方針とコウトの手紙
ドッペルゲンガー。そう呼ばれる現象であり、オカルトであり、存在がある。
何通りにも及ぶあやふやな言葉を用いたのは、一重にそれの定義が酷く曖昧かつ多岐にわたるからに他ならない。
現象的に説明するなら、自分自身の姿を自分で見る幻覚の一種。あるいは、同一人物が同時に別の場に姿を見せる現象を指すだろうか。
オカルト的に見ると、自分とそっくりの姿をした分身。または、自分の魂の一部が勝手に一人歩きしているだとか、影法師が自我を得て実体化した。本物と成り代わろうとする。なんて風にも語られる。
説明可出来るような出来ないような荒唐無稽な存在。総じて不吉なものとされ、象る人物の死を予兆するともされる。それがドッペルゲンガーだ。
一説では、死神の一種にも分類される。
「それが、あの偽メリーの正体ね……。自分で言っていたっていうのと、君のいう、多分未来の僕? がそう言っていたと」
『今まで夢だと考えていたものを幻視で置き換えると、それが一番自然なのよ。お正月の一件、覚えてるでしょう?』
「勿論だ」
あの事件で、メリーは未来で起こりうる心霊現象を知覚してみせた。事例はまだ少ないけれど、そういう事が可能になったのならば、メリーが視た今ではあり得ない光景も説明がつく。
綾と結婚。もしくは恋人になって同棲生活。
違和感は何故かない。ただ、僕には想像もつかなかった。彼女は可愛らしい幼馴染みであり、妹分で、傷つけてはいけない存在だ。その他の感情はてんで考えたこともなかったのである。
僕がそう言えば、メリーは顔をひきつらせながら小さくため息をつき。しまいには僕を半目で睨み付けた。
『じゃあ、想像してみて。私がもしも死んだとして』
「今の君を見れば笑えないから止めてくれ」
『例えばの話よ。お互いifの話が好きじゃないのは知っているけど、想像を巡らすのが今は重要だわ』
貴方はどうなるか。そう呟くメリーに、僕は暫く考えて。
「……もの凄い腑抜けになる自信はあるな」
『……喜んでいいとこ? これ』
「複雑だ」
僕が苦笑いすれば、メリーはコホンと咳払いするような仕草をして、話を続けていく。
『なら、故郷の可愛い幼馴染みさんは、貴方をほっとかない筈よ。あの子……貴方が大好きだし』
「大まで行くかわからないけど……まぁ、いざって時に頼りになる女の子であることは確かかな」
でも、そのままなし崩しでそういう関係になるのは何だか複雑な気もするんですが。と、僕が言えば、メリーはあくまで可能性の話よ。と、念を押すように繰り返す。「可能性」がやけに力が入っていた気もするが、気にはすまい。
『未来の貴方は、何故か魔子を呼んでいたわ。猿の手を取り出して。何かを願ったのか、あるいはただ世間話をしようとしたのか』
「そこから先は見えなかったんだよね。……猿の手の指は? どうなっていた?」
『……あー、そこまでは見なかったわね』
私としたことが。と、頭を抱えるメリーを仕方ないさ。と慰めて。僕は再びまた考える。
「話を戻そう。謎はいっぱいあるけど、今一番に考えるは、偽メリーだ。彼女は未だ君を狙っている。止めるためには、コウトが言っていた通り彼女を怪奇として弱体化させるのが一番手っ取り早い」
動機が都市伝説のメリーさんをメリーが語っているから。というのも、恐らく彼女がドッペルゲンガーだからだろう。
『メリーさんの電話』の人形が、誰かのドッペルゲンガーだったという話は聞いたことがない。本物のメリーが、メリーさんのバッタもんだから、彼女もまた、嘘の動機を語り嘯いている。そうは考えられないだろうか?
『怪しい推理ね』
「推理じゃない。妄想さ」
僕が大真面目に言えば、メリーはええー。と、いった顔になる。
「でも、怪奇や神秘を弱体化させるには、この上ない位に有効なんだ。口裂け女はどうして消えた? 学校の怪談は、現代にどれ程残っている? ホラースポットが年々減っていき、忘れ去られているのは?」
『……恐怖の対象には、なり得なくなりつつあるから?』
口裂け女は、一時期社会現象になったが、度を越えた悪戯をした〝人間〟が捕まった事で、存在が貶められた。ポマードやべっこう飴で何とか難を逃れるという恐怖が、ただの警察に取り押さえられてしまったことで弱体化した。
学校の怪談は、現代の子どもが学校に対する見方が変わってきていたり、そもそも怖い話自体をあまりしなくなったことで、その存在がどんどん消えていき、身近なものではなくなってしまった。
ホラースポットだって、今や信じる人が少なくなった。
ある意味で僕らのようなオカルトマニアや視える人が信仰し、度々発信することで辛うじて体裁を整えているのが現状だ。
「今、僕らは偽メリーに恐怖を感じている。ドッペルゲンガーを見た人が、なぜ死ぬのか。それは、自己が曖昧になるから。あるいは、自分という唯一の存在の前に複製品というべきものが現れて、自分には代わりがいることを認めてしまうからか」
どのみち待っているのは、自分の損失で、広義に捉えれば自殺というべきものなのかもしれない。
『弱体化……すなわち、私達が彼女に恐怖を感じなければいい。そういうこと?』
「正確には、ドッペルゲンガーを主張する偽メリーと君が、確固たる別の存在だと突きつける。ドッペルゲンガーだとしたら、恐らく偽メリーは君を殺して成り代わろうとしていた。コウトがいう目的も、その成り変わりに繋がっていると見れる」
『ドッペルゲンガーの本能だって言われたらそれまでよ?』
「本能の前に、生まれた理由が来る。ドッペルゲンガーなんて個々のパーソナリティが起源の怪奇なら尚更さ。必ず何かがある筈なんだ。あの偽メリーが生まれた、何かが」
勿論これは、偽メリーが本当にドッペルゲンガーだと決定したならばの話ではある。だが、僕はこれが限りなく真であると確信があった。
他ならぬメリーの幻視でそう語られたのだ。彼女が観測する現象は全てが真実。あるいは、何もしなければそこへ向かうもの。
ならばこれは確固たる証明に他ならない。
『……何だか、いつになく貴方が頼もしいわ』
私がいない間に何があったの? そんな事を相棒が聞いてきたので、僕は思わず吹き出しそうになる。
彼女は僕を鈍感だ。というが、彼女だって大概だ。こんな当たり前なものにたどり着けないのだから。
「逆さ。君がいるから。光すら見えなかった所に、ドッペルゲンガーって確かな道標を立ててくれた。何より……」
少しだけ呼吸を整える。柄にもなく緊張している僕がいた。
「君が今度こそ殺されるかもしれないんだ。必死にもなるし、本気にもなるさ」
昼行灯を地で行く僕にだって、譲れないものがある。
それが今だから。意識不明なだけ。メリーは助かる。今はそう信じて、偽メリーの撃退に集中する
ドッペルゲンガーなんて訳のわからないものに、相棒を奪われて堪るものか。
「お互いの今言える情報や思い付いた事をどんどん照らし合わせてみよう。何か手がかりや糸口があるかも……メリー?」
僕が更に探索の手を広げようとしたとき、不意に視線を感じた。
メリーが、困惑や動揺。そして、僅かな照れを滲ませた目で、此方を見ていた。何だか惚けているようにも見えて、僕はそっと彼女の目の前で手を振った。
「メリー? おーい、どうしたの?」
『私が……いるから?』
もう一度問う彼女に、今度は僕が少しだけ戸惑いながら頷いた。
「そうだよ?」
『私の為に?』
「……僕らは少しギクシャクしてて、互いに一人だった。だから偽メリーにも一度負けた。けど、今は違うだろう?」
『……ぁ』
少しだけ、不安に満ちた目。それを打ち消すように、僕はそっと、彼女の手を握ると、メリーは小さく。驚いたような声がした。
冷たく、体温を感じない。近くにいるのに、遠い。けど、触れることは出来る。
「君は死なない。僕が死なせない。大丈夫だよ。僕らが手を組んで、出来なかったことなんてないだろう?」
実際はないの前へそんなに。と、ついてしまうのだが、今はそう言い切る。言い切らねばならなかった。
メリーは暫くの間、僕の手をじっと見つめて。やがていつものように柔らかく微笑んで、もう片方の手を僕にそっと重ねた。
奇しくもいつかの霧手浦で僕が落ち込んだときと同じ構図。
相棒としてスタートした時を思い出しながら、僕らは見つめ合う。
『……幽霊が、よく貴方を狙うわけだわ』
頬から一筋の質量なき涙を流しながら、メリーは僕の手を胸元に引き寄せる。
『こんなの反則だわ。このお化けったらし。ジゴロ。ばか。…………ありがと。…………き』
罵倒の最後に漏れた消え入りそうな声は、最後まで聞き取れなかった。が、ネガティブなものではないだろう。どういたしまして。とだけ返した僕は、メリーとそのまま議論に戻る。
それは、真の意味で渡リ烏倶楽部が活動を開始したことを意味していた。
内容はそう。笑って二人で生き延びること。
それに尽きるだろう。
※
情報を出し合い、僕らは解くべき謎を並べていく。
一つ一つは大小色々。それらがきっと、偽メリーの化けの皮を剥ぐ刃になる筈だ。
偽メリーは何故生まれた?
同一存在なら、どうして僕とメリーの体質を複合した上で、更にそれを強烈にしたような能力を持っていたのか?
偽メリーの目的は何か? 成り代わるだけなのか?
僕を見た時、どうしてあんなにも取り乱したのか?
コウトの正体は?
コウトの目的は? 本当に占いだけだったのか?
偽メリーとコウトは知り合いのように見えた。その関係は?
コウトは何故監視カメラに映らなかった? 逆に何故偽メリーは映っていた?
コウトが偽メリーと一緒に消えたからくりは?
二人の言動にも、不明な点が多すぎる。等々。
もっと考えれば他にもあるかもしれない。ともかく。僕らはこれらについて推理と妄想を交えながら、少しずつ折れない刃にしていこう。
それが今出来る精一杯。
最後に。ベッドの枕元に置かれたコウトからの手紙の一文を引用して、謎の羅列は終了させよう。
『――私は妖怪の件ではありません。君に見せていたのは、尽く虚構でした。名前も素性も、全てはでっち上げ。真実は、君に語った予言と、それ以降の私です。全ては語れません。これは今を生きる君が乗り越えるべき試練です。負けないでください。最後に一つだけ……』
コウトという名前は偽名です。が、全く無意味という訳ではありません。
これは名と行動が隠されています。その中に私の本質がまるごと隠れてる。私が出せるヒントはこれだけです。




