占い師の弟子
「……これは、〝件〟ですね」
古紙とお香の匂いが満ちる店内にて、ギシリ。ギシリと、木製の家具が軋む音が響く。
バイト先の暗夜空洞は、今日も閑古鳥が鳴くようなガラガラぶりだったが、当の店主――、深雪さんは大して気にした様子もなく。お気に入りのロッキングチェアに深く腰掛けたまま、僕が手渡したものをそう称した。
「くだんって……あの、件ですか?」
胎児のように身体を丸めた獣に、獣耳と角を生やした人間の頭。部屋に突然置かれた、青銅製の置物をもう一度見つめ直しつつ、僕は確認の意味も込めて、深雪さんに問い掛けると、「はい。その件です」と、簡単な返事が返って来た。
「辰ちゃんなら、すぐ気づきそうなものだけど……?」
「いや、いきなり部屋に置かれてたら、そんな冷静な分析出来ませんって」
概要自体は知っている。だが、いざこうして彫刻のような形で目の前に現れても、すぐにその答えを手繰り寄せられるか。と言われたら、首を傾げざるを得まい。
これが金剛力士像だったり、尻尾が九本ある狐だったりと、メジャーな所だったならば、また話は違ったのだろうけど。
「もしかして……ただ何を象っているかを聞きたいだけだったり?」
「ご名答です。正直、彫刻はさっぱりなんで価値はわかりませんが、それ自体には霊的なものは何もないと思います」
「やっぱりですか……なーんだ、つまんない」
「ぷぅ~」と、不満気に頬を膨らませながら、深雪さんはヒョイと、僕の手に青銅の件を突き返す。
一応霊が絡む絡まないにしろ、骨董品が大好きな深雪さんの心を掴むものでなかった辺り、コレ自体の値打ちも大したことはなさそうだ。
「ただ、その割りにはコレ……動くんですよ」
「……そこ詳しく」
一瞬で深雪さんの纏う空気が変質し、うずうずとした気配が伝わってくる。カーテンのような前髪から、翡翠を思わせる瞳がギラギラとした輝きを帯びて、僕を見つめていた。噺に飢えた目は、結構な迫力があるのだがそこには触れず。僕は昨夜起きた怪現象の概要を〝あの後にあったこと〟も含めて簡単に説明した。
「一応、その背後から囁きがあった後も数回。変なことは起きまして」
起きたら枕元に。
朝食を摂ろうとしたら、向かいのテーブルに。
そして、今日、『暗夜空洞』へ出掛けようと玄関で靴を履いていたら、その背後に。
いずれも、不思議な気配が現れては消えるという現象と一緒に、この件は動いていた。まるで僕にその存在を主張するかのように。あるいは、調べろ。とでも言っているのか。
僕が話し終わると、深雪さんはおもむろに愛用する長煙管をカウンターの引き出しから引っ張りだし、香炉を思わせる煙管盆を、自分の方へ引き寄せた。
刻み煙草を火皿に入れて、口にくわえると、そのままマッチを擦り、遠火でゆっくり着火する。
ゆっくり。味わうように紫煙を燻らせる姿はハッとするような妖艶さがあって。でもやっぱり、古書店でやることではないと言いたかった。
「辰ちゃんは細かいですねぇ」
「……顔に出てました?」
「なんとなーく、そんな空気がね」
それでもしっかり三度煙を楽しんでから、深雪さんは火皿を優しくひっくり返し、灰を落とす。
一服を終えたあと、彼女はいつものニタリとした不気味な笑みを浮かべた。
「物を動かす霊といえば、ポルターガイストだけど、それにしては、随分とやることが可愛らしいのね。置いてるのは由来的に凶悪だけど」
「ポルターガイスト……ですか?」
「勿論、辰ちゃんもうすうす気づいている通り、そんな生易しいものではなさそうだけど、ね」
そう言いながら、深雪さんは目と頭を順番に指さして、首をコテンと可愛らしく傾げた。君の相棒はどう言ってたの? そんな空気を察して、僕は思わず肩を竦める。
「彼女は……今、その。それどころじゃなくて」
「あら、珍しい。喧嘩してるの?」
「いえ、そういう訳じゃ」
何と言ったらいいものか。僕が困ったように頬を掻いていると、深雪さんは何故か目を輝かせ、話して。話して。と、此方に合図を送ってくる。少しだけ、考えた。今は袋小路に近い状態ではあるし、何よりこの問題を自分の中だけで解決に導くのは、危険かもしれない。
深雪さんの方へ向き直る。淡い水色のタートルネックに、ダークメイビーのロングスカート。肩には緑を基調としたチェックストール。艶やかな黒髪は、薄ぼんやりした店内ですら光沢を放ち、それに相反した血管が透けて見えそうな位な白い肌を映えさせる。見た目は清楚で上品なお姉さんだ。……あくまで見た目は。
こう見えて結構な快楽主義者で、自分の中での面白いことを優先するわ、変な品物の購入に大金をはたいた挙げ句「今月おけらだから仕事の代わりにご飯作ってください~」なんて要求するわ。僕らのサークル活動の話をシリーズものの小説を購入するかのようにあの手この手で聞き出そうとするわ。破天荒な面はそれなりにある。
それでも……。
「実は……ある占い師に逢いまして」
出会って一年と少し。メリーと数ヵ月違うだけの付き合いであり、相棒に比べたら重ねた時間は断然少ないけれど、僕は深雪さんのそんなフワフワした生き様も含めて嫌いではなかった。
僕らの事情をそれなりに知った、数少ない年上の人物。相談相手としては打ってつけだろう。
いつものように言葉を紡ぐ。深雪さんはそんな僕の話を口元を綻ばせながら、黙って聞いてくれた。
ロッキングチェアが何度目かの往復を果たした頃。僕は起きた出来事を全て話し終えた。
「……成る程。明らかに本物な幽霊の占い師、そしてまだ見ぬ弟子ですか」
深雪さんは口元に両手を持ってきて、静かに物思いに耽っている。だが、やがて「うん」と、小さく頷いて、珍しく真剣な表情で此方に顔を向けた。
「……辰ちゃん。事は結構重大かもしれません」
「やっぱり、ですか?」
「はい。占い師について聞いたら確信が持てました。辰ちゃん。多分今、貴方かメリーちゃんのどちらかに、とてつもなく不吉なものが近づいているのかも」
「……メリーだけでなく、僕に?」
思わず聞き返せば、深雪さんは静かに頷いた。
「まず、辰ちゃんでも捉えられない霊的な何か。メリーちゃんと比べたら負けるとはいえ、辰ちゃんも結構な霊感を持ち合わせてるわ。それが近くに来なければ気づけないばかりか、視認すら出来ないなんて、相当強い霊の筈よ」
「ポルターガイストなんて生易しいものではない。まさしくそのままの意味ですよね」
僕が少しだけ身震いすれば、深雪さんは「それだけじゃないわ」と、付け加える。
「そんな存在が、これ見よがしに件なんてものを辰ちゃんにちらつかせる。時に……辰ちゃん。件はについては、ちゃんとご存じ?」
「……人の顔を持った牛の赤ちゃん。産まれてすぐに予言を下し、その予言は外れない」
ある知識を引っ張り出して僕が答えると、深雪さんはノンノン。と、指を振る。
「七十点ね。逆な時もあるのよ。牛の顔で身体が人だったり。そして、予言を口にした後、すぐに息絶える。だからかしらね。まるで早死にの鬱憤を晴らすべくかのように、その予言は避けようもない大災害だったり、不吉な要素を含む事が多い」
「不吉な、予言……」
「取り乱し、情緒不安定になったメリーちゃん。その後、辰ちゃんの元に現れた件の置物。私はね。これが偶然とは思えないわ。メリーちゃんもだけど、辰ちゃん。貴方も用心して」
祈るように手を組み、深雪さんは項垂れる。
僕はぼんやりと、件の置物を見つめていた。
不吉な、予言。それが僕に下されるとして。だとしたら、一体誰が……? 考えられるのは……。
※
部屋に帰る時。僕は迷いつつも、件の置物を一日だけ深雪さんに預けた。ゴミ捨て場なり、どこかに置いてきた呪いのアイテムが、部屋に戻ってくるといったベターな話。ものは試しで、それを実行したのだ。
これは深雪さんの提案でもある。この見た目は何の力も感じない青銅の彫刻にその話は適用されるのか。よしんば何かがこの置物を取りに来たなら、深雪さんが気づけるかもしれない。そんな狙いがあった。
巻き込むのは気が進まなかったが、最終的には深雪さんに言いくるめられ、僕はその計画に賛同した。
「予言を口走るかもしれませんから、一応傍に置いておきますね。私と辰ちゃんの子どもだと思って、大切に大切に。あ、今夜二人目いっちゃいます?」
「嫌です」
といった言葉のドッジボールを交わし、僕は『暗夜空洞』を後にした。
一応道中は特に何もないまま、部屋には辿り着く。だが、それは半ば予想できていた。
「問題は……ここから」
部屋の鍵を通す際に、神経を研ぎ澄ます。自分の部屋に入るだけだというのに、過去にここまで気合いを入れた事があっただろうか。そう思いながら扉を開ければ……。
リビングに、明かりが灯っていた。
「……っ!」
心臓が、バクン! と、高鳴った。
出たのは昼間。当然部屋の電気は消して行った筈。
空き巣が入った? 鍵を落とした事はない。そもそも僕の部屋はピッキングが難しい、カードキー式だし、マンションの玄関はオートロックだ。空き巣が入るには、些かハードルが高いと思う。
鍵の閉め忘れもない。最低二回は施錠のチェックをしてから僕は出掛ける。これを欠かしたことはない。電気やガスも同様だ。
なら……他の要素は?
例えばそう。さっき深雪さんと話題になった、強い霊の存在ならば。昨日僕を散々悩ませたのだ。侵入なんてお手のものだろう。
無意識に、拳を握る。
逃げるか。否か。考えるまでもなく、僕はゆっくりと玄関に足を踏み入れた。
そこにいるならば、鍵の音で気づかれているだろう。
どのみちいずれ遭遇するだろうと、何となく思っていた。それが早まっただけのこと。
頭のてっぺんから爪先まで、震えさせながら、僕は勇気を振り絞った。
気配がある。人ではない、何か。
間違いなく……いる。
リビングに到着した。
同時に素早く辺りを見渡すが、そこには誰もいない。
もしやと思い、あの青銅の件を探すが、それの影や形もなし。
ただ電気がついているだけの、不自然なリビングだった。
「……っ」
声を出すか、迷う。いるなら出て来て欲しいのに。
心臓が早鐘を打つ胸元を抑えながら、僕はリビングの中心に歩みを進め……。
テーブルの上に、メモ用紙が置かれているのに気がついた。
読め。そういうことだろうか。
ゆっくりそれを拾い上げる。新聞の文字を切り抜いて張り付けた、怪盗ものの犯行予告を連想する手紙にはたった三行。
『おかえりなさい。
口を閉じて、悲鳴が漏れないようにして。
後ろを振り向いてください』
ギシリ。と、床を踏む音が背後からする。
身体が強張り、一瞬言うとおりにするか迷うが、僕は手紙に従い口を抑えて。ゆっくりと後ろを見て……。
「――っ!!」
さっきよりも強烈に僕は身体を跳ね上げた。
そこには確かに、悲鳴を上げたくなるような存在がいたのだ。
初めに目に入ったのは、パーティ用品店で売っていそうな、被るタイプのキャラメル色をした牛のリアルマスク。
膝裏まで届こうかという黒いポンチョ。その下には、上等そうなワインレッドのパンツスーツに、牛革の靴。
子どもに限らず夜道で出会ったら大人でも泣いて逃げ出せる程に怪しい何かが、リビングの入り口に佇んでいた。
声が出ず、僕その場に縫い付けられたかのように動けなかった。
それを見た牛人間……? は、満足げに頷いて。
静かに僕の傍に歩み寄り、再び手紙を差し出した。
震える手でそれを受け取ると、そこにはこう書かれていた。
『まずは自己紹介を。私は〝コウト〟件のコウト。路地裏の母の弟子で……貴方を占いに来ました』
僕が思わず目を白黒させながら、手紙と牛人間……コウトを見比べていると、コウトはペコリとお辞儀して。
『……星見多恵子。師は貴方に、そう名乗った筈』
男とも女ともつかぬ声で、鍵となる名前を口にした。




