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渡リ烏のオカルト日誌  作者: 黒木京也
第八章 ドッペルゲンガーと蜃気楼
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烏が飛び立つ夜

 全てが、真っ暗だった。

 身体を蝕んでいた痛みなど忘れて、血を流し、痙攣しながら徐々に体温を失っていく相棒に駆け寄り、僕は震えながらその身体を抱き寄せる。

 どうすればいい。このままじゃ、彼女は……。

 そんなあまりにも想像しがたく、受け入れられぬ現実に、僕の頭は完全に停止しかけて……。


『止血だ! 何でもいい! 布で押さえろ!』


 背後から、鋭い声がする。コウトが走ってこちらに向かってきている。

 今まで何処に……! そう言いかけて、僕はすぐにコートと上着を脱ぐ。上着の方を彼女の傷口に。もっと清潔な布があればと思うが今はもう、こうするしかなかった。


「め……り……、メリー……。メリー……!」


 返事をしてくれ。身体中を血に染めながら、僕は祈るように彼女に呼び掛ける。返事はない。彼女の顔はいつもにまして真っ白で、幽霊を思わせた。


『誰かぁ! 通り魔だ! 通り魔がいる! 人が刺された!』


 その時だ。コウトの轟くような大声が、路上で響く。『助けて! ヒィィイ!』と、狂ったように大騒ぎするコウトを、僕は……そして、何故か偽メリーも唖然とした顔で見つめていた。

 そこで変化はすぐに起きた。ざわざわと、さっきまで静かだった路地に、少しだけ人の気配がし始めた。

 それを明確に感じ取ったのか、偽メリーはあからさまに舌打ちした。


『……力一杯刺したわ。生きるか死ぬかは五分五分かしら? それにしても……』


 偽メリーはそこから目線をずらし、真っ直ぐにコウトへと顔を向ける。青紫の瞳が鋭くコウトを睨み付け、ワナワナと唇が震え始めた。


『悪い夢でも、見てるのかしら?』

『生憎と、現実です。私もまた、ずっとここにいたんですよ。貴女が悪魔を取り逃がした夜からね』

『……っ! そう、そういうことだったの……!』


 コウトが飄々と言葉を紡ぐたびに、偽メリーの表情は警戒するように強張っていく。その様は、どこか怯えているようにも感じられた。


『何故……』

『本気で言ってるのですか? 気づいて、いないのですか?』

『……止めてくれない? 嫌だわ。もうこの場はいいの。次の機会に……』

『……もう一度聞きます。本気ですか?』

『その言い方、本当に止めて。私は……! 私は……!』

『生憎とそうもいかないのです。こちらにも色々と、代償というか、制約はありましてね。だから、こんな歪んだ形とはいえ、また出会えた記念に言葉を送りましょう』


 貴女の〝相棒〟なら、初めて逢った時を思い出す。とでも言うのでしょうね。コウトはそう呟きながら上を向き。


『ファーストコンタクトの物語で関連づけるとしたら……〝君を確実に頓挫させることが出来るならば、他ならぬ君の未来の為に僕は喜んで代償を受け入れよう〟……等、いかがでしょうか?』

『……酷いパロディだわ。〝今日この日の出来事で、ただひとつ重要だったのは、何事も起きないで欲しかったということ〟……それだけよ。それだけだったのに……!』


 謎めいたやりとりが終わりを迎えたかと思えば、二人は暫くの間見つめあっていた。だが、軈て偽メリーの方がゆっくりと此方に歩み寄ってきた。そこへコウトが割って入る。

 更に近づく形で対峙した二人は、剣呑に睨み合っていた。


『まだ、確実じゃなさそうね。殺さなきゃ』

『させると思いますか?』

『アナタに何が出来るのよ』

『私と貴女では、ただの平行線。いえ、最終的には私では確実に及ばなくなるでしょう。なので……』


 残りはこの二人にお任せすることにします。

 コウトはそう言うなり、まるで稲妻のように素早く踏み込んで、偽メリーを羽交い締めにした。


『なっ……こ、の……!』

『辰君。よく聞いてください。彼女は……〝怪奇〟です。今まで君達が対峙していたのと、同じ! 怪奇の弱点は、今更説明するまでもないでしょう?』


 コウトの顎に、偽メリーの後頭部がぶちかまされる。『うぐっ!』と、苦しげに呻きながらも、コウトは偽メリーを決して離さなかった。


『彼も、彼女も、私に手も足も出なかったわ!』

『然りです。ですが、そんな何も知らない二人が、貴女の正体にたどり着いたら? 本当の目的を暴いたら? 貴女を屈服させたら?』


 コウトの言わんとしていることが、少しずつ見えてくる。

 正面からでは絶対に敵わない。だから、搦め手を使えと言っているのだ。それが、怪奇の弱点に繋がるから。


『……出来る筈がないわ。そもそも、アナタが……』

『私は何も語ってはいません。ただ今日この日、彼の相棒が貴女に襲われるのを占っただけ。疑うならば、貴女のその素敵な脳細胞と視神経で覗いてみるといい』

『戯れ言を……!』

『おや。怖くなりましたか? 自身の化けの皮が剥がされるのが』


 コウトの挑発に、偽メリーの表情が一瞬で虚無なものになる。氷のような冷たい相貌に僕がただ戦慄していると、偽メリーは肩を震わせて、軈て盛大に高笑いし始めた。


『いいわ。どうせそこの女が死ぬまでの暇潰しよ。……お遊戯に乗ってあげるわ。もっとも、そこのヘタレが辿り着けるとは到底思えない。そもそも……!』


 連続で三発。コウトの顎に頭突きし、更に両踵でガシガシと脛を蹴られて、ついにコウトは崩れ落ちた。偽メリーはそれを少しだけ悲しげに眺めてから、すぐにニタリ。と、邪悪な顔で僕と意識を失ったメリーに微笑みかけ、再び包丁を振り上げた。


『この絶望的な状況を何とかしてからに……』

『お願いです! 私と彼女を、誰の邪魔も入らない場所へと!』


 そこで再び、コウトの叫びがこだました。

 刹那――パキリという音がして、大気が震え始める。まるで台風の前触れのようなそれが僕らの周りを満たした時、偽メリーは信じられないものを見るようにして、コウトを睨み付けた。


『アナタ……まさか……』

『言った筈です。代償を受け入れよう。と……』


 ヨロヨロと起き上がりつつ、コウトはそこで初めて僕を視界に収めた。


『七日……粘ります。それまでに、正体を……』

「コウ、ト……」


 喉裏にひりつくような痛みが走る。

 待ってくれ。

 そう叫びたかったが、大半の力はメリーの止血に回していた。生暖かい血が、手や身体をねっとりと覆いつくしていく。

 頭がパンクしそうな量の情報や状況に僕が無意識に奥歯を食いしばれば、コウトはまるで微笑むかのように肩をすくめた。


『大丈夫。きっとやれます。寧ろね。これは君達でなければいけないのです。今この時を生きている君達に……!』


 陽炎が立ち込めるように、周囲の風景が歪んでいく。偽メリーも、コウトも、その場から動かなかった。

 いや、動けなかった。

 そこに現れた捻れは、まるでブラックホールのように、怪奇たる偽メリーと、コウトを引き込んでいく。言葉はもう交わせまい。そう悟ったのか、コウトは最後に一つだけ。と、指を立て……。


『〝全ての不可能を消去して、最後に残ったものが如何に奇妙なことであっても、それが真実となる〟……約束を忘れないで。私の事を、人に話してはいけませんよ。この世では不確かなものとして扱うんです』

「……え?」


 真意は何も見えぬまま、二人は消えてしまった。

 残された僕には、何も分からず。そして……。


「なんだなんだ?」

「――っ、人だ! 人が倒れてるぞ!」

「き、救急車! 救急車ぁ!」

「刃物だ! 刃物をもった女がさっきいたぞ!」


 ざわめきと共に人が集まっていく。その中で僕は、メリーの傷口から手を話さぬまま、寄ってきた男性に救急車の要請を依頼する。

 機械的に動けたのは、その時僕の心が凍りついていたからだろう。今までにない程に己の無力を痛感しながら、僕は最後まで、思考が纏まることはなかった。


 ふざけるなと叫びたい。それくらいに訳の分からないことが、あまりにも多すぎたのである。



 ※


 メリーはそのまま病院に運ばれた。医者の話を僕が聞ける筈もなく。ただ病院にて座って待つしか出来ない僕は、その後警察に引きずられ、事情聴取を受けた。内容自体は、殆んど覚えていない。ただ、質問に淡々と答えていたと思う。

 メリーと夕方までは一緒だったこと。何も言わずに帰ってしまい、なんだか様子がおかしかったので、様子を見に行ったこと。

 コウトの事は、律儀に言いつけを守り、一人でメリーの部屋に向かったとした。

 その後、メリーにそっくりな女性が包丁を持って追いかけてきて、僕らは必死に逃げたが、逃げ切れなかった……。相手に心当たりは全くない。


 僕が話したのは、それだけだ。

 でっぷり太った刑事が僕から事情を聞き。対照的にスーツをカッチリ着込んだ、精悍な顔立ちの刑事がひたすら後ろで僕を観察していた。

 取調室には、何度か他の刑事が情報らしきものを伝えに訪れていたのだが、当然というべきか、僕の耳にそれは入ってこない。

 仕方なく別の刑事が来る度にメリーの安否を聞くのだが、誰一人教えてはくれなかった。なかなか心を抉られたのは言うまでもない。

 神経を揺さぶろうとする質問にも、少し威圧を交えた睨みにも大して動じはしなかったけど。かれこれ四時間以上は拘束されていた中でメリーの無事が確認できない。その一点だけが最後まで僕をざわつかせ続けていた。


 そこから更に経った辺り。何番目かの刑事さんが現れて、部屋の刑事にボソボソと囁けば、やがて一人を除く全員が落胆したようにため息をつく。精悍な刑事さんだけが、安堵した優しい表情で僕を見ていたのが印象的だった。

 それでも僕が微妙に苛立っていたのには変わりない。自己完結やめてくれませんか。なんて文句を言いかけた辺りで、僕は解放されて。結局、このモヤモヤは行き場を失った。


「……ごく一部税金泥棒め」


 全否定はしたくなくて、そんな中途半端な悪態が漏れる。

 ついでに身一つだったので、当然シャツとズボンは血塗れだ。取り調べに来た時は流石に乾いていて、斬新な模様みたいになっていたとはいえ、まさか放置されるとは思わなかった。

 無事だったコートである程度は隠せるとはいえ、こんな状態で外を歩くのは絶対に危ないだろう。

 ヘタしたら通報されてここへとんぼ返りだ。とはいえ……。


「……服屋、閉まってるし。どうしよう」


 裏口から外に出されたが、空は見事に真っ暗だった。

 世界で僕だけが取り残されたかのような錯覚。そんなものに陥った時、僕は自嘲するように笑うしかなかった。


 今は紛れもなく一人じゃないか。


 目の前が真っ暗だ。

 メリーは? 今どうなってる? 大丈夫なのか?

 偽メリーとコウトは? 正体を掴め? バカを言うな。殆んどノーヒントで、どうしろというのか。

 弱点は分かる。怪奇ならば。だが、その弱点を引きずり出す要素が何一つない。せめて偽メリーの概念さえ分かれば少しは糸口は掴めるというのに。


 ガチガチと、歯が打ち鳴らされる。悪夢が何度もフラッシュバックする。倒れたメリー。生暖かい血。偽メリーの笑い声。

 こんな状態でまともに考えるなんて……。


「おう、よかった。まだいたか」


 後ろから、男の声。

 驚いて振り向けば、そこには事情聴取で後ろに控えていた、精悍な刑事さんが男臭い笑みを浮かべながら立っていた。


「ほらよ。やる。俺の予備の着替えで悪いがな」


 投げ渡されたのはワイシャツとズボン。難なくそれをキャッチした僕は、ノロノロと刑事さんと着替えを見比べた。


「……これ、スーツのじゃないですか。ポンと渡すには値が張りすぎでは?」

「精神的に明らかに追い詰められてる奴を、被害者の肉親じゃないって理由だけでここまで拘束したんだ。まだ釣りが来るだろうよ」


 悪かった。出来るならもっと早く解放してやりたかった。と、刑事さんは頭を下げた。


「監視カメラを洗うのに時間がかかったらしくてな。ちゃんとお前さんが友人を守ろうとしていたのもバッチリ映っていた」

「……ああ、だから」

「現場の証言がバラバラすぎたんだ。包丁を持った女がいた。お前さんたち二人しかいなかった。騒いでた奴が見当たらない。色々とチグハグ過ぎたから、お前さんを不当に拘束していなければならなかった」


 苦々しく。あのクソ上司が聴取してなけりゃあな。と、呟きながら、刑事さんはため息をついた。何となく、歯を剥き出した狼を思わせた。


「……カメラなんかに、映っていたんですね」

「ああ。お前さん達と、被疑者の女がな。他は……〝映っていなかった〟」


 顔に出さないようにするのに、非常に苦労した。

 今この刑事さん、は何と言った? 他は映っていない? ……そんなまさか。コウトはあんなに動いてくれていたのに。

 いや、おかしいのはもう一つ。偽メリーは、所々姿を消していた。だというのに、カメラにはあの攻防がしっかりと映っていた? 一体何故……。

 これ以上謎を増やしてくれるな。そう嘆きたくなって頭を抱えている姿を、刑事さんはどう捉えたのか。

 まるで子どもを元気付けるように、僕の肩を軽く叩いた。


「……今日は、真っ直ぐ家に帰れ。ゆっくり休んで、後は祈っとけ。お前さんの友人は、まだ死んじゃいない」


 かけられた言葉をゆっくり噛み砕き、僕は物凄い勢いで顔を上げた。

 それは、僕がずっと気掛かりだった事柄だった。


「メリー……、生きて……」

「まだ予断は許さん状態らしいがな。昏睡が続いていると聞いた。……だから、今はまずお前さんが休め。俺が言えるのはそれだけだ」


 ほんの一筋だけ、光が見えた。

 震え、凍えかけた身体に、少しだけ暖かさが戻ってくる。

 僕は静かに息を吐き。拳を握り締めた。

 我ながら単純だ。メリーが死んでない。それだけでこんなにも、気力が沸いてくるのだから。

 そんな僕の様子を見た刑事さんは、口笛を吹きつつ、もう一度。今度はグーで軽く僕を叩く。


「男の顔になってるとこ悪いがな。犯人追おうとはしてくれるなよ? それは俺達の役目だ」

「……ええ、わかってますよ」


 追いませんよ。調べるだけです。

 心の中で、そう呟いた。


 相手は怪奇。警察では捕らえられまい。事は既に日常から離れていて。それを無視するには、あまりにも僕らにとって重大過ぎた。

 これを放置したままなど『渡リ烏倶楽部』ではない。

 今こそ動くときなのだ。


 活動内容は正体不明の怪奇、偽メリー。その本質の探索。そして……。


「ちゃんと、今度は守ってみせます。うだうだ考えるのは止めます。〝過ぎ去った不幸を嘆くのは、すぐにまた新しい不幸を招くもと〟ですから」


 メリーを。僕の大切な人を何としても守りきる。その二つ。

 だから今はただ、信じようと思う。彼女も今きっと、自分の運命と戦っているに違いない。

 離れていたって背中を預け合うのが相棒だ。


 譲り受けた服に袖を通し、上にコートを羽織る。

 先ずは、部屋に行こう。

 全力で休み。全力で頭を回すべく。僕は夜の帳へと踏み入った。

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