死の宣告
「……さっき、未来を決めるものじゃないって言ってたじゃない」
「流れを読む。といっただろう。だが、あたしが見たあんたの死は……いわば結末が分かりきってしまう流れってやつだ」
運命ってやつかね。と、路地裏の母は肩を竦めた。
「たまにいるんだ。どうしようもない星のもとにある、そんな人間が」
「……確定なの?」
「ああ。あんたはどうやっても死を受け入れるだろう。それが……結末だ」
「……っ」
あんまりだ。
そう叫びたかった。
たかが占い師の戯れ言だと、軽く流せたならばどんなに良かっただろうか。つい先程、他ならぬ私がこの老婆を本物だと認めてしまった。その事実が、この占いが逃れようもない運命の流れを読み取ってしまったのを確信させる。
「……どうなって、死ぬの?」
「そこまではわからんよ。事故か、誰かに殺されるか。あるいはあんたが自覚してないだけで、結構な難病を抱えているか。大穴で自殺か。あたしには分からん。ただ、死に至る要因が近づいてきている。それだけだ」
「……そう」
酷い落胆と共に、ため息が漏れる。死に方が分ければ回避できるかも。なんて考えは甘かったようだ。
それにしても神様がもしいるならば、是非とも問い掛けたい。私は何か悪いことをしましたでしょうか……と。
小さい頃から本ばかり読んで。特異な容姿だから周りからも疎まれて。可愛い子どもではなかった事は確かだったけど。
それでも、それなりにやってきてたし、人を貶めたり、辱しめたりはしなかった。
青春は灰色で。でも、そんな私がようやく得た恋があったのに。占われ、死が確定する? それも、三ヶ月以内に? そんなの、そんなの……。嫌だ。
「あたしがあんたに語ることはもうないよ。……大きな運命を視すぎたね。あたしもこりゃあ、お迎えが近そうだ」
「……関係あるの?」
「あるともさ。他人の運命を読むとは、早送りながら、人一人分の人生の糧をこの身に受けるということだ。あんたも視える人間なら分かるだろう? 巨大な運命や吉凶を占うとは、精神を、己の魂を磨り減らして行うに等しいんだよ。健常な肉体があるのならともかく、あたしみたいな身にはただの毒さね」
なら、どうして続けるのよ。私のそんな顔を読み取ったのか、路地裏の母は快活な歯抜け笑いをして。
「誰にだって譲れないものがあるだろう? あたしにはそれが占いだったってだけさね」
あんたにはあるかい? 暗にそう問い返す路地裏の母に、私は何も言わずにただ俯いていた。譲れないもの? そんなのあるに決まってる。けど、私にはもう……。
「時間を無駄にしないことだ。それが……あたしがあんたに出来る、ただ一つしかない最後のアドバイスだよ」
「……ええ。わかったわ」
ありがとう。それだけ告げて、私は震える身体を何とか抑えて踵を返した。
「おまえさん」
すると不意に、背後から呼び止められた。何だと振り返ると、路地裏の母は人差し指を立てながら、勘定忘れてるよ。と、だけ言い。
「約束だ。この占いの事は、誰にも話しちゃいけないよ。例えあんたの想い人にでもだ」
路地裏の母は、報酬を貰わない。変わりに何らかの約束をする。そんな噂を今更思い出した。
「いいね。話せば……それだけよくないことが起こる」
「死ぬよりも?」
「ああ、そうだね。お前さんにとって、死ぬより辛いことが起こるだろう」
それは、返しの付いた銛のように私の心を刺し穿つ。こんな早くに死を迎える以上に辛いことなんて、有る筈がないだろうに。
死は理不尽だ。私より若くして亡くなった人など、この世には沢山いるだろう。嘆かず雄々しく死んでいった人もいる。けど、少なくとも私は、そんな風には出来そうもなかった。
※
「おかえり。どうだっ……た……」
路地裏の母がいた場所から離れ、屋台や店の灯りが煌々と燃える商店街に戻った私を、相棒は初めは怪訝な表情で。次に困惑。そこから気遣わしげな空気を漂わせながら出迎えた。
「……メリー、どうしたの?」
「何でもないわ。次……辰の番よ」
きっと、酷い顔をしていたのだろう。今まで聞いたことがないくらい弱々しい声で聞いてくる辰に、私は首を横に振りながら、路地裏へと促した。
どうか、彼には不幸なお告げは来ませんように。そう考えた瞬間、何となく死より辛いことの明確なビジョンが浮かんだようだった。
占いが正しいならば、私はもうすぐ……辰にも会えなくなるのだ。
「……っ!」
「――帰ろう、メリー」
「っえ、どうし……」
「帰るよ。いいね?」
半ば強引に腕が引かれる。抵抗を試みても、男女間の力の差は明確だった。抗議の声を上げかけた私を、鋭い声で遮って、辰はずんずんと、光溢れる通りを進んでいく。
まだ残暑がある時期の筈なのに、辺りはほんのりと肌寒い。
なのに繋がれ、触れ合った手だけが、バカに熱かった。
相棒の背中を見る。細いのに。私をあの場所から一刻も早く遠ざけんとするその姿は、泣きたくなる位頼もしかった。
「……聞かないの?」
「……聞いていいなら、聞く」
「言えないわ。内容は話さない。そういう約束なの」
「約束……ああ、噂の」
理解が早くて助かった。
すると辰は、私の引っぱる方の手をそっと解き。そのまますぐに、指を絡めるように繋ぎ直した。
俗に言う恋人繋ぎ。
幽霊や怪奇現象に遭遇するとき、私達はよくこうして互いを繋ぎ止める。
手を組む。指組み。聖書的に言えば、〝一人より二人がいい〟なんて要素を含んだ、所謂おまじないのようなものだ。
因みに然り気無くこの繋ぎ方に私が誘導したのは、内緒の話である。
「……本物だったわ」
「占い師が?」
「ええ。根拠は? って聞かれたら、言葉がうまく出てこないけども」
「君の方がスピリチュアル的な嗅覚は鋭い。だから、こういう類いで君が本物だっていうなら、本物なんだろうね」
手を引かれ、気がついたら電車に乗っていた。シートに座り、電車の振動に揺られながら、私がそう告げれば、辰はぼんやりと前を向いたまま小さく頷く。話してならないのは占いの内容だから、これは大丈夫な筈だ。
「何か、よくないことを言われたの?」
「……そうね。かなり酷いものよ」
「……っ」
珍しく、辰の表情に動揺が走る。どう反応すればいいかわからないといった顔。失礼だけど、迷子になった子どもを思わせた。
「…………どうにもならないわ、こればっかりは。助けを求めたくても言えないから、貴方は動きようがない。私も、どうすればいいかわからない。八方塞がり」
「……衝動的に君を連れて離れたの。少し後悔してるよ。こんなのだったら、あの婆さんに僕を占って貰えば良かった」
何か糸口が掴めたかもしれなかったのに。と、辰は項垂れながらため息をついた。
「あの時ね、本能的に思ったんだ。今君を一人にしちゃいけないって。気がついたら身体が動いてた」
「……そう」
辰は納得しないだろうけど、それは正解だ。私がその行動に救われたという事を彼は知らないのだ。
同時に、〝死より辛いこと〟の認識も得られなかっただろう。一人にされていたら、私は間違いなく、自分の死について悪い方へと沈んでいた。もしかしたら、辰に話すなんて暴挙にまで及んでいたかもしれない。
あそこで引っ張ってくれたからこそ、私は少しだけ冷静になれたのだ。
私が死ぬより怖いこと。それはやはり、彼が不幸になること。
占いを話して、もし本当にそれが起きたら笑えない。だからこそ、この占い結果には、私が一人で向き合うべきなのだ。
「でも……辰、今日は送ってくれなくて大丈夫よ」
私がそう申し出ると、辰は渋い顔をしながら私を見る。
それに対して精一杯の笑顔を見せながら、私は静かに目を伏せる。
「一人で、気持ちを整理したいの。明日からいつもの私に戻るから」
「言いたくないけど、そうとは思えないなぁ」
でしょうね。という言葉を飲み込んで、私は未だに握られていた手を、きゅっと握る。
無言の時間は暫く続き。そのうち乗り換えの駅に来て、私達は電車を降りる。辺りは既に暗く、帰宅ラッシュまっただ中。行き交う人混みを縫うように進み、次の電車に飛び乗った辺りで、辰はようやく口を開いた。
「もし、力になれる事があったら言って欲しい。話せないなら、そばにいる。君が動けないなら、僕が動く……だから」
さんざん考えた末に出した結論なのだろう。そっぽを向いたままそう言う彼は、「一人で抱え込みすぎないで」と、少しだけ哀しげに肩を竦めた。
「……ありがと。ね。難しくしてる私が言うなって話だけど、変に構えないで自然にしてくれたら嬉しいわ。そうしてくれるだけで、私は救われるの」
「了解、今は分からないけど、君がそう言うなら」
頷く彼に、心の中でもう一度謝って。同時に、暖かさと愛しさを胸に抱く。
口には出さなかったけど、きっとこれから彼は、あらゆる手を使って情報を集めるのだろう。あの占い師の元に私と別れた後に行ったりするに違いない。真剣に考え込むその表情を見ていて、何となく私はそう直感した。
何故わかるかと聞かれたら、わかってしまうから。としか答えようがない。だって、逆の立場だったら、きっと私もそうしただろうから。
「じゃあ、辰。また明日ね」
「ああ、メリー。また明日」
最寄り駅にたどり着き、ぬくもりが離れていく。あと何度。このやり取りが出来るのか。そう思ったら涙が込み上げてきそうで、私は必死に笑顔を作った。
やっぱり今日は、一人になるのが正解だ。
辰と一緒にいたら、泣いてすがり付いて。カッコ悪いところばかり見せてしまうだろう。恋する乙女にとって由々しき事態だ。
※
以上が、渡リ烏倶楽部の占い師探しの結末だ。辰が占われていないから、私の体験。そう言った方がいいかもしれない。
見つけてみたら、死の宣告をされて震えて帰ってきた。なんて、一昔前のドッキリ番組みたいな話になってしまったが。課せられた十字架は、そんなコメディ要素など欠片もない、重たいものだった。
気にしすぎだといえばそれまでだ。だが、繰り返すが、私はどうにもあの老婆の存在がが引っ掛かっていた。纏う存在感が異質だったのも、占い師としての腕も。どれもが無視できるものではないと、自分の中で絶えず警笛が鳴らされていた。
後になって考えてみれば、そのとっかかりが全てを物語っていた。
翌日の朝に起きた出来事だ。結局あれこれ考えて、眠れぬ夜を明かした私は、目元に隈を作りながら、何の気なしにテレビを点けて……。背筋が凍りついた。
ニュースでは、吉祥寺の古い民家の一室で、ミイラ化した女性の遺体が見つかったとのこと。
遺体には真珠のアクセサリーが身に付けられており、更に奇妙な事に、宝物でも抱きしめるかのように、大きな水晶玉を抱えていたのだという。
偶然だ。そう片付けるには、その情報は重すぎた。
震える身体を自覚した時。私は路地裏の母の言葉をふと思い出した。
「誰にだって譲れないものがあるだろう? あたしにはそれが占いだったってだけさね」
私が気づけなかった。それもさることながら、その執念を恐ろしく感じてしまう。
あの場にいた彼女は何だったのか。文字通り、己の魂を削りながら行っていた占いと、それに引導を渡してしまう程の、私に迫る死の影……。
「……っ」
気がつくと、身体は動いていた。
確かめる必要がある。もう一度、あの場所へ。私の中でそんな声がして。私は部屋を飛び出した。




