ドッペルゲンガー談義
翌朝より、僕らは行動を開始した。
スマートフォンには、恐らくニュースを見たのだろう。両親やララ。幼馴染みの綾から連絡があったが、今は一律。
「大丈夫。心配ない」
とだけ返しておく。時間は無駄に出来ない。特に母さんやララはヒートアップすれば話が長いのだ。
今やるべきは探索や情報集め。その為に……。
「私のところへ来た……と」
お気に入りのロッキングチェアーに腰掛けながら、深雪さんは妖艶に微笑んだ。
古本屋兼骨董品屋兼何でも屋。
ただの怪しい店に見える僕のバイト先。『暗夜空洞』は、今日も閑古鳥が鳴いていた。
「しかしまぁ、メリーちゃん久しぶりですねぇ。元気?」
『幽霊の私にそれを聞くの?』
「あーそれは確かに変かもしれませんねぇ」
そんな軽口を述べながら、深雪さんは楽しげに。メリーは少しだけ居心地が悪そうに肩を竦めた。
この二人の相性はあまりよろしくない。というよりメリーが深雪さんに負い目があるというべきか。
ざっくり言ってしまえば、僕がここで労働力として働いているのは、メリーと僕がここで一騒動起こしてしまい、結構笑えない損害を出してしまったからに他ならない。その事の引き金を意図せず引いてしまったのがメリーだった。そんなお話だ。
「アレは、地下室に閉じ込めています。メリーちゃんの肉体があれば今頃大騒ぎだったかもしれませんが……霊体なら問題はないですものね」
「……まだ生きてるんですか? アレ?」
「ええ。あ、辰ちゃんが来ても騒いでるわよ。メリーちゃんの匂いがするからかしらね?」
「……匂いがつくくらい、生活共にしてないんですが」
「あら、でもいつも一緒じゃない。ね?」
『私に振らないで』
フイッとそっぽを向くメリーに、あらら。フラれちゃった。と、舌を出しながら。深雪さんはいつものように長煙管を取り出すと、僕の方に流し目を送ってくる。
「何が聞きたいの?」無言の問いに僕は静かに唇を濡らしながら、起きていること。これからのことを話した。
深雪さんは紫煙を燻らせながら黙って耳を傾けてくれた。軈て、三度煙を吐き一服を終えた深雪さんは、煙管の灰を処理して脇に退け、そのまま両手を合わせて口元に持っていき、暫く物思いに耽る。
ギシリ。ギシリとアンティークのロッキンチェアーが軋む音だけが店内にこだまする。
そして……。不意に深雪さんは椅子から立ち上がり、店の奥に消えてしまった。
何があったのかわからず、僕とメリーが顔を見合わせていると、奥から再び足音がして、深雪さんが桐箱を手に戻ってきた。
それを店のカウンターに置き、深雪さんは再び椅子に腰掛けると、ゆっくりと僕とメリーを見比べて。
「辰ちゃん。開けてみて」
訳もわからず、言いつけに従い、おっかなびっくり開けてみる。箱の中には綿が敷き詰められていて、防腐剤の香りと一緒に何かが……。
「何ですかこれ?」
パリパリに乾燥した親指二本分ほどの固まりがそこにあった。
僕やメリーが怪訝な顔をして深雪さんの方を見れば、彼女はあっけらかんとして、「ドッペルゲンガーの死体よ」と答えた。
一瞬で背筋が凍りつく。すえた香りに混じって胃が酸っぱくなりそうなあるはずもない臭いが、鼻を突く錯覚に陥った。
「いや、どうみても、何かの干物か、ちょっと大きい臍の緒にしか……」
「あら、臍の緒はいい線行ってるわよ、辰ちゃん。それはね。ある人間の身体に取り憑いていたの」
ちょっと怖い話をしましょうか。そう言って深雪さんは、ニヤリといつもの不気味な笑みを浮かべた。
※
ある男の子の話だ。
内気で引っ込み思案。言いたいことも言えない。そんな自分が大嫌いだった男の子は、ある日、腕に見に覚えのない瘡蓋のようなイボを発見しました。
自分の顔。その輪郭によく似た不気味なそれ。最初は気にも留めていなかったのですが、それは徐々に大きくなり始め、しまいにはなんと喋るようになったのです。
瘡蓋が口をきくのは、決まって男の子に理不尽が降りかかりそうな時。毅然とした口調かつ同じ声で反論し、言葉を紡ぐ瘡蓋を男の子はいつしか頼りにするようになりました。
困った時や、大変な時。あるいは、学校の授業やレクリエーションの時。男の子は瘡蓋に助言を求め、果ては完全にその場を任せるようになっていきました。
だって、自分がやるよりも、ずっとうまく行くから。
「最近変わったね」
「凄いなお前」
そんな声をかけられる度、男の子は得意になります。
今までの自分が変わっていく。自分は強くなったのだ。
「ありがとう、〝僕〟……君のお蔭で、僕は毎日が楽しいよ」
男の子が嬉しそうに瘡蓋に話し掛けます。彼にとって瘡蓋は、まさにもう一人の自分だったのです。
『気にするな。洋介。全ては僕のためさ』
瘡蓋はいつもそう言って、男の子を支え続けました。
くる日もくる日も。
そんなある日のことです。
男の子は、ふと気がつきました。最後に自分が誰かと話したのは、いつだっただろうか。
自分で何かをしようとしたのは、いつだったか。
それがきっかけでした。男の子は慌て誰かに話しかけようとしました。ですが、声が出ません。。
自分のすぐ傍に、自分の大きな顔があるのに気づいたからです。
男の子は、瘡蓋になっていて。
瘡蓋は、男の子になっていました。
『僕は一度たりとも、君を〝僕〟とは呼ばなかった。最期まで気づかなかったね』
瘡蓋は冷たく笑いながら、男の子を見下ろします。
『僕が君の前に現れてから、君はどんどん君を殺していった』
だから僕が大きくなれた。ありがとう。これからは、僕が洋介だ。
そうして二人は入れ替わりました。
順風満帆な人生を歩む自分。
授業はいつも上位。
楽しい友達がたくさんいて。
先生から頼りにされ。
可愛い恋人もいる。
それを瘡蓋になった男の子は、ずっと見つめ続けていました。
僕の身体を返せと何度も言いかけました。ですが、そんなこと言えません。
男の子はいつしか声を忘れて。ただそこにあるだけな存在に成り果てていました。
何年か経った、ある夜のことです。
男の子は唐突に気がつきました。瘡蓋が眠れば、自分は動けることに。
自分が肉体を取り戻し、瘡蓋は元のイボに戻っていることを。
チャンスだ。
男の子の中で誰かが囁きました。
瘡蓋さえ切り落とせば、もう自分は自分だけのものだ。
男の子はベッドから這い出し、自室の引き出しを開けます。
大きな鋏がそこにはありました。
男の子はそれを握りしめると、震える手で刃先を瘡蓋に向けて……。
『どうしてだ』
何も出来ぬまま、何分も経ちました。瘡蓋が失望したような、無感動な声を出しました。
「怖いんだ。だって僕はもう……君に全て任せちゃってから……まともに誰かと話してない」
今更自分を取り戻した所で、何になるでしょう。
どんなに見た目が魅力的でも。能力を身に秘めていても。操るのが自分では、どうなるかは分かりきっていました。
「教えてくれ」
男の子は涙を流しながら瘡蓋を見ます。いつしかそれは、鏡に写したかのように、自分と瓜二つな顔をしていました。
「僕らは……どっちが本物なんだっけ?」
『…………さぁね』
それが最後でした。男の子は最後に小さく呟いてから瘡蓋に閉じ籠り。
瘡蓋は男の子になりました。
『バカだよ、君は』
どっちが本物か。それを問うた時点で、男の子はもう自分を失い、死んだも同然だったのです。
瘡蓋が、男の子に話し掛けます。ですがもう、言葉は届きませんでした。
〝自分〟が望んでいた事。理想の僕。それがきっかけで、瘡蓋は生まれました。後は身体だけでした。ですが、こうして手には入ると、身を引き裂くような切なさが瘡蓋を襲っていました。
洋介は、僕だから。
男の子は瘡蓋で。瘡蓋もまた、男の子だから。
そんな当たり前の理由からくるものだったのですが、瘡蓋の心は最後まで認めませんでした。
『弱い自分はいらない……か。初めて意見が合ったね。〝僕〟』
鋏がバサリと、瘡蓋になった男の子を切り落とします。
打ち捨てられた自分を見ながら、瘡蓋……いいえ。男の子は静かにそれを拾い上げました。
全ては、望み通り。男の子は今も生きています。
でも、彼の正体は、誰も知りません。
※
「ドッペルゲンガーには、色んな説があり、物語があります。二人がただ入れ替わり、別々の人生を歩むか。もう一人を殺し、入れ替わるか。はたまた、二人が合体し、完璧な自分に生まれ変わるか……実に多種多様ですが、総じてそこには、ある要因があります。辰ちゃん、分かるかな?」
「……理想か欲望。あと、自分の見つめ直しとか?」
「はい。その通りです」
語り終え、キラキラした碧眼を此方に向ける深雪さんに僕がそう答えれば、彼女は満足気に頷いて、ロッキングチェアを揺らす。
この話に何の意味があったのかわからず、「あの……」と、僕が戸惑っていると、深雪さんは意味ありげに僕の横を見る。
視線に釣られて隣を見れば、メリーが青ざめた顔で俯いていた。
「メリーちゃん。その偽メリーちゃんが貴女のドッペルゲンガーなら、やはり何らかの欲望がある。辰ちゃんが睨んでいる通りにね。その上で聞きたいんだけど……」
再び煙管をつまみ上げ、クルクル回しながら深雪さんはメリーを見る。メリーは今だ何も語らない。
「ドッペルゲンガーを弱体化させる。そこまではいいわ。その後はどうするの?」
「……あ」
思わず僕はそんな声を出してしまう。
そうだ。殺意を湧かせた相手を止めたとして、その後は……。
「放っておけば、偽メリーちゃんはいつまでもメリーちゃんを狙い続ける。仮に戦意を削いだとして。共存できる? 全てが自分とほぼ同じ怪奇。断言するわ。そのうちに、どちらがどちらがわからなくなる。待ってるのは……発狂。そこから再びの自己との闘争」
「僕が……僕が成仏させれば……」
「おとなしくしてくれる方法は? 偽メリーちゃんは、肉体も持っていたんでしょう? たぶんただの怪奇とは思えない。相当上位なものよ。というか、辰ちゃん出来る? メリーちゃんと同じ顔を押さえつけて……あの世に送るだなんて」
多分君も、メリーちゃんも。どうあっても深い傷を負うでしょうね。
深雪さんはそう呟いて、煙管に火をつける。
再び漂う煙を、僕らはじっと見つめていた。
「辰ちゃん。謎をいっぱい抱えてたみたいだけど、それを解決した後もしっかり考えて。相手は貴方達をよく知っている。だからこそ、やり方を間違えれば、共倒れになりかねないこと。……それを忘れないで」
重くのし掛かる言葉に、僕らは小さく頷く。
重苦しい沈黙が生まれ、そこで深雪さんはパン。と、手を叩き、僕らを奥へ誘った。
今日は店じまい。カステラがあるから食べましょう。
さっきの真剣な表情から一転して、おどけるように深雪さんは笑う。
僕とメリーはそれにゆっくりとついていくしかなかった。
「欲望って、自分を殺してまで偽メリーが叶えたいことって何だろう? ドッペルゲンガーなら、彼女も君だろう?」
『自分のことながら、わからないわ。でも、あんなに狂ってしまうなんて、余程叶えたいことなのかも。……自分があんなに必死になるなんて、少ししか思い浮かばないけど』
「例えば?」
『………………言えないわ。まだ頭でごちゃごちゃしてるの』
「占い……ではないよね」
『うん。でも、それにしても納得しかねるわ。だから今はわからない。が、一番正しい』
「そっかぁ」
長い暗夜空洞の廊下を歩きながら、僕は泣き叫ぶ偽メリーを思い出す。あの嘆きは本物だった。欲望が由来で生まれるのがドッペルゲンガーならば、彼女が狂うだけの何かが起きるかも。あるいは過去に起きていて、その為にメリーを殺さなければいけなくて。
「ん……? 狂う?」
何かがひっかかる。確か……。
そこで僕はビタリと停止した。お正月の出来事が甦る。
彼女は、何と言っていた?
「……いや、まさか。ねぇ?」
それは、確かにありえるが。
仮にそうだとしたら、どうしてそれがメリーを殺すに繋がるのか。
『辰? どうしたの?』
「いや、ちょっと的はずれかもしれない事をね」
僕がそう言えば、メリーはフワフワ浮きながら、僕を睨む。
話せ。そう言っている。まぁ、頭に秘め続けてても良くないだろう。
「まさかとは思うけどさ。メリー。僕って近々死んじゃったりする? そんな事を路地裏の母に占われたとか……ない?」
『…………はぁ?』
返ってきたのは、メリーの「何言ってるのこの人?」といった、冷たい顔だけだった。




