くなれたり、物質も幽霊に出来る。なら……これを幽霊やオカルトに直接ぶつければ、凶器にならないか……ビンゴだわぁ』
呻くだけの人形と化した魔子を、壊して砕いていく。
数分後、濃厚な血と脳漿の匂いが漂う草原に残されたのは、頭部だけ潰され、ピクピクと痙攣する女の死体。
それは、身体の一部が欠損しても神経が生きたままに動き続ける虫を思わせた。
『〝時よ止まれ、お前は美しい〟……悪魔が人や神様に出し抜かれた話も、意外と多いのよ? まぁ、貴女が向かって来なかったら、こっちから殺ってたんだけど』
ふざけ半分に述べた餞の言葉もそこそこに、メリーはゆっくりと辺りを見渡した。
悪魔を殺した。願いを叶えるのが魔子である以上、代償を回収するのもまた魔子。つまり、これは事実上の踏み倒し。彼女は最初から、これを狙っていた。
『猿の手に気づいた時、一気に色んな考えが浮かんだの。もしも願いが叶うなら。もしも誰かと入れ替われるなら。そんな報われない妄想を、私はずっと……ずうっと重ねてきたから』
連れだって歩く、大好きな辰と、その幼馴染。黒い感情が全く巻き起こらなかったと言えば、嘘になる。
だからこそ、メリーはここまで素早く動けたのだ。
『辰……辰辰辰、しん、シン……』
フラフラと、おぼつかぬ足取りで。時折身体の一部を消したり現したりしながら、メリーは虚ろな表情で、空を仰ぎながら進む。呟かれる言葉は、壊れたカセットテープのようにひたすら繰り返される。
際限ない願いが彼女を突き動かす。メリーは今まさに本物の怪奇そのもの。故に彼女の声もまた、誰にも聞こえない。
『今、行くわ、辰。何がなんでも……。もう一度、貴方と歩きたい。もう一度、貴方と話したい。もう一度、貴方に抱き締めてもらいたい。もう一度、もう一度、もう一度……』
メリーって、私を呼んで?
※
かくして、狂えるドッペルゲンガーは誕生した。
だが、彼女は気づかなかった。
占い師の忠告を無視しただけではない。致命的なまでのミスを。
願いを叶えるのが悪魔ならば、それを殺せば代価は払わなくていい。それは確かに強引ながら筋は通る。
しかし……その選択をした以上、叶えられていない願いは、永久に叶わなくなったのを……彼女はまだ知るよしもない。
彼女は愛情を願ったが、それを育む未来を願い損ねたのだ。
結果、メリーは幾重も失敗し、精神は磨耗しきり。
果てには、あろうことか求め続けていた相棒に、その願いを否定された。
死よりも辛いことが起きる。
それは、相棒を失い。願いも叶わず。永遠に怪奇として一人さ迷い続ける運命を指していたのかもしれない。




