私メリーさん。今、狂ってしまったの《前編》
偽メリーさん過去回
一人の女の話をしよう。
生まれつき、人には視えぬものが視えた、少し人より臆病で。少し人より夢見がちな、女の話を。
人の常識から少し逸脱した彼女は、少女の頃より自分の世界に没頭した。己の中だけで完結する物語。そこに新たな風が吹き込んで来たのは、女が大学生になる直前だった。大人とも子どもとも取れる、そんな年頃になった時。
女は一人の青年と出会った。自分と似ているようで違う。だが間違いなく。同じ世界を共有できる、初めての相手を。
二人はすぐに友情を育んだ。
言葉を交わす度に。行動を共にする度に、女と青年は今までにない嬉しさと楽しさに夢中になった。青年もまた、女と同じ。人の常識から少し逸脱していたのだ。
「ああ、楽しいなぁ。もっと早くに君と逢いたかったよ」
「本当ね。……本当に。私も……貴方ともっと早く出逢いたかった」
青年は純粋な気持ちで。女は……それに加えて、僅かな羨望と嫉妬を胸に潜めながら。
少女が青年に淡い恋心を抱くのは、そこまで時間はかからなかった。けれども……それは、決して報われる事はないだろうと、女は確信していた。
何故なら……出逢った時、〝青年には既に恋人がいたから〟
青年が恋人を裏切ることは決してない。そういう男だった。自分が奪うなんて無理だろうし、寧ろそれで青年が傷付くかもしれない。
だから、彼女がどう頑張っても、友人や相棒の枠は越える事が出来ない。それが確定事項。だが、女はそれでも構わなかった。
下心は否定しない。けれどそれ以上に、女は青年の傍にいたかった。ただそれだけだったのだ。
恋人になれなくてもいい。
クリスマスも、バレンタインも、ホワイトデーや大晦日も。きっと一緒にはいられまい。
けど、青年が女を相棒として頼り、背中を預けてくれるだけで、彼女は嬉しくて、幸せだった。
だから女は青年と今日も行く。愛してる。そんな気持ちを心に秘めながら。
一度分かり合える存在を得てからまた独りに戻るのは、女にはもう出来なかった。そして……それは青年にも同じことが言える。恋人ではない理解者。そんな異質だが唯一無二な存在である少女を、青年もまたとても大切に思っていたのである。下手をすれば、自身の恋人と同じくらいに。
そして、それが悲劇を招いた。
「……もう、止めてください。耐えられません」
あれは忘れもしない秋の夕暮れ時。例によって青年とフラフラと放浪し、次の検証は〝占い師〟にしてみよう。そう方針を定めた後「また大学で」と挨拶を交わし、別れた帰り道。
女を待ち構えている人がいた。
帰路の途中に外観が結構お気に入りな公園がある。その入り口に、青年の恋人兼幼馴染、竜崎綾がいたのだ。
「ごめんなさい」
綾は小さくそう呟いて、女を無表情で見つめ。そのまま片手を振り上げた。
乾いた音が夜の公園に響き渡る。自分の頬を走る痛み。女は唖然としながら静かな激情を燃やす綾を見た。
「いつもいつも、二人で何処かに消えて……もう我慢の限界です」
涙を両目に浮かべる綾に、女は必死に弁明した。
貴女が思っているような疚しいことはない。
純粋に、友人として共にあるだけだ。
自分が信用できないのはいい。けど、彼は絶対にそうだ。信じてあげて。彼は貴女を決して裏切ったりはしない。
そう言う女に、綾は静かにため息を吐く。瞳に灯る怒りは、まだ収まってはいなかった。
「それでも。恋人が、別の異性と二人きり。泊まりがけで出掛けるなんて、許容できる訳ないじゃない。……私、辰にもちゃんと言うつもりよ。もう貴女に会わないでって」
「待って、本当に……それだけは……!」
「いくら友達でも、アナタ達やっぱりおかしいわ。酷いこと言ってる自覚はある。でも……なら何? 私にずっと我慢してろって言うの?」
「それ、は……」
女は何も言えず俯く。綾はそれを冷徹に睨み付けたまま、静かに最後通告をする。
「彼の恋人は、私よ。メリーさんにはあげれない。大好きだから。誰にも盗られたくないの。これでもし、彼が貴女を選ぶ、なら……」
その目に、少しの不安な悲しみが宿る。
身体を震わせながら肩を抱き、想像した最悪の未来を拒絶するように首を振り。綾はきっぱりと宣言した。
「いいえ、選ばせないわ。そんなことさせるもんですか!」
その場に青年がいないのが、女にとっては救いだった。
いたらきっと泣いてしまう。もっと迷惑をかけ、傷つける。
何も言わない女に背を向け。綾は用事は済んだとばかりに去っていく。女は、それをただ見送ることしか出来なかった。
以来彼からはしばらく連絡が途絶えた。
止められたから? 否。きっと話し合ってくれているのだ。女はそう思うより他になかった。自分が行った所で、状況は悪化する。ならばもう、待つより他にない。
「……検証、先に始めちゃおうかしら?」
何の気なしな思いつき……そして、不幸は連鎖していく。
「ダメだね。あんたは成人を迎える前に、死ぬよ。受け入れざるをえない結末だ」
「…………酷くない?」
下されたのは、残酷な占い。踏んだり蹴ったりな状況に、女はただ塞ぎ込む。
誰にも話すな。なんて忠告も、憔悴しきった女には意味がなかった。話せる相手が今いないのに。そう思った時、女は不意に恐怖に襲われた。
このまま……会えぬまま自分は死ぬのか。そんなの、あんまりではないか。
女は寂しさと絶望のあまり、ある行動に出た。
すなわちそれは……。
『会いたいよ。辰』
もう随分と会っていない、相棒に連絡をとることだった。
そして……最期のピースが揃ってしまう。
「綾に……全部打ち明けようと思うんだ」
女は、占いの結果を話してしまった。未だに恋人を説得しているらしい相棒の近況を聞いた時、気持ちが抑えられずに。
その結果、話を聞いた相棒が出した答えがそれだった。自分の体質。見えているもの、今までフラりと消えていた理由全てを。
あんなにも、恋人に知られるのを恐れていた彼があっさりと手のひらを返した事に女が首を傾げれば、青年は頬を掻きながらもしっかりとした口調でこう言った。
「彼女を巻き込む訳じゃない。ただ、僕の見せてなかった所を知ってもらうだけだよ」
「けど、貴方自分の体質を伝えたら……」
「綾は、きっとわかってくれる。それだけで全部拒絶して終わる程、脆くはない筈」
「でも、もし……」
「君が危ないかもしれないんだ。そんな時に、ほっとくなんて出来ない」
真剣な顔の青年を女は涙が溢れそうになるのを必死に抑え、見つめていた。
近々旅行に行こうと思ってたんだ。そこで、話を持ち出してみる。その日はそんな形で解散となった。女が成人を迎える二ヶ月程前の出来事。
それが……女と青年の、今生の別れとなろうとは知るよしもなく。女はただ、朗報を祈っていた。
かわりに訃報が届いたのは一週間後。青年は旅先の駐車場にて。帰らぬ人となった。
ブレーキとアクセルを踏み間違えられ暴走した乗用車により。あまりにも、あっさりと。
その時女は、静かに自分の心が〝死んでいく〟のを感じていた。ああ、死ぬってこういう事か。漠然とそう思った。
ある意味で、死よりも辛い現実に、女は涙すら流れない。
受け入れがたい現実にまだその時は思考がついていってなかったのだ。
そんな面持ちのまま、青年の葬儀がやってきた。
「…………どうして、なの」
そこには、当然ながら幼馴染である綾も参列していた。現れた女を見つめる彼女の目からは、とめどなく涙が流れていて。未だに涙を流す様子をみせない女を咎めるように、綾は女の襟元を掴むと、すがり付き嗚咽を漏らしながら、綾は声を絞り出す。
「何も、聞けなかったの。夜に話したいって……。今までずっと黙ってた事があるって。……旅行中だよ? 鈍感ってか、デリカシーないんだから」
結局、わからないままじゃない! そう叫びながら、綾は女を睨み付けた。
「……何を、隠してたの? 本当は二人の間に何があるの!? 私に言えなかった話って何よ! やっぱり……やっぱり辰は貴女と……」
「ち、違う。違うわ竜崎さん! 彼は……ただ。……本当に貴方やご両親にも言えない……」
「それを、何でメリーさんが知ってるの!? 何で、何で……。もう、わからないよ」
こんな気持ちでお別れしたくないのに……! そんな思いがひしひしと伝わってきた。次から次へと嫌な想像ばかり浮かぶのだろう。疑いたくはない。だだタイミングがあまりにも悪すぎた。
「竜崎さん聞いて。私と彼は……」
「やだ! もうやだ! 聞きたくない!」
「信じて。本当に何もないの」
「嘘よ!」
「嘘じゃないわ! 彼が愛した……のは貴女だけで……」
「だったら……。だったらどうして! 貴女の名前が出るのよ!」
「……え?」
一ミリたりとも予想していなかった綾の言葉に、女はただ固まった。何を言っているのかわからない。そんな顔をする女に、綾は嫉妬と恨みすら込められた視線をぶつける。
彼、私の目の前で車に吹き飛ばされて……でもその後少しだけ意識があったの。綾はそう呟いて。
「ごめん、メリー……ごめん。って。……彼が最期に想ったのは、家族でも私でもなく、貴女だったのよ……!」
なんで……どうして……。
そんな慟哭を漏らしながら、綾はその場に座り込む。
女はただ、虚空を見つめたまま。だがその時確かに、頬を一筋の雫が伝っていた。
月日は流れていく。結局成人を迎えても、女の身体は無事だった。だが、それはもはや生きていると言えるのか。
女は日々をぼんやりと過ごしていた。そんな中。ある日。彼女は自分の体質が変化している事に気がついた。
幽霊に、触れられる。試しに御守りを握り締めて念を送れば、そのご利益をいとも容易く破壊した。
適当な人を一時的に幽霊が視えるようにしたり。
果ては自分だ。体質である幻視。それに干渉し、ある程度狙ったものを見られるようになっていた。さながら、在りし日の青年のように。
「それは、安っぽい言い方にすれば、能力の継承ですかね」
「継、承?」
心当たりのありそうな人を当たれば、その人物。青年のバイト先の女店主は、ロッキングチェアに揺られながら、「はい」と、呟いた。
「所謂霊能者。その能力は持っている人が死亡ないし成仏した時に、その人物に親しい人へ移る。そう言われています。いない場合やその人が能力を疎んでいれば、適当な動物にも宿ることもあるらしいですがね。この場合、辰ちゃんが亡くなったから、メリーちゃんに譲渡された……といったとこかしら」
貴女達は、誰よりも近かったから。女店主はそう締め括る。それを聞いた女は、そっと己の手を眺めた。
だからどうしたというのだろう。これがあれば、成る程、自分一人でも、世界は……大好きなオカルトを追えるだろう。だが、それが何になる? 既に彼女の中では、それすらも色褪せつつあった。隣にいる人がいないから。
「……メリーちゃん、最近寝てる?」
気遣わしげな女店主の言葉に、女は作り笑いを浮かべながら頷いた。
また、飛ぶように時は流れた。あれよという間に、彼は一周忌を迎えようとしていた。
女の傷は未だに癒えず。寧ろもう、このままでいいかとすら思い始めていた。
昼は大学に行き、後は部屋にこもり、読書三昧。
無味乾燥の日々で、女は徐々に自分が人としての機能が衰え始めている事に気がついた。
人とは話さない。何かをするわけでもない。ただ、静かにこの身が枯れていくよう。
唯一の変化は、俗世から極力離れていたからか。霊能者としては、この一年で異様な程に磨きがかかった。
霊場や何かの縁の地に赴けば、過去。未来のオカルト現象を幻視し、何があったかを細かく知れた。
幽霊への干渉手段も、本質を悟り、今や自分が霊体に近い存在になるのも可能なばかりか、無機物も触れていたり身に付けてさえいれば、透明にする。といった離れ業まで習得した。
だが、それで得られたのは虚しさや寂しさのみ。彼女は今も満たされぬまま、幽霊のようにさ迷っている。
「ねぇ、辰。見て……。私こんなに多芸になっちゃった。凄いでしょ?」
彼の墓前で明滅してみるも、答えるものや驚く者は誰もいない。女は構わず話し続けた。
「私でこれよ? 貴方なら、きっともっと凄いことが出来たのよね」
女は、どうしても気になる事があった。オカルトに触れていた自分達。当然、幽霊についても知っていた。ならば何故……彼は自分の前に現れてくれないのか。
未練などないの? それとも、また別の理由?
考えても、答えは出なかった。
「……愛してる。また、来るわ。あ、そうそう、今日はね。貴方のご両親にお呼ばれしてるの」
どうしてか分からないけど。そう呟いて、彼女は墓場を後にした。
「ここの品を受け取って欲しい。……出来れば、この記録に出ていた、女店主さんの所に」
その夜、女は青年の両親と食卓を囲んでいた。
話を切り出したのは、青年の父親だった。
そこには、青年が記した、女との活動記録。そして。ちょっとした遺産と言うべきオカルトアイテムが何点か。
女がそれらと青年の両親を見比べれば、両親は悲しげに頭を振った。
「読ませて貰ったよ。君のことも沢山書いていた。にわかには信じがたいが……」
「そうだと考えれば、辻褄が合う心当たりが、多すぎるのよねぇ」
苦笑いする二人は、一年前より随分と窶れたように見えた。
「私達には、正直手に負えない。それどころか、未来に不幸を呼び込むかもしれない。そう考えたら……やはり、この記録にあった女店主さんに預けるのがいいと思ったが……」
「場所が、分からないのよね。暗夜空洞なんてお店、ネットには乗ってないし」
それは仕方あるまい。表向きの古本屋まではたどり着けたとしても、あの店の本当の場所は、普通の人間では行けないのだ。
「だから、私に?」
「うむ。使いっ走りのようにしてすまないが、他に頼れる人がいない。変わりと言っては何だが……その活動記録を君に……」
「いいえ。それは、お父様、お母様が持っていてください」
青年の父から出かけた言葉を遮り、女はきっぱりとそう告げた。
「それが……彼の真実です。私は彼の幼い頃の苦悩を知っています。同時に、どれだけ家族を大事にしていたかも。フラフラ放浪してもちゃんと帰って来たのは、間違いなく。ここが辰の家だったからです」
だから、本当の彼は、お二人が持っていて。
それが、女の願いだった。
「竜崎さんは……この事は?」
青年の両親は頭を振った。
彼女の傷も、また深い。それが癒えるまで掘り返すことはしたくない。
女は、それもそうかと思う反面。ほんの少し、彼女を羨ましく思った。彼女の周りには今も愛が溢れていたのだ。
「あは……すご」
東京の自室に戻り、女は自分達がしたことながら、少しだけ。心を踊らせる高揚を覚えていた。
沢山ある、青年との思い出の品。霊験あるものだったり、ただのをガラクタだったり。多種多様ながらその一つ一つに物語がある。
そういえば青年は活動記録を書くのが少しだけ苦手だった。いつも自分のと女のを見比べては、君の方が読んでて面白いんだよなぁ。と、苦笑いしていた事を思いだし、女は久しぶりに。本当にいつぶりかの笑みを浮かべ……。その瞳が涙に歪んだ。
「……やっぱり。ダメだよ」
とめどなく頬を流れていく水滴を床に溢しながら、女は声を絞り出す。
「やだよ。やだやだやだ……! 会いたいよ! 寂しいよ! 貴方だけだったのに! 貴方しかいないのに! 他には……いらないのに……!」
いつかの大晦日に漏らした言葉が現実になりかけていた。
泣いて。泣いて泣き叫んで、気が狂ってしまいそうだった。
もう、一度。青年の隣に。傍に。
話がしたい。手を繋ぎたい。もう遠慮などしない。
彼は……彼は……。
その時だ。ガタン。という音がして、ガラクタの山の一角が崩れ落ちた。目を向けた先にあったのは、木の箱。その半開きになった箱を開ければ……。見るからに上等そうな御札が貼られた、黒い獣の手を思わせるミイラが入っていた。
「これ……は……」
記憶を引っ張り出す。それと同時に、彼女の脳裏に電流が走った。
色々な推測をくっ付ける。思い出の中にあった出来事を掘り返す。それらを統合した時。女は文字通り悪魔的な計画を思い付いた。
「…………っ! 検、証……!」
それは、一年ぶりの。一人だけのサークル活動だった。
額に指を当て。女は幻視を開始する。今も定期的に来る白昼夢。その中に彼女は飛び込んでいく。
霊能者としての全てを注ぎ込んだそれは……女にとって勝利というべき幻視を呼び込んだ。
「やった……見つけた……」
ハハッと、乾いた声が漏れる。
会いに来ないわけだ。貴方は私にいつかのディズニーみたいに、諦めるなと言いたいのね!
そうだ、そうだ。きっと二人は赤い糸で繋がっていた。
こうやって、また逢える機会が巡ってきたのが、何よりの証拠ではないか。
濁っていた青紫の瞳は、歓喜の涙を流し、浮かんだ〝妄想〟で確かに光を取り戻した。
「あは……あはははは……っ、ああ! 素敵! そうよね! そう。私達は既にその可能性すら見つけ出していた! 平行世界はあるのね! なら、会いに行ける! また……もう一度……! もう一度……!」
飢えた浮浪者のように、女は獣のミイラ……『猿の手』に手を伸ばす。
魔が差した。そんな少しの後ろめたさは今や鳴りを潜めていた。彼女は幻視を通して沢山の世界を見て、己の願いを口にする。
「……私、メリーさん。貴方に呪い、かけたわよね。……ダメじゃない。いなくなっちゃ。私の手を離さないでって、言ったよね? だから……」
お願い、辰。私のものになって……!
パキン。と、指が折れる音がした。
その瞬間。女の前に悪魔が舞い降りた。
『……シン・タキザワ。ではないね。アンタは……』
「…………一応、話すのははじめまして。になるわね」
女は爛々と目を光らせながら。優雅に悪魔に一礼した。
一見完璧な所作。だが、身に纏う隠しきれぬおどろおどろしい気配が、この女は気狂いの類いだ。と、悪魔に早くも直感させた。
「私、メリーさん。……今、彼を手に入れる事にしたの。だから貴女を使うわね」
よろしく。
と、迷いない瞳で、女……メリーは悪魔に手を伸ばした。




