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渡リ烏のオカルト日誌  作者: 黒木京也
第八章 ドッペルゲンガーと蜃気楼
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幽霊な相棒

 家に帰った僕がすぐにやったことは、血まみれの服をもみ洗いして洗濯機にぶちこみ、そのまま風呂に入ることだった。

 手洗いする傍らで前もって湯を張った浴槽は、今はポコポコと泡立っている。少し前に幼馴染みの綾がサークル合宿でのお土産にプレゼントしてくれた入浴剤は、爽やかなラベンダーの香りで僕の鼻を楽しませるとともに、高揚した精神を落ち着かせるのに一役買ってくれていた。

 そのままシャワーで夜風に冷えた身体を暖めた後、一気に頭からお湯を被る。

 そのままシャンプーからトリートメント。

 顔と身体を洗い、全ての汚れを洗い落とした後、僕はゆっくりと湯船に身を沈めた。

 はふ。と、全身を弛緩させながら息を吐けば、忘れた頃にピリリとした痛みが身体の至るところに走る。

 膝や脛の擦りむきに、軽い打撲。コンクリートを殴ったお蔭で、片手の関節は、もれなく肉が陥没したり破けたりして、その上を薄い膜のような皮が覆っていた。

 ボロボロとまではいかないが、それなりの生傷。

 外で思いっきり遊んできた子どものようで、僕は自嘲するように笑った。


「……さてどうするか」


 ゆっくり考えるなら、お風呂かソファー。ベッドの三択だ。僕は浴槽の縁に頭を預けながら、これからの方針を決めていく。


 七日間時間を稼ぐ。コウトはそう言っていた。この時間を有効に使う必要がある。明日はまず、メリーのお見舞いに行って、もう一度経過を確認。後は……。


 その時だ。コンコンコン。と、風呂場の戸が叩かれた。


「コウト? どうし……た……」


 一瞬、しばらく行動を共にした存在かと思い、僕は何の気なしに答えようとして。そこで思考が停止した。

 アイツは今いない筈。じゃあ……。


「……誰だ」

『……私よ』


 ひぇ? という、珍妙な声が出た。

 あまりにも予想外。

 だが、確かに聞き覚えのある声に、僕は思わず湯船から飛び出し、扉を壊しかねない勢いで引き放つ。

 そこには……。


「メ、リー……?」

『――っ、そうよ。私、メリーさん。今、貴方の目の前にいるの』


 何故かぎょっとした顔をして。その後何故か伏し目がちになりながら、そこにいた女性はいつもの口上を述べた。

 メリーだ。メリーが、目の前に〝浮いていた〟


「どうし……て。いや、でも……」

『うん、色々と混乱させたのは謝るわ。だから、落ち着いて? 私、その……リビングで待ってるつもりで……まさか飛び出してくる、なんて』


 真っ赤な顔で目を物凄い勢いで泳がせて。こちらをチラリと見ては、また泳がせる。そんな謎な行動を繰り返すメリーに僕は首を傾げて……。

 そこで改めて、自分がさっきまでどこにいて。どんな状態だったのかを思い出した。


『裸……見ちゃったの二回目ね。あの時こんなに近くじゃなかったけど……。えっと、こういう時はどんな顔すべき?』

「温泉街行った時だね。……笑えばいいと思うよ?」


 扉を閉めて僕は乾いた笑いを浮かべたまま、もう一度湯船に飛び込んだ。そのまま取り敢えず潜ってみたけど、全身を掻きむしりたくなる衝動は、暫く収まらなくて……。


「……あれ?」


 代わりに、当たり前な違和感が芽生えた。

 彼女……どうやって入ってきた? いや、そもそも……意識不明じゃなかったのか?


 ※


 髪を乾かし、寝巻きに袖を通した僕は、早鐘を打つ心臓をどうにか宥めながらリビングの扉を明けた。

 変わらぬ自室。最近は牛人の妙な奴がいたのが日常になりつつあったが、今はその存在は消失し。

 代わりに。宙に逆さまで浮きながら僕を出迎える、相棒の姿がそこにはあった。


『おかえり。辰。暖まった?』

「頭以外はね。冷やしとかなきゃと思ってさ」


 もう何が来ても驚かないと思っていたのに、これだ。この一日で僕の頭が何度シェイクされたことか。


「……ねぇ。メリー。考えないようにしてたんだけど……。君が今、そうなってるって事は……」


 唇が。声が。身体が震えているのを自覚しながら僕が言葉を紡ごうとすると、メリーは少しだけ意地悪な顔になった。


『よかったの? 私がどっちのメリーさんかわからないのに。こうも簡単に近づいて』

「……偽物と本物の雰囲気を間違えるつもりはないよ。あの偽メリーは実体があったりなかったりした。けど君は……違う。だから聞きたいんだ。メリー。教えてくれ。君は……っ」


 言葉が出てこない。怖いのだ。

 数時間前に希望と共に取り戻した暖かさが消えてしまうのではないか? そう思えば、僕は恐れずにはいられない。


 今の彼女は、どう見ても霊体。すなわち幽霊そのものだった。そういう状態になる条件なんて、想像しなくても分かる。どんなに認めがたくても、分かってしまう。


 そんな僕の心情を察したのか。メリーはふざけた空気を引っ込めて、静かに語り始めた。


『私はまだ死んではいない。それは確かよ』

「――っ、じゃあ、どうして……」


 歓喜がせりあがり、一緒に疑問がわく。だが、当のメリーは、『私にも分からないのよ』と、肩をすくめた。


『もしなしなくても、これって幽体離脱って奴なのかもね。魂がコロッと出てきちゃうくらい、今の私は不安定な状態……なのかも』

「……冗談きついよ」

『でも、他に説明できる?』


 それに対して、僕は黙りこむより他になかった。

 重苦しい無言の空気が部屋を支配する。

 こうしてまた話せたのは嬉しい。だが、この在り方は素直に喜ぶべきものではないから、僕らはどう反応すればいいか分からなかった。


『……ねぇ。辰。これから、貴方はどうするの?』


 やることもなく、僕がソファーに座り、メリーがその傍らに浮くだけという奇妙な沈黙が生まれて、数分後。口火を切ったのはメリーの方だった。

 僕がノロノロと顔を上げれば、彼女と目が合う。

 心なしか瞳や肌。髪の色合いが薄く感じるのは、彼女が今、実体を持ち合わせていないからだろうか。


「……わからない。正直ね。今何が起きているのか、そもそも正確に理解しきれていないんだ」


 僕がそういえば、メリーは少しだけ迷うような素振りを見せた。

 どうしたの? そう聞こうと思って、止めた。彼女が言いあぐねているものの正体に、心当たりがあったからだ。


「あれだったんだね。占いの内容は。君が殺される。いや、偽メリーの話では成人を迎える前に、死ぬ。だっけ?」

『……っ』


 苦しげに唸るメリーに、都合悪い事なら頷かなくてもいい。と念を押しながら、僕は言葉を選んでいく。彼女に語るなという約束なら、僕が推測するのはセーフの筈。

 どこまでが禁忌かわからない。だからもう、今は手探りで問うしかなかった。


「あの偽メリーの正体やらを暴かなきゃ、未来はないらしい。ところが僕は、彼女について何も知らないんだ。漠然と何かが起きていたとしかわからない」


 彼女は、怪奇や怪異の類いだとコウトは言っていた。ならば、それの雛型。所謂アーキタイプというべきものがある筈。


 渋谷のホテルにいたセラならば、悪霊。

 D校舎にいたものは、架空神話生物。あるいは地球外生命体。

 霧手浦は、怪談。

 裏ディズニーならば神隠し。

 お正月はただの幽霊が起こした一騒動。

 故郷にいた魔子ならば悪魔。


 他にも妖怪なら女郎蜘蛛や、よく行くラーメン屋さんの狸さん。

 都市伝説なら人面犬に口裂け女など。

 ありとあらゆる怪奇や怪異には、正体や由来が必ず存在する。


 それは、あの偽メリーも例外ではない筈だ。

 僕が期待を込めてメリーを見れば、彼女は暫く考えて。やがて絞り出すようにその名を告げた。


『ドッペルゲンガー』


 か細い声は確かにそう言った。


『彼女自身がそう言っていたわ。それに、私の幻視でも、その名前を聞いた。だから……間違いないわ。目的は私を殺すこと……なんだと思う。理由は、喋ってはいたけど、意味を理解できなかったから』

「……理解できなかったって、動機が?」


 僕がそう聞き返せば、メリーはコクンと頷いた。


『私が、都市伝説のメリーを語るから。彼女はそう言っていたわ』




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