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渡リ烏のオカルト日誌  作者: 黒木京也
第七章 牛人の占い師
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邂逅と死の刹那

 何かに取り憑かれたかのように部屋を出て、私はそのまま最寄り駅へ走る。

 スーツ姿のまま陰鬱な表情を浮かべ、ノロノロと進むサラリーマンを追い越して。

 小さな手提げ鞄でチャンバラをしながら走る小学生二人組とすれ違い。

 駅前でシルバーカーを傍らに小休憩と洒落込んでいる老人を横目に、私は自動改札のゲートを潜る。

 荘厳な音を立ててゆっくりとスライドするエスカレーターの速度すら今はもどかしく、私はせかせかと脚を動かし、駅のホームへとかけ上がる。

 通勤ラッシュのギリギリ手前。多分あと五分か十分も経てば、ここは人混みでごった返すことだろう。

 こんな気分の中で満員電車に揺られずに済んだのは、今の私に残された、唯一の救いに思えた。


 機械的なアナウンスがホームに響く。同時に、唸るような鳴動と共に、電車が到着する。

 緩やかなカーブを描きながら此方へと向かってくる様が、どうにも蛇か芋虫か。はたまた引きずり出される(はらわた)にも見えてしまい、落ち着かない。私の気が立っているから……。そう思うことにした。


 九月の半ばだが、残暑を意識したのだろう。車内は弱く冷房が効いていた。

 微妙に薄手のワンピースで出てしまったのを少しだけ後悔する。こんな事なら、ストールの一つくらいは羽織ってくるべきだったか。


 顔をしかめながらも、私は適当に空いているシートへ腰掛ける。一駅、二駅。レールを道なりに進む電車に揺られながら、私は徐々に目覚めていく街の脈動を感じていた。

 人が増えていく。

 一定の駅で、大規模に入れ替わる。

 最後に込み合って、温度や湿度が跳ね上がり。

 再び急激に人々が降りていき、新鮮な空気が車内に満ちる。


「……まるで、血管の中みたい」


 赤血球、白血球。後は血小板くらいしか知らないけど。

 毎日行っては帰り。真新しさと古いものをない交ぜにして、循環する。そこまで考えて、いや、違うか。と、バカみたいな自分の考えを否定する。

 どうにも、マイナスな方向へ引っ張られていた。

 今は、昨日起きた有り得ないことを整理するべきだろう。


 彼女は、ミイラ化した状態で発見された。

 昨日私達と別れた後に死亡したとして、一晩でそんな状態になることはあり得ない。

 そうなれば、考えられるのは、一つ。昨日出会った彼女は偽物だった。

 二つ。そもそもニュースで観た女性の死体が、彼女とは別人。

 三つ。彼女が本物なら。私達が占いを受けた彼女は、あの時点でこの世にいなかったのなら……。


 彼処にいた路地裏の母は、幽霊の状態で、本人が語る通り、魂を削りながら他者を占っていた……。

 そういうことにならないだろうか。


「……ああ、酷いわ」


 思わずそんな独白が漏れる。どれが一番信憑性があるか。だなんて、私の感覚で明らかだった。

 路地裏の母。昨日遭遇したあれが誰かの語る紛い物とは思えないし、たまたま占い師らしき人が死んだなんて、仕組まれたかのようなニュースが、このタイミングで私の元にくる筈がない。

 それに、彼女だって言っていた。


『健常な肉体があるのならともかく、あたしみたいな身にはただの毒さね』


 あの言葉はまさしく、そのままの意味だったのだ。

 自分にはもう、肉体がない……と。私が気づけなかったのは、自身への死の宣告に動揺していたからか。はたまた、そういった感覚を逃れうる程、路地裏の母の霊体としての力が弱っていってしまったからか。

 真偽の程は分からない。

 ただ……これはもう兆しであるとしか言いようがなかった。

 すなわち……。



『……あら。あらあらあら。貴女一人なの?』


 吉祥寺にたどり着き。昨夜の路地裏へと踏み込んだ私は、そこで――死神に出逢った。


 どうしてそんな物騒な単語が自然に出て来たか。もしそう問い掛けられたとしたら、私は自分のことなのに、答えに窮する事だろう。

 ただ疑いようがないのは、そこにいたのは、間違いなく非日常(オカルト)たる存在で。そして私は不思議な事に悟ってしまったのだ。


『……素敵ね。ようやく……ようやく見つけたわ……私の偽物さん』

 

 他でもない。私はきっと……〝私に〟殺されるのだ。

 彼女を一目見た時、漠然とながら、その事実が私の脳細胞と視神経に刻まれたかのようだった。


『ワタシ、メリーさん。今……貴女の目の前にいるの』


 言葉が、出なかった。

 肩ほどまでのフワフワした亜麻色のセミロング。

 確かに私のクローゼットに入っている筈の、白を基調としたゴシックワンピース。

 ビスクドールみたいだとよく言われた、この国では白すぎる肌。

 彼に……とっても綺麗だと褒めて貰えた。それまでは大っ嫌いだった、人間離れした青紫の瞳。


 そこにいたのは……間違いなく〝私〟だったのだ。


『……〝死は人生の終末ではなく 生涯の完成である〟私はね。最近はこの言葉がお気に入りなの』


 芝居がかった口調で、〝私〟が此方へゆっくりと歩いてくる。

 無言で後ずさりすれば、少しだけムッとした顔になった。ああ、可笑しな話だが、我が顔ながら本当に、なんて人間味がないことか。まるで昆虫か何かではないか。


『どうしたの? 分かるでしょう? 索引して、言い返して御覧なさいな』


 冷え冷えとした声で私を睨む〝私〟は、私が答える余裕がないと見てとったのか、心底愉快そうに唇を歪めた。


『安心しなさい。今すぐには貰わない。今はまだ、その時じゃあないの』


 静かに。と言うかのように、〝私〟は唇に人差し指を当てて、小さくウインクした。


『ドッペルゲンガーは、執行猶予を与えるの。貴女はそう……知っているでしょう? もうすぐ、死ぬ』

「……貴女の、手で?」

『ええ、そうよ』


 意味が分からない。


「どうして、そうなるの?」

『貴女が、私を語るからよ』

「メリーさんの電話の事? あれがどう関係するって言うの?」

『大有りだわ。私にとってはね』

「まさか、本物のメリーさんだ。なんて、言うつもりじゃないでしょうね?」

『あら、察しがいいじゃない』


 その通りよ。

 あまりにも理不尽な宣言内容に、私はただ開いた口が塞がらない。

 なんだそれは。無茶苦茶だ。そんな意味の分からないものに、私は殺されるというのか。

 よほど青ざめた顔をしていたのだろうか。〝私〟はそれを心底愉快だと言うかのようにねめつけて、静かにその場で踵を返す。


『死に逝く貴女に、予言するわ。これは運命よ。どうやっても覆らない。〝私が生まれるということは不条理である。私が死ぬということも不条理である〟貴女はまさに、この言葉と共にある。私が本物になるのが、貴女の定めよ』

「……っ、ふざけ……!」

『ふざけてなんかいないわ。貴女がいるから……ワタシが生まれたのよ。……ああ、そろそろね。お暇させて頂くわ。路地裏の母の言葉を借りるなら、時間を無駄にしないことね』


 くるくる。クルクルとまるでマリオネットのように妖しげなワルツを躍りながら、〝私〟が路地裏に消えていく。

 残された私は追うことも出来ず。動くことも出来ず。


「……メリー?」


 どれくらい時間が経ったのだろうか。後に聞いたことによると、私と同じようにニュースを観て現地に現れた辰に声をかけられるまで、私はその場で糸が切れたかのように座り込んだままだった。

 頬を伝う涙も拭わぬまま。私は〝私〟自身に向けられた、あまりにも冷たく切ない殺意に、ただ恐れおののくより他になかったのである。



 ※



 時間は意外にもそこから一ヶ月と少しは与えられた。

 あれ以来変な夢を見ることもなく。〝私〟の影もなく。

 私は多少の澱みはあれど、彼と共に相変わらず、友達以上恋人未満のままだった。


 気持ちは。想いは。伝えられる筈もなかった。

 仮にもし、万が一両想いになれたとして。それこそ本当に辛くなるから。私も。何より残されるであろう彼が。

 だから私はこのままを選んだ。充分なくらい辛いけど、相棒である事に固執した。

 時々彼が何とももどかしそうな目で此方を見てきたり。

 お泊まりした時、私が眠っていると思っていたのだろう。こっちが泣きたくなるくらい優しく髪を撫でてくれたのは、今も忘れられない。

 寝言で私の名前を呼ばれた日には、感極まってキスの雨でも降らせてやろうかと思った程だ。そこでもヘタレを発揮した私は、結局頬と、腕枕してくれてるそこに唇を落とすに留めてしまったのは、別のお話。


 日を追うごとに想いは募り。そうしてそれがもう耐えきれない所まで来ようかという時だ。


 彼の部屋に遊びに行った、夕方の帰り道。

 マンションのオートロックを潜り抜け、階段を昇り始めた所で……不意に私のスマートフォンが小さく鳴動した。


 開かれた、トークアプリ。

 ディスプレイに表示されたのは、私と似たようなIDネーム。そこには、『MERRY』と記されていた。


『私、メリーさん。今から殺しに行くね』


 それを見た時。私はその場に縫い付けられたかのように動けなくなった。

 スマートフォンが震え啼く。


『私、メリーさん。今……電車に乗ったの』


 周りを見渡す。人の気配はない。

 助けを求める? 誰に?

 話した所で何になる。そもそも、巻き込んでしまうのはダメに決まってる。

 スマートフォンが咽び泣く。


『私、メリーさん。今……貴女の最寄り駅に着いたの』


 つい三十分程前。部屋で私に膝枕したまま、眠ってしまった相棒の顔が思い浮かぶ。

 嫌だ。嫌だ。助けてよ。と、叫びたかった。

 だが、その一方で、路地裏の母が語った約束が、私を締め付ける。死より辛いことがくる。

 それを私は、自覚したばかりだった。

 スマートフォンが喚き鳴く。


『私、メリーさん。今……貴女のお気に入りな公園にいるの』


 死が、近づいてくる。

 彼に逢いたい。せめて、顔が見たい。声が聞きたいよ。

 そんな願いも虚しくスマートフォンが喘ぎ哭く。


『私、メリーさん。今……貴女のマンションの前にいるの』


 素早く階段を上り、踊り場にたどり着く。壁を背に私は深呼吸する。後ろなど取られてなるものか。

 殺される位なら、いっそ無様に足掻いてみせよう。

 自分自身の手で、活路を……。


 その瞬間。登録した覚えのない、黒電話のメロディーで。

 スマートフォンが悲鳴を上げた。


 非通知設定での呼び出し音。私はグッと歯を食い縛りながら、応答をタッチする。

 直後。電子音を立てて、下の階で自動ドアが開かれた。

 誰かが、このマンションに入ってきたのだ。


「……もしもし?」

『もしもし? 私、メリーさん。ここで問題と、カミングアウトです。メリーさんは幽霊が視えて。その存在や領域に干渉したり。幻視(ヴィジョン)に近い形で、無差別に観測したり出来るの……今回は、干渉について。ざっくり言えば、私、幽霊に触ったり、ビンタだってやれちゃうんだけど、これってどう思う?』

「――っ、何を……!」


 言い出すんだお前は。

 そんな叫びが喉奥から漏れかけた。だってそれは……。そんな芸当が出来る人を、私は一人しか知らないのに。どうして……。

 だが、私の反論など初めから聞く気はなかったのか、電話の向こう側で、彼女は話し続ける。


『幽霊に触れる。その本質は……瞬間的に。時に断続的に限りなく幽霊に近い存在になる事と同義なの。でなければ、本来は生身の肉体を持つ存在が、肉体を持たない存在とぶつかれる訳がない』

「な、何が言いたいのよ……!」


 背中に冷たい汗が流れ落ちる。

 震えそうになる身体を必死に抑えて、私が絞り出すような声を出せば、受話器の向こう側で『ウフフ。ウフフフフ……』と、不気味な笑い声がして。


『考えてごらん。思い出してごらん。都市伝説のメリーさん。彼女はどうして、マンションの外から部屋に入れたと思う?』


 喜悦と興奮にまみれた声がする。

 それは、スマートフォンのスピーカーからと……。


 確かに。私が背にした、〝壁の中〟から聞こえてきた。










『……ワタシ、メリーさん。今――貴女ノ後ロニ、イルノ』



 これで彼は、ワタシのモノよ。

 そんな囁きを私が耳にした瞬間に――。




「――っ! メリーィイ!!」


 聞き間違える筈もない、相棒の叫びを耳にした。


「……っ!」


 恐怖で固まっていた身体が再稼働する。どうしてここに? と、考えるより先に、気がつけば私の身体は声の方に向かって走り出していた。


『なん、で……!?』


 ありえない。と、背後の気配が困惑した声を出す。離れた壁からは、〝私〟の上半身の一部と片足。包丁を持った右腕が文字通り生えていたが、今は気にすまい。

 そんなものより、私は……!

 ダンダンダン! と、慌ただしく階段をかけ上がる音がする。安心からか、走る私の脚がよろめいて、グラリと身体が傾くが、転ぶ心配なんて欠片もしていなかった。

 誰かが躍り出てきて、すぐに息を飲む。交差する視線。私の顔は……果たしてどうなっているのやら。

 滲む視界の中で最後に認識したのは、両腕を広げ、飛び込んできた私をしっかりと受け止めた、辰の姿だった。


「っと! あっぶな……!」


 ふらつき、下にある踊り場の壁に背中をぶつけながら、辰は息を切らしていた。身体が凄く熱い。大好きな彼の香りにほんのりと汗の匂いが混じっている。不快感はない。むしろエッセンシャルオイルみたいな爽やかさだ。


「メリー、……無事かい?」


 走ってきたのだろうか。どうして? という疑問は溢れるが、私は今、言葉が発せられそうもない。彼の胸に顔を埋めたまま小さく頷けば、辰は安堵の溜め息を漏らし、「これが占い……いや、予言か。とにかく間に合ってよかった……」そう呟いて。そのままきつく。ぎゅ~っと私を抱き寄せた。


「……助けに来たよ、メリー」


 頬を幾つもの暖かい滴が伝い落ちていた。感極まった私は、辰の背中に回した腕で彼を負けないくらい強く抱き締める。

 お願いだから、これ以上ときめかせないで欲しい。でないと、嬉しくて幸せで、泣いてしまいそうだ。

 

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